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りみっとぶれいかーず!――Road to the Circuit――

Case:1 隆山 〜乃野坂峠〜 第3話:沙織


うん、滑るの(ドリフト)は楽しいよ。この車(こ)、あたしの思うとおりに動いてくれる。

「最初っからこうやって走らせてくれればいいのに」
 本日最後と言ったタイムアタックが終わって、時間一杯自由に走れと言って解散した。
 これからは明日までの時間、寝るなり食事なり好きにして言いということだ。最も大抵の場合、寝るか走るかの二択だ。
 沙織の場合、飛ばして走るのも嫌だし、先刻みたいに妙に硬い緊張した雰囲気というのも嫌いだ。
 ただ峠でドリフトやってればそれで楽しい――そんな感情しかなかった。
 拓也のようにぎりぎりに速く走ろうというのは間違っていると思う。
 車がどんな状況にあって、どんな状態で、またどう操作すればどうなるというのを理解した上で完全に手足のように操作する。
 それが彼女にとって目指すべき一つの形であり、またそうありたいと思っている。
 そう言う意味ではこの赤いロードスター、NA6CEは最高のパートナーだ。
 今では彼女の思い通りにリアが流れ、又逆に復帰し、まさに自在に彼女はこの車を操っている。
 普通ならそれだけ自在なら速く走ろうと思うものなのだろうが、彼女の言い分はいつも一つ。
 『危ないし怖いから』だ。
 上の折り返し地点に決めた休憩所、ここにはエスティマとセブンとZZが既に止められていて、寝る人間は車の中で眠っている。
 沙織はエスティマの後部に自分のベッドを確保して、既に寝入っている瑞穂を笑って見つめてから、自分の車へと向かう。
 ロードスターはアイドリングを続けて彼女を待ちわびている。
――…?
 その時、あからさまに低音が響いた。
 ミラージュではない。それに他の峠でもない。
 間違いなくこの峠、今まさに下ろうとする方向に向けて近づいてくる。
 彼女が休憩所の出口へと流していく中、彼女の目の前を車が駆け抜けていった。
――白い……車だね
 何の気なしに彼女はその後に滑り出した。
 彼女のようにオープンで乗り回す場合、若干の剛性の心配があるが、それでもロードスターは軽さが力になる。
 一トンを切るその車重であれば、この乃野坂峠のダウンヒルではかなりの力を発揮する。
 軽乗用車とスカイラインがダウンヒルを行ったとしよう。
 普通にレースをする場合であればその差は歴然だが、ダウンヒルでは下手をすれば良い勝負をする可能性もある。
 七百キロを切る車重に対し、倍の重さのスカイラインではブレーキ、フロントタイヤの持久力にかなりの負担がかかる。
 同じタイヤとは言わないが所詮ゴム製のタイヤであれば、先にタイヤがいかれるのはスカイラインだ。
 さらにブレーキに対する負担、コーナリング速度を考慮すれば、徹底的に軽量化・チューニングをした軽自動車には敵わない。
 直線の少ない長い峠を攻略するには軽量化というのは最大の武器なのである。
 沙織はそんな事を考えた事もないが。
 この乃野坂峠の上から下までの距離はおよそ十キロ。これは峠としては長い方に入る。
 沙織は五分足らずでこれを駆け抜ける。
 決して遅くはないはずだ。
「あなたと♪ぽっちつれって♪」
 大音量で流れるステレオに合わせて歌い始める沙織。
 As time goes by、この間見に行った映画のテーマ曲だった。
 暗い峠道が、この車の中だけ明るくなったように感じさせる映画のサントラCD。
 沙織にとっては必要不可欠な夜のドライブのアイテムだ。
 同時に手際よくシフトアップを始める。
 テンロク百二十馬力の小柄な車体ではこの急な峠の登りは難しい。
 パワー不足――でも、ロードスターには絶大なパワーとは違う楽しみ方を教えてくれるのだ。
 定評のあるミッションと少し癖の強いFR、そして一トンを切る軽量のボディの軽快さは運転ではなく『操る』レベルへと昇華させる。
 もう少し古い型になってしまうNA6CEだが、未だにその人気は衰えていない理由としてはその辺なのだろうか。
 一瞬、その彼女の目の前で紅いテールランプが輝く。
 同時に大きく流れ始めるテール。
 まるで鼻っ面をインに突きつけて円運動を行うような形で滑り降りていく。
「〜♪」
 沙織は目を輝かせて口笛を吹いた。
――やっるー!
 同時にまるで蹴り込むようにギアを下げて負けじと頭をインへと突っ込む。
 ブレーキインと同時にアウト側へとテールが流れる。
「晴れたーそーらーに浮かぶくーもにっ♪」
 ドリフト中の車では、視界は普通とは異なる。
 場合によってはピラーが邪魔で見難くなる事もあるが、その点だけはこのロードスターは有利だ。
 ドリフトというのは通常車が走る為に作られた走り方ではない。
 だからコーナー出口で立ち上がる瞬間が難しい。
 アクセル開度もそうだが、慣性が働いて流れている車はタイヤのグリップを失っている状態なのだ。
 それをコントロールする感性が無ければそのままスピン、もしくはあらぬ方向に突然弾き出されてコンクリートの壁に激突するだろう。
 鼻歌交じりに、というよりも大声で歌いながら別の意味でハイテンションの沙織は、そんな危険な状態をしっかりコントロールしていた。
 『危ないし怖いから』速く走ろうとしない癖に、こんな時の彼女には何も怖い物はなさそうだった。
 派手に立ち上がりながら、沙織の前の白い車がさらに流れていくのが目にとまった。
――速い
 この短い全開区間、短いとは言えコーナーの立ち上がりだ。
 はっきり言ってそんなに瞬時に抜けられる物ではない。
 馬鹿みたいに加速力のあるエンジンだとしても、今度はコーナリングが問題になる。
「やっぱり普通じゃないって。…もう」
 あの白い綺麗な車がコーナーを回っていく様を、もう一度見たかった。
 何となく彼女はそう思った。

「それ、月島さんに言ったら『何で追わないんだ』って言うよ、きっと」
 次の日の朝。
 コンビニに買い出し往復した祐介と沙織は食事を取りながら話をしていた。
 まだ他の連中は自分の車で眠っている。
「んー、だから黙っとく。ゆーくんだけに教えたんだから」
 沙織は悪戯っぽく微笑んで、パックジュースのストローに口を付ける。
 祐介は肩をすくめると彼女の車に目を向けた。
 沙織の髪は濃い赤茶色で、日の当たり具合で普通は黒か茶色に見えるものが、カブトムシのような濃い赤茶色に見える。
 なかなか珍しい彼女の髪の色に、紅いロードスターはよく似合っているだろう。
「僕はもう少し安全に速く走れると思うよ。…沙織さんはどうもいやがるみたいだけど」
「うん嫌」
 身も蓋もなく即答する彼女に、祐介は困った顔をする。
「あれだけ派手にドリフトすれば充分危険だよ?それに失敗したらセンターライン割って対向車に…」
 にこにこして沙織は彼の言葉を聞いている。
 祐介は彼女の表情に口を閉ざして、思わずため息をついた。
「あんな非力な車で、あれだけドリフトする技術はあるのに……」
 がちゃりとドアの開く音がして、拓也が起き出してきた。
「おはよー!」
「おはよう……なんだ、また二人か」
 思わせぶりに呟くと拓也はロードスターの側まで近づいてくる。
 祐介がサンドイッチのパックを投げるのを、彼は受け取って片手で器用に開いて一口かじる。
「別に。沙織さんが早いだけですよ」
「お前は寝るのが早いんだし、まあ不思議ではないか」
 数回も走らない祐介は、実は夜に弱い。
 だから大抵ついてすぐに一度、最後に一度走るとそのまま休憩所で眠りにつくのだ。
 『最初』と『最後』を決めるのは拓也だが。
 そのまましばらく無言で朝食を摂る三人。
「もう夏になるってのに寒いですよね」
 がらがらと音がして、エスティマから瑞穂が降りてくる。
 今日はつなぎではなくてごく普通の普段着を着ている。
「おはよう、藍原くん」
 拓也ににっこりと微笑んで挨拶を返すと、祐介と沙織には手を振って応える。
「月島先輩、昨晩凄い車を見ましたよ。白いS14でしたね、あれは」
 真っ先に寝る癖に、彼女は巧い具合に寝ぼけてたり目聡く調べ物をしていたりする。
 拓也は彼女の言葉に興味があるのか、両眉を上げると視線を沙織に移した。
「……知らない」
 ぶんぶんと首を振ると瑞穂にちらりと視線を返す。
 瑞穂はそれだけで理解したのか、何も言わず目を伏せてからもう一度拓也に目を向ける。
「速かったですよ。もしかすると例の『金髪美女』じゃないですか?」
「ああ、三咲峠だけじゃ飽きたらずローマでも存在が確認されているというからな」
――存在が確認?
 思わず沙織と祐介は二人の言葉に顔を合わせていた。
「最近はこの辺で出没するみたいですよ、どうやら」
「あ、あの、出没って、もしかして……」
 昨晩の事は良く覚えている。
 あんなにはっきり見えたんだ。
 絶対に幽霊じゃないと自分に言い聞かせる沙織。
「え?幽霊じゃないですよ、沙織ちゃん。安心して」
 そして彼女は、『白いS14の美女』について話を始めた。
「丁度わたし達がここに来る前に噂として出始めていたんですよ」
 既にインターネット上では有名な話になっているらしい。
 曰く、峠最速のS14である。
 曰く、乗っているのは金髪の美女である。
 曰く、あのシルビアは普通の車両ではない。
 ただ誰もその車が停車する所を見た事がないというので、走り続けているのではないかと言われる。
 ガソリンスタンドに立ち寄った彼女に出会ったという噂もあるが、実際にはどうだか判らない。
 沙織はふーんと良いながらパックのジュースを飲み干した。
「大体、同時に蒼いミニか、紅いF40を同時に見かけるらしい」
 祐介は肩をすくめた。
 幾ら何でも都市伝説だろう。
 ミニとF40ではあまりに大きさが違いすぎる。
 そうでなくても、何故それにシルビアが絡んでくるのだろうか。
「チームか何か、作ってるの?」
「さあ、基本的に信じられない程早く走る連中で、バトルしている最中の車を平気な顔して抜いていっただの、伝説みたいなものもあるぞ」
「命がけでチェイスしてるのかも知れませんね」
 何の、為に。
 自分の脳裏に浮かんだ言葉に、思わず祐介は笑みを零した。
「折角来たんだ、そう言う事なら今晩狙うぞ。待ち伏せしていれば、必ず通るだろう」
 何の根拠もなく拓也は言い放ち、結果、もう一日休みを潰さなければならなくなった。
 にこにこ笑う瑞穂と拓也に、沙織と祐介は顔を見合わせてため息をついた。

 

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解説


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