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りみっとぶれいかーず!――Road to the Circuit――

Case:1 隆山 〜乃野坂峠〜 第12話:鬼


感覚が加速していくんだ。全てが、粘りけの高い水の中に沈むみたいに。


 先程EGの性能は確認した。
 事実、このブラインドコーナーの多い乃野宇山でも短い立ち上がりの直線は存在する。
 その加速、立ち上がりの性能だけを見れば、ZZの方が僅かに早い。
 だがEGのコーナリングはFFの癖に、まるで吸い付いたようにしなやかに頭が入っていく。
 アンダーが一切かき消えて見えた。
 LSDは入っているのだろうか?どちらにせよFFというパッケージに170ps、軽量ボディではパワーオーバーとまで行かなくても、高性能なコーナリングが期待できるのだ。
 とは言え、今度はあの少女がドライバーだ。
――でも
 祐介はハンドルを握る手に汗が滲むのを感じた。
 実際に彼女の走りを眺めた時に感じる物があった。
 だから、今でも身体が芯から痺れている。
 多分本気でやれる。
 一瞬EGがハザードを消して、ウインカーを上げた。
 合わせて祐介も上げる。
――5、4、3
 EGのウインカーの明滅をカウントダウン代わりに読み上げていく。
――2、1

  ぎゃきゃきゃぃいっ

 同時に、一番前のタイヤと一番後ろのタイヤが僅かなスキール音と同時に、両方の車体をはじき出した。
 スタートダッシュは、僅かにZZの有利なところだった。
 そもそも軽量というならZZを越える国産車はない。
 走るためだけにチューニングされた軽量ボディに、ミドシップのSR20DE。
 すぐにTail to Noseという感じにEGをつつく。
――張り付いたな
 身体を支えながら後ろを伺う浩之。
 ちらりと梓に視線を向けると、彼女は全く動揺した雰囲気はなく。
 そして、彼女の顔を見た瞬間に浩之は心臓を掴まれたような錯覚を覚える。
――な、なんだ…
 それは本能が覚える感覚。死を脅える本能だ。
 どんなに真剣になったってここまで張りつめた雰囲気には絶対なり得ない。

  ひゅ

 どん、と激しく車の頭が沈み込み、強烈なGが全身を前へ投げ出そうとする。
 きりきりとタイヤがきしみを上げ、不安定に車体を揺らす。
 FFはブレーキングの際が一番危険なのだ。
 姿勢が不安定、且つスピードが乗りすぎていたなら、LSDを持たない場合にはアンダーが出るしかない構造だからだ。
 いつすっ飛んでいってもおかしくない。
 そんな危険な状態で、精密且つ的確なスピードでハンドルを切り、シフトチェンジをする。
 三速から二速へ。
 エンジンが奏でる金切り声がいきなり一オクターブ上がる。
 既に後輪が暴れようとする領域で、僅かなミスがそのまま死に繋がるような危険な場面で。
 梓は。
 それら全てがスローモーションでおきているような錯覚を受けていた。
 突然鋭敏になった感覚が、タイヤのブロック一つ一つが地面を蹴るものまで教えてくれるようになる。
 フロントガラスが切る空気が、流れているように見える。
 ハンドルを介して感じるグリップが、確実に伝わってくる。
 車が前傾しているのが、判る。いつ、どうやってソレが変化するのかすら。
 一気にフロントがブラインドコーナーに突き刺さる。
 まるで吸い付いたようなコーナリングで、再び訪れるコーナーへと吸い込まれていく。
――速い
 その動きは、丁度フェイントモーションでリアを振り出さんばかりの勢いで。
 既にグリップが甘いかのように暴れるリアは、タイヤをきりきりと鳴かせっぱなしで。
 フロントに追随し、かつまだ地面を捉える。
「くっ」
 明らかにターンイン直後のノーズの動きが違う。
 祐介は思わずくぐもった声を漏らす。
 FRの方が有利だなどと、誰が言ったのだろうか。
 フロントのトラクションがない分、後輪を滑らせるドリフト走行を覚えなければFR、特にMRでは速く走れない。
 ノーズはこっちの方が軽いはずなのに、力任せに飛び込んでいくEG6の方が突っ込みが速いのだ。
 ブレーキングで前荷重になってトラクションを稼いでも、ノーズの動きが鈍い。
――そんなはずはない
 コーナーで僅かに引き離される距離。
 すぐに縮むが――取り戻すのに努力と、ぎりぎりにまで絞り込んだ精神力が必要になる。
――こんな程度の峠でっっ
 祐介の貌が醜く歪む。
 おいつけなくはない。手が届く場所にいる。
 エンジンパワーでは勝っている。ノーマルだと言ってもシビックとZZでは根本が違う。
 軽さだって、ZZの方が軽いはずなのに。
――コーナーでは相手の方が速い?
 駐車場まで、あと二つ。
 誰が見ても良い勝負をしている。
 ぎりぎりにまでノーズをEGにくっつけたZZの腕も、また綺麗に丁寧に流すEGもまた。
――見える
 夜中だというのに、くっきりと視界が開ける。
 同時に、さらに周囲の風景がゆっくりと流れるようになる。
 駆け回るタコメーターの針も、スピードメーターの表示も、まるで冗談のように遅くなる。
 加速していく感覚。
 神経の総てが限界にまで加速していく。
 その中で、梓は。
 教習所で教わっているままの、僅かな経験を加味したドライビングを行っていた。
 ただそれだけだった。
 最後のコーナーを立ち上がって、直線。
 突き当たる前に駐車場の入口が見える。
「終わりだね」
 梓は最後の一言を呟いてハザードを焚いた。
 バトルは引き分けのまま幕を閉じることになった――
「まさか」
 最終コーナーを立ち上がっても、コーナーで詰められないZZでは勝てない。
 EGのハザードを見て、祐介は素早くHeel and Toeを決めて急減速する。
――そんな、馬鹿な
 素人と思っていた、ノーマルに乗った彼女に負けるとは思えなかった。
 勿論先行したEGの方が有利なのは確かだ。精神的には不利だが。
 実際にはZZの方がパワーも大きく、バランス的にもコーナーが速い。
 だがFFの立ち上がりはクリップ手前からでも強引に引っ張り上げるように立ち上がることができる。
 素人でも、経験が未熟でも、FFだからこそ彼女は速い――その結論に到達することが出来ない。
 自分の方が経験が豊富でも、MRのピーキーな特性を使い切れてない――そう思いたくない。
 ぎしり。
 彼は、既にとろとろとゆっくり走るようになったZZの中で歯ぎしりした。

 

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解説


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