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りみっとぶれいかーず!――Road to the Circuit――

Case:1 隆山 〜乃野坂峠〜 第11話:バトル開始


正しい事だけが世界の基準じゃない。本当を見極めること、それが基準なんだ


  ZZをまるで完全に引き離すかのように走りきり、浩之は休憩所の入り口で一気に頭を振って、スピンターンを決める。
 綺麗に半回転した車体は反対車線で停まり、僅かにアイドリングの音を立てる。
「…どうだい」
 梓は身体を助手席のドアに押しつけるようにしたまま、浩之を睨み付ける。
 でも声を上げる訳でもなく、ただ苛々した表情で彼を見ているだけだ。
 何も言わないのを良いことに、彼はどこか脱力したような貌で笑うと続ける。
「ノーマルのこいつでももう少し攻め込んで走ったって大丈夫だけど、タイヤはもうもたないだろうね」
 軽口を叩きながら、彼は素直に1速で発進して、休憩所に車を乗り入れる。
 梓は無言のまま、車が駐車するのをまるで待ちかねていたようにドアを開けて出た。
「おい」
「全く…いきなり何をするかと思ったら」
 後を追うように運転席から降りる浩之に、まるで見下すように睨み付ける梓。
 大きく胸を張って、怒り心頭という表情。
「そう。まぁ確かにあんたは速いかも知れないよ。この車に乗っていた時間も長い」
「ああ」
 浩之は応えて眉を上げる。
「でもね、今はあんたの車じゃない。あたしの車だ」
 梓は吐き捨てるように言うと彼の側をすり抜け、素早くEG6に乗り込む。
 そして、再びエンジンを始動させると、窓を開けた。
 丁度見上げる梓の視線の前に、月を背にした浩之の姿が見えた。
 街灯の明かりに、ぼんやりと全身をぼかしたように曇らせながら、浩之は笑っていた。
「……ああ、悪かった。謝る」
 ぺこりと一息にお辞儀して、再び同じ姿勢に戻った時の彼の貌からは笑みが消えていた。
 梓も僅かに貌をこわばらせる。
「でもこれからもこいつに乗るんだろ。…運転技術を磨く事は決して悪い事じゃないだろ」
「…どうしろって言うのさ」
「安全運転を心がける事。特に、どんな速度になっても基本的な操縦方法は変わらない。ただ早くなるだけ」
 浩之は肩をすくめる。
「でも早ければ早くなる程、機械的負担を増すクラッチやミッション。独学だけじゃ、速く走る事は出来ない」
 彼の言っている事は判る。正論だろう。
「だから、あたしはどうしろっていうんだよ」
「足立さんに悪いだろ?俺が譲った車のせいで事故られたりしたら、俺だって後味悪すぎる」
 窓に手をかけて、浩之は梓を睨むように見下ろす。
「やめろなんて言わない。でも、腕は努力が必要だが方向を間違えばその辺の馬鹿な奴らと変わらない程度になる」
 浩之自身、彼女とは先刻出会ったばかりで、接触しかけただけだ。
 どれだけのドライバーなのか判らない。
――俺もお節介焼きなところは変わらねえよな
 自分で自分に呆れるように毒づく。
「次は横に乗せてくれ。俺の乗り方は、一度見ていただろう」
 梓の顔に逡巡が浮かぶ。
 ふっと浩之はため息をつくように笑うと、肩をすくめた。
「せめて下の駐車場には乗っけていってくれよ?俺の車まで帰りたいんだから」
 一度視線を外した梓は、メーターを見る。
 ガソリンは半分ほど。
「判ったよ」
「ありがとう」
 何となく間抜けな受け答えに、梓は口元を歪めて笑った。
 低いエキゾーストノイズと共に、休憩所から車がゆっくりと出てくる。
 フロントを回って助手席に向かう浩之はそれを見とがめた――先刻、後ろからついてきたZZだったからだ。
 ハザードを焚いたまま彼の車はEG6の後ろへとつくと、アイドリングしたまま停車した。
「速かったですね」
 笑みを浮かべるというより、張り付けた状態の祐介はゆっくりEG6に近づく。
「まあな」
 浩之はルーフに左手を載せて、右手で答える。
「お願いがあるんですけど、聞いて貰えますか?」
「……俺に言う事じゃないな、なあ?えーっと……」
「梓。名前で良いよ、別に」
 梓は応えて車から降りる。
 そして祐介と真正面から向き合う。先刻謝ってきた青年の目は、先程とは違う色に染まっていた。
「今から下りでしょう?下の駐車場までつきあって貰えませんか」
 笑みを張り付けたその表情は、飢えた獣そのもの――何かに魅入られ、それを求める視線にも見えた。
 猛禽の、獲物を睨み据える瞳。
 梓はその瞳に、どこか自分と重なるようなものを感じて、僅かに口元を引きつらせて笑みを浮かべる。
「下の駐車場まで、だぞ」
 そして、助手席を望む男に同じ視線を向ける。
 すると彼は呆れたようにため息をついて、肩をすくめて見せた。
「無謀な運転は止めてくれよ」
「判ってる。――つまり、無謀でないなら、どんな運転でも我慢するんだな」

 形式は先行後追い。
 普通公道はレース場のように一方通行ではない。対向車の存在がある。
 だから前後に車両を停車してスタートする『先行後追い』はごく普通に行われる形だ。
 簡単に言えば、峠で前についた車両を煽る形を取るのだ。
 勿論だからといって危険がないわけではない。むしろ危険度は上がる。
 対向車との正面衝突のような危険ではなく、レースでも緊迫した場面に近い展開を繰り返す訳だから、スピード感覚を失えば一発でアンダーステアを起こし崖へと真っ逆様に落ちるだろう。
 逆に、前を走る車両に追突してもつれるように事故を起こす可能性だってある。
 クラッシュが即死に繋がる峠の、ポピュラーながら一番危険なバトル方法である。
 ぶっちぎられたら負け、コーナーの瞬時の隙を突かれて抜かれても負け。
 危険な賭は、どうやっても危険――
「全力で走る。見てな、浩之、あたし自身の限界って奴を」
 彼女の言葉を逐一聞き取りながら、浩之はしっかりシートベルトを確認する。
 左腕をドアの手すりで固定して、右手でシートの端をしっかり握って身体の固定をする。
「ああ、車の限界になんかチャレンジするなよ」
 混ぜっ返すように応えながら、彼は少し、彼女のことを考え直していた。
――案外、判ってるのかもな
 『全開』ではなく『全力』、『車』ではなく『あたし』。
 それが言葉尻だけの話でないことを、彼は願った。

 

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解説


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