りみっとぶれいかーず!――Road to the Circuit――
Case:1 隆山 〜乃野坂峠〜 第10話:雫
お兄ちゃん。もう、無茶なことは辞めて。長瀬ちゃんにお願いするから
拓也は車をUターンさせて、スタート地点にした駐車場へと戻っていた。
クラッシュはしなかった。ガードレールすれすれで何とか車は停止させることが出来た。
だけどそんな事は関係なかった。
自分の赤いミラージュが、シビックにやられた。
その事の方が――苛ついた。
苛々したまま、彼は自分の車の側で祐介を待っていた。
『代わりに謝ってきますから、ここで待っていてください』
彼はそう言い残して下っていった。
本来なら彼自身が行かなければならない。でも、多分行ったところで謝ることは出来ないだろう。
――糞
それをふがいないと思えるだけ、まだ拓也には救いがあるのかも知れない。
少し離れた位置にはエスティマが停まっている。
多分沙織と瑞穂がいるだろうが、寝ているかどうか。
彼の様子を窺っているかも知れない。
ミラージュの後部に腰掛けたまま、苛つく表情で彼は何度も拳を握りしめて歯がみしていた。
ぎり ぎりりりりり
そこに、今までとは違う激しいスキール音が聞こえた。
峠の周囲に響き渡るような嫌な――事故でも起こしたような音が、立て続けに聞こえる。
それは獣が叫び声をあげながら迫ってくるような、そんな言い知れない迫力がある。
判る人間はそれで悟る――明らかに無理な力をタイヤに加えながら、それでも路面を捉えて走る車がいるということに。
拓也は――そして、その激しい音に惹き付けられて、沙織と瑞穂が、休憩所の出口に向けて駆けだした。
ノーマルの吸排気系ではエンジンパワーを引き出すことはなく、静粛性が求められる。
だから、恐らく高回転まで引っ張っているんだろうが、パワーに喘ぎ抗議するタイヤの音の方が激しく聞こえる。
彼らの視界の中で、まるで狂ったような速度でハロゲンランプが動く。
「――!」
その速度は、今まで見てきた物と比べて遙かに速い。
「沙織さん」
「うん、これは…少なくとも10秒は」
早い、そう彼女が言葉を紡ぐ瞬間、最終コーナーを蹴立てるスキール音と共に路面を照らすハロゲンの黄色い光が全員の目の前に現れた。
そして、休憩所の入り口直前で一度ノーズを入れると――大きくテールを流して、所謂スピンターンを綺麗に決める。
スキール音が収まると、SR20DEの独特なエグゾーストがコーナーから響くのが聞こえるようになった。
「祐介?」
彼は慌てて今停まった車に視線を向ける。
シビック――先刻事故を起こしかけた相手のEG6だ。
思わずかっと頭に血が上るが、同時に――今追いすがってきた祐介の速度に驚いていた。
いや、それは驚きではない。
――嫉妬?
この息苦しさは、ただの驚きでも、まして彼に対する心配でも、ない。
間違いなく敵としての嫉妬。
彼の速さに対する敵愾心だ。
休憩所に入ってくるシビックに目もくれず、直後に到達した祐介のZZに駆け寄っていた。
「ちょ、月島さん、危ないでしょう?」
慌てて車を停め、窓を開けるのももどかしくニュートラルにシフトして車を停めると外に出る。
だが彼の批判は月島の耳には届いていない。
ただ焦ったような、怒りとも取れる貌で祐介を睨みすえ、荒い呼吸を整えるように数回息を吐くと言った。
「お前、今」
『少なくとも10秒は』早い――それが何を意味しているのか。
さっと祐介の顔色が濁ると、彼はゆっくりため息をついて拓也を上目遣いに見上げる。
「月島さん。チーム『雫』は、楽しんで走る為のチーム。ぎりぎりの速さを求めるチームじゃないでしょ」
そして今度こそ笑みを浮かべる。
「ちゃんと謝っておきましたからね。ついでに、敵も取れれば良かったんでしょうけど」
「!」
拓也の顔色が悪くなり、一歩下がるようによろめく。
祐介の貌から笑みが消えると、さらに彼は続ける。
「無茶な走りをする月島さんを止めさせる為に、『楽しんで走るチーム』を結成したんですよ。瑠璃子さんの提案でね」
緊張感。
沙織も瑞穂も心配そうに遠巻きに見つめるしかない。
元々祐介の呼びかけで集まった彼女らだが、沙織自身はそれ以前から走る事の楽しさを知っていた。
『走れるならいいよ』
沙織は祐介が思い詰めたような真剣な表情で来た時、そう軽い言葉で答えた。
――あんまり思い詰めた貌をしてたら、ゆーくんらしくない
積極的に明るく、努めて元気に彼に話しかけて、この『雫』では沙織自身が雰囲気を支えるような形になっていた。
だから、二人が何に向かい合っているのか、どちらにしても今彼らの側に行く事はできない。
「…月島先輩、妙に速い人に噛み付く癖、ありましたよね」
「そうだよね」
瑞穂は、彼女自身の出来る事を、と参加した。
瑠璃子の事は良く知っているから、助けてあげたいとも思ったから。
でも、彼女は車で楽しむという事を理解できなかった。
何故拓也や沙織は、そんなに走ることに執着できるのだろう、とも思った。
友人としてつきあいのあった沙織や、高校時代の生徒会での拓也は判る。
有る程度の性格は把握してるから、彼らの楽しそうな雰囲気や張りつめたように集中する事は理解できた。
彼女の目から見れば、そんな中で祐介は奇妙な存在に映った。
別に、楽しそうにも見えない。
速さを求めるにしては、走る回数も少ない。
一緒に行ってるのに、一番走らないのが彼だった。
確かまだ拓也とタイムレースをした事もないはずだ。
いつか、ぶつかる。
それがたまたま今日だった――彼女にはそう言う感じに映っていた。
「……何故祐介さんは、今まで全力で走っていなかったんでしょうか」
「え?」
沙織は眉を寄せて首を傾げる。
「だって、今の彼のタイム…間違いなくいつもより5秒以上早かったんですよ」
それは、一つのサーキットにしても同じ。
僅かな時間と思えるかも知れない。
だが一秒を縮めるのにどれだけの努力を必要とするのか。
それは計り知れない頂上を目指す一歩に過ぎないようでいて、あまりに大きい。
拓也が噛み付くのも当然だろう――今まで本気で一度も走っていないのだから。
それだけならいい。
決まって全力を出さず、常に一定のリズムで走れるというのは、それだけ腕がなければ不可能だ。
そんなとんでもないドライバーのようには見えない。
だから拓也は化け物を見る目で祐介を見下ろしている。
「僕はもう、お別れかな」
拓也の視線に呟いて、肩をすくめる。
「走るのを辞めてくれませんよね、月島さん?」
「ああ、辞めない。祐介君、ここで降りるなんて言わないんだろう」
焦り。
祐介は小さく笑うと、再びZZのコクピットに戻る。
ばたん、と扉を音を立てて閉じると、彼の側を抜けて再び道路へと向かう。
――久々に、そう呼んでくれましたね
EG6の後ろに滑り込むと、彼は満足げに微笑みを浮かべて、車外へとでた。
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解説