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Cryptic Writings 
Chapter:5

  第4話 『光』

前回までのあらすじ

  裕の前を塞ぐことのできない自衛隊。
  彼は悠然と軍隊を突破し、彼女の元に辿り着いた。
  名前を付けてくれないかという彼女の申し出に、戸惑いを覚えていた。

        ―――――――――――――――――――――――
Chapter 5

主な登場人物

 柏木耕一
  梓を認めたくても認めにくい位置にいる。
  現在、祐介の行動まち。

 柏木 梓
  現在耕一の追っかけ中。
  行動力では恐らく姉妹随一。

 長瀬祐介
  現在、情報を握る『生体兵器』。まだその正体ははっきりしない。

 月島瑠璃子
  拓也の妹。電波の感応力が最も高い。
  純粋な感情は、彼女が嘘をつけない存在にしている。

        ―――――――――――――――――――――――



    轟
 

 空気を切り裂く音が聞こえる。
 ジェットコースターよりも激しい振動と上下運動に、祐介は気分が悪くなっていた。
 運んでいる耕一も祐介の雰囲気が変な事に気がついて、青い顔をしている彼に声をかける。
「…休むか」
 ちら、と後ろを振り向く。
 梓もかなり遠くにしか見えない。全力で移動しているのだから仕方がないだろう。
 丁度いい場所はないが耕一は足を止めた。

 人気のない街を彼らは移動していた。
 車が運転できる人間はいないし、電車は停電で止まっている。タクシーは走っていない。
 これで月島の『気配』を辿る為には、鬼の脚を使うしかない。
「はっ、こ、こう…こういっ」
 大きく肩を上下させて、顔を真っ赤にさせて自転車をついてきたのは梓。
 彼女の運動能力が耕一ほど強くない事に気がついて、自転車でついてくるようにした。
 と言っても、のろのろ走る車並にぶっ飛ばしてきたのだ。良く自転車がもっているものである。
 にやにや笑いながら彼女を迎える耕一。
「大丈夫か?」

  ばき

「んなわけあるかいっ」
 全力のアッパーカットが耕一の顎にヒットする。
「あう」
 油断していた訳ではなくて、梓が殴り慣れているのだ。
 流石に脳が揺れてふらふらと倒れる彼を、祐介が笑いながら後ろから支える。
「仲がいいですね」
 耕一が肩をぴくっと震わせて、梓はかーっと顔全体を赤くする。
「なっ」
 僅かに笑いながら頭をぼりぼり掻いて、彼は祐介から身体を放した。
――成長ないな、こいつのこういうところ
 子供っぽいと言うのだろうか?
 不器用と言う方が、歳相応かも知れない。

 耕一が祐介と瑠璃子を抱え、梓が自転車で走って追いかけてくるというパターンだが、梓がそろそろ参り始めていた。 
――まぁ、それはそれとしよう
 自転車をこいで耕一らについてこいと強要するのも無理がある。
 祐介の方も抱えられている分負担が大きいだろうし。
 それは後で考えるとしよう。
「さてと、まだまだ東京駅まであるが、本当にこっちの方で正しいのか?」
 祐介は彼の問いに、目を閉じてゆっくり首を振る。
「僕には判りません。その…瑠璃子さんのレーダーに引っかかった物を追っているだけなんです」
「それに、俺達も引っかかったって訳だな」
 こくん、と彼は頷く。
「そうなんです」
 耕一はもう一つ思い当たる物があった。
「…それって、『俺達』の同族でも勘違いする可能性が有るんだよな」
「ええ」
 耕一は梓の方に眼を向ける。
 梓は即理解して頷いた。
「わかった、柳川の事だな」
「ああ、携帯…もってるか?」
 PHSだけどね、と言いながら彼女はポケットから取りだした。
「祐介、心当たりがもう一人いる。間違わないようにこっちで押さえてしまおう」
「お任せします」
 梓からPHSを受け取り、すぐに覚えている祐也の携帯の番号を叩いた。
 

  ぴ ぴ ぴ  ぷるるるる  ぷるるるる

  がしゃ

「柳川?」
『あー、どちら様ですか?』
 戸惑って思わず切りそうになった。
 低い声を期待して、聞き慣れない男の声を聞いたからだ。
『柳川くんなら、ちょっと話せない状況なんですよ』
 だが、どこかで聞いた覚えがある声だ。
 そう、隆山で…
「もしかして長瀬さんですか?」
『ん?ああ、君は耕一君かね?元気してたかい』
 例の事件以来ずっとお世話になっている刑事だ。
 相変わらず、緊張感のないゆるい話し方に耕一の苛立ちが焚き付けられる。
「それどころじゃないでしょう?柳川さんはどうしたんですか」
 彼の応答が、一歩間違えたら誘拐犯か何かに間違うような物だったことに苛立っている。
 取りあえず柳川の事は長瀬は知らない。だから、さん付けで呼ぶ。
『…そうだな…今、入院中だよ。それも警察の精神病棟だ』

 耕一が息を呑むのが判った。
――何かあったんだ
 会話からも想像できるが、彼の様子で梓も気がついた。
 梓も柳川の事は知っている。顔の長い刑事と一緒に、いつも千鶴姉を虐めに来ていた刑事だ。
 隆山で危ないところを助けて貰った事もある。
 悪い印象はないが、『鬼』であることと、妙に殺気だった冷たさが気になった。
 まだ彼女は彼が叔父であることは知らない。
 事件の時、日吉かおりの捜索や彼女の見舞いに行っていたせいで、会っていないのだ。
 耕一からPHSを受け取りながら、心配そうな表情を浮かべる。
「どうしたの?」
 耕一の表情は重いまま、変化しない。
 苦々しく口をゆっくり開く。、
「誰かに襲われたらしい。…奴が…そんなに簡単にくたばるたまとは思えないのに」
 精神病院だと確か言っていた。
「催眠術か何かって言ってたが…」
 耕一は首を振って祐介の方を向いた。
 

  ばしっ

 その時、奇妙な音が聞こえた気がした。
「耕一さん」

  ふぉん

 悲鳴のような祐介の声がかき消され、二人の間に何かが走る。

  ちり
  ちりちり

 空気中を放電するような音。
 祐介も耕一も、皮膚が引きつけをおこすその感覚を覚えていた。
「長瀬ちゃん、あそこ」
 瑠璃子が指さす方向にそこにいた全員の視線が向かう。
 そこには男がいた。
 長身痩躯の糸目の男。一目見て感じたのは『さわやかな男』という印象だった。
 だが細い糸目は若干彼の表情を誤魔化している様な気もした。
 喩えるなら、どこかのSFなんかに出てくる超能力者。
 悪役よりは主人公だろう。
「…あれは」
「月島さん!!」
 薄ら笑いを浮かべたまま、彼は足音を立てずに一歩進む。

  ふぉん

 再び、空を割くような音。
――空電現象の…そうだ、球雷の音だ
 祐介が月島さんと呼んだ男を、耕一は見つめた。
 奇妙に存在感の薄い男だ。確かに長身痩躯ではあるが、ひょろっと長いというよりも鋭く細いと表現すべきだろう。
 それだけ冷たさが漂っているのだ。
「っ!!下がってっ」

  ばしぃっ

 明らかな殺気に、耕一は梓を抱えて後ろに大きく跳躍する。
 それぞれ道路の左右によけた祐介達の真ん中に、大きな穴が開いていた。
 まるで、スプーンですくい取ったような滑らかな断面が湯気を立てている。
「一体どうしたんですかっ、僕らが判らないんですか?」
「…長瀬ちゃん」
 口調は変わらないが、表情が苦しそうに見えるのは祐介の主観だろうか。
「瑠璃子さんに怪我でもさせる気ですか?」
 だが、彼の訴えは聞き入れられなかった。
 さらに一歩、ゆっくり彼は近づいてくる。
 
 ― ユウスケハオヒトヨシダカナラズジャマヲスルニチガイナイ ―

 さらに一歩。
 彼の表情は愉悦に歪んでいる。
「くっ」
「祐介、下がれ」
 だがその間合いは耕一の『一歩』に十分な距離だ。
 止める間もない。
 鬼の力を引き絞って、一気に地面を蹴った。

 人間の姿をぎりぎり保って鬼の力を振り絞るのは容易ではない。
 完全に解放してしまう方が精神的に楽である。
 その緊張した状態で、耕一の一撃の間合いに入っていた。

  にや

 爪を振り降ろす瞬間、彼の笑みを見た。
 心臓を鷲掴みにされた瞬間だった。
 爪が青年を切り裂く、その瞬間。

  ばしっ

 爪が、まるで崩れるようにして彼の目の前で弾けた。
 耕一はその場に勢い余って倒れる。
 もんどりうって道の端の壁に激突したが、すぐに彼は立ち上がる。
――くっ
 あの笑みは、確かに殺気だった。
 奴が手を抜いた訳ではない。偶然にもよけることができただけだ。
 もし避けられなければ、伸ばした爪どころではなかっただろう。
 今なら、祐介と丁度挟むような格好である。
「月島さん…」

  ばちぃ

 放電が二人の間に走る。
 電撃の様なそれは、彼らの周囲に立ち上っている。
「それ以上続けるなら考えがありますよ」
 うねりが二人の周囲に発生する。

  甲高い音

 数m離れた二人の間に輪が見えた。
 ほんの一瞬だけ、光に輝く輪が、二人の間に立つような形で現れた。
「…僕は瑠璃子さんを守る」
 その瞬間、鋭く細い殺気が走った。
 拓也から祐介へ。

  がしっ

 コンクリを殴るような鈍い衝撃音と同時に、祐介は身体を前傾にして両足で踏ん張る。
「うぁあああああああっっっっっっっ」
 祐介が叫び声を上げた時、彼の周囲が歪んだような気がした。
 高密度に圧縮された空間が、一気に弾けたようにも見えた。
 拓也の殺気が、一気に霧散する。
 次の瞬間、拓也へと塊が襲いかかる。
 正にそれは塊としか表現のしようのない物だった。

  ばきぃん

 干渉音が拓也の周囲で響いた。
 撓んで見えた彼の周囲も、すぐに元に戻る。
――?手応えがない
 祐介が戸惑った瞬間、拓也の右手が瑠璃子に向けられる。
――ちぃっ
 ぼうっとした表情の彼女。
 ほんの僅かにその表情が歪み、そして目を閉じた。
「お兄ちゃん」

 祐介が、彼女の前に立ちはだかった。
 そして、耕一が強引に爪で拓也を切り払った。
 それはほぼ同時だった。

 耕一は壁を蹴って殆ど真横に跳んだ。
 祐介の攻撃に合わせて、隙のできた拓也に攻撃を加えたのだ。
 今度は小さく爪を構え、最も小さな動きで拓也の意識を奪う。
 それが最良のはずだった。
「はぁ、はぁ」
 耕一は転がるように着地して、片膝をついていた。
 びりびりと痺れる右腕を押さえ、向こうの壁際にまで飛んでいった拓也を見つめている。
――くそ、何でこんなに痺れるんだよ
 右手の指が自分の物ではないようにびくびく痙攣している。
 だが、完全に麻痺してしまっていて言うことを聞かない。
 それだけではない。
 確かに爪は命中したのに、爪は粉々に砕け、拓也の方は殆ど無傷なのだ。
「お前は月島さんじゃない」
 祐介が怒鳴る。
「月島さんなら、瑠璃子さんを傷つける様な真似はしない。
 瑠璃子さんなんて殺そうとなど考えるはずがない」
 祐介の言葉は理解できないが、先刻の手応えは明らかに人間ともコンクリートなどとも違う。
――何か異質な、形のない物だな
 少なくとも『鬼』の手に負える代物ではないようだ。
 耕一はそう理解した。
「誰だっ」
 耕一は思わず祐介の方を向いた。
 先刻までとは、雰囲気が一変していた。
 拓也への攻撃も純粋な力を感じたが、殺気は感じられなかった。
 だが今は、先程とは桁の違う『殺気』を感じる。
――普通の人間が、これだけの殺気を出せる物なんだな
 ある意味感心していた。
 そしてその殺気はすぐに実体化する。
 形のないものが拓也に向かった。

 何かを削り取るような固い、崩れる音。
 同時に、そこにいた全員に伝わる声なき叫び。
「っ…!」
 そして、耕一は先刻までの青年が、半身を砕いた少女に姿を変えていたのを見た。
 それは耕一にも見覚えのある姿だった。
 祐介は表情を強ばらせ、睨み付けるように彼女を見つめている。
「…太田さん」
 祐介が言葉をこぼした瞬間、彼女は地面を蹴るようにして宙に浮いた。
 そして初めて――本当に初めて――苦々しい表情を浮かべた。
 それは怨嗟の表情。
 彼女はそのまま姿を失うようにして消える。
「瑠璃子さん、トレースできる?」
「うん。もう追いかけてるよ」
 彼女の表情は決して変わらなかった。
 まるでその硬い表情は人形のようだった。
 

「耕一さん、大丈夫ですか?」
 祐介はすぐに耕一の元に駆け寄ってきた。
 続いて梓も走ってくる。
「耕一」
「ああ、大丈夫。なに、伸ばした爪がやられただけだからな」
 こきこきと首の骨を鳴らして彼は掌をひらひらさせる。
「…それより」
 頷く祐介。
「ええ。あれが先程言った女子高生です。…彼女は『Lycanthrope』です。人間ではありません。
 月島さんの『作った』人形に過ぎません」
 耕一は表情を厳しくして口を真横に結ぶ。
 人形という言葉に抵抗を覚えたのも確かだが、それにどんな言葉を使って表現しようとも否定できないものが感じられたからだ。
 自分が鬼であることと、同じように。
「彼女は」
 耕一の様子に気づかないのか、祐介はそのまま続ける。
「月島さんが高校生の時に殺害…した少女です」
 耕一の表情が凍り付いた。
 だが正確には殺したわけではない。
「あれはその姿をとっていますが、実体は全く別の物です。…ですが、『宿主』である月島さんから離れて独立して動いている。
 これは、実は危険な事なんです。『Lycanthrope』が暴走してしまっているんです」
 彼の肩を叩く影。
 目を閉じた瑠璃子が、振り返る祐介の顔を覗き込んでいる。
「見つけたよ」
 彼女の手に触れて、祐介は頷いた。
「大急ぎで、お願いします」
 えーっ、と声を上げる梓。

 耕一は振り向いて彼女の方を向いた。
 まだ全力で移動していない耕一に追いつくので限界だというのに、これ以上早く走る事ができないからだ。
 ぷっとむくれて嫌な顔をする梓に、耕一はため息混じりに宣告する。
「…梓、お前は後から追いかけてこい。悪いが、置いていく」
 梓の眉間に皺が寄る。
 あんまり怒ると皺が残るぞ、梓。
「どうせお前が来たところでどうにもなる訳じゃないだろう?」
 判ったわよ。判ってるよ。今更、言われなくても。
 表情にありありと浮かぶ、非難の表情。
 それでもそれに従うつもりはない。
――判って…るよ。足手まといだって
「――それだけじゃない」
 梓ははっとした表情になる。
 心を読まれたような耕一の言葉に。
「恐らく、危険な場所だからな」
――こいつ、こんな顔のできる奴だったんだ…
 梓は僅かに感心して、いつか楓に見せた耕一の表情を見つめる。
 そのせいで一瞬惚けたような表情をしているが、すぐに顔を元に戻す。
「ふん。…あたしの手助けがなくて情けない顔、してるんじゃないぞ」
「上等だ」
 梓は拳を作って、容赦なく耕一の胸を叩いた。
 どん、と鈍い音がして一瞬彼の身体が揺れた。
「待ってろよ」
「間に合えばな」
 
 腰に手を当てて睨み付ける梓。
 そのまま見送られる耕一は、祐介と瑠璃子の二人を小脇に抱きかかえる。
「…いいんですか?本当にあれで」
 小生意気な事に、彼は耕一に意見してきた。
 いや。
 この青年は以外に純朴な所がある。きっと本気なのだろう。
「良いんだよ。ほっぽって死ぬようなたまじゃないし」
 ちらっと瑠璃子の方に視線を向けて、再び祐介に声をかける。
「お前らとは違うさ」
 焦る祐介を見てくすくす笑うと、彼は一息に地面を蹴った。
――優しい声をかけるだけじゃ、駄目な事の方が多いんだ

 香奈子の姿をした木偶はかなりの速度で低空を走っていた。
 足と左半身が炎が棚引くように揺らめいている。
 恐らく半分透けて見える彼女を見た人間は『幽霊』だ、というだろう。

 ― ワタサナイ ―

 彼女は背後から迫る『邪魔者』から必死になって逃げていた。
 大急ぎで、自分のいるべき場所へ。

 血の、匂いがした。

 次回予告

  「貴様ぁっ」
  憤慨する拓也に、立ちはだかる裕。
  そこへ帰り着いた香奈子は。
  暴走した『Lycanthrope』に、祐介達は。

  Cryptic Writings chapter 5:LiVE aND LET DIE 第5話『暴走』

   『何とかなる』ってのが嫌いな性分なんだ。それよりも『何とかする』だよ

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