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Cryptic Writings 
Chapter:5

  第3話 『戦』

前回までのあらすじ

  「人工的に作り上げられた『兵器』だからです」
  祐介の思わぬ告白と、拓也の正体。
  だが、祐介は彼が危険な状態にあることに気がついた。

        ―――――――――――――――――――――――
Chapter 5

主な登場人物

 柳川 裕
  鬼。彼は生粋の狩猟者で、祐也の『鬼』を演じていた。
  カニバリズムの持ち主。

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 銀座。
 普段であれば、この通りは行き交う人々でごったかえしているはずだ。
 だが。
 この日に限ってそれはなかった。

  きしん

 金属を弾く音。
 もし聞き慣れた者であれば、それがコッキングレバーを弾いて弾丸を装填した音であることに気がつくだろう。
「フン…」
 茶番だ。
 彼はそう感じて鼻を鳴らした。
『ユウ、確実に彼らを集結させてくれ』
――…どうせ…
 彼女の読みはおおよそ正しかった。
 だが、自衛隊の反応は以外に遅い物だったのだ。
 首都圏で現在最も脅威となる部隊は朝霞、習志野、木更津だが、ここに来るまでに朝霞ですらまだ行動していなかった。
 仕方あるまい。
――我々の『仲間』が内部に十分に浸透しているのだから

 『Mastermind』は隆山で実験してきたA兵器の中でも最も良い出来だ。
 『Lycanthrope』の欠点は、それを自らに投薬するというコンセプトにあった。
 元来人間の身体は異物を排除するようにできている。
 その機構に逆らう事は非常に難しい。それだけではない。A兵器そのものにも問題があった。
 いわば人工の『ウィルス』である。
 彼らは取り憑いた人間の内側から破壊する方が適しているのだ。
 そう、初めから他人に投薬するように設計すべきだったのだ。
「『子供達』は全くの自由を持つ代わり、何にもできないのだ」
 コンソールの前で一人ごちる。
 神の意志と名付けられたそれは、人間の思考を砕き彼女の手足にすることができる。 
 思考という名の束縛から解放されるのだ。
「『仲間達』の指揮と護衛が、どうしても必要だ」
 次々に集結していく『子供達』の居場所は、彼女の脳内にある三次元地図に展開されている。
 膨大な数の『子供達』一人一人を把握することは難しいため、端末である彼女の分身――マルチ型から情報を得る。
 また逆にフィードバックもできる。
――人間の様に不完全なコミュニケーションしかできない下等な存在とは訳が違う
「さあ、どちらにしてもまず戦わねばならないのは――」

 ほんの一週間で、『Mastermind』は十二分な量を生成できた。
 十分な数の人間の脳を食いつぶすだけの。
『楽になる薬だ』
 そう言われて飲まされていた薬も、殆ど同じ物だった。
 騙された。
 いや。
 そうは思わなかった。思えなかったのかも知れない。
 何故なら。
 またばっと赤い炎が見えたような気がした。
――ふん
 命の炎が赤く咲くのを見ても何の感慨も抱けなくなった――いや、それは抱くための部品を失ったからだ。
 こんなマウスの実験がある。
 脳のある部位を注射で破壊してやる。
 そこがもし空腹を伝える中枢であった場合、『空腹』であることに気がつかずにマウスは餓死してしまう。
 満腹を伝える中枢であった場合、今度は際限なく食べ続けるようになる。
 今の裕は、まさにそのネズミ同様だった。
 御陰で、『狩猟者』の欲望をむき出しにする必要がなくなった。
 もう、隠れて人間を喰う必要性もないのだ。
 だがどうやらこの『狩猟者』の力は、命の炎を――生命を奪わなければ見ることのないその輝きを必要としているらしい。
 それが無くとも生きていることはできるが。
 そうだ。
 動物は食事をする。餌を喰う。その理由はなんだ。
 突き詰めれば、相手の命を喰らう事ではないのか。
 狩猟者という――エルクゥという生命は、恐らく直接命を喰らう事ができるのではないか。
 裕は自らの仮説を満足させるだけの経験がある。自らで殺したわけではないが、
このほんの小一時間で彼は全身に力が漲るのを覚えていた。
 すぐ側にいるマルチ型がつと彼を見上げる。
「裕様。我々に向かいつつある人間の集団があります」
 裕は目つきを変えた。
 集結させるのは、幽鬼の兵隊ども。その指揮をするのは緑色の髪の白い死神。
 そして、それを護衛するのが真っ赤な髪をした、黒いジャケットの部隊。
 戦闘用セリオ型ロボットだ。
「規模は」
 そして、それらを統括して指揮しているのが、柳川 裕だった。
「およそ1個大隊程度。現代戦基本型と思われます。方向は、首都高速付近」
 現代戦基本型とは、歩兵、戦車、砲兵の混成部隊を指している。
 通常、砲兵で叩けるだけ叩いた後に戦車を先導した歩兵が突撃し、陣地を掃討する。
 一番ポピュラーな形だ。
「たった1個か?…舐められた物だ」
 裕は凄みのある笑みを浮かべる。彼の『鬼』も戦いを目の前にするとやはり騒ぐらしい。
「…よし。良いだろう。1個分隊準備させろ。先行して、叩く」
「かしこまりました」
 戦闘用セリオ型、HM-13A。
 隆山で使用された、月島博士の初期型セリオである。
 型番にあるAは本家と区別するために付けられたもので、アルファベット順に改良されている事になる。
 Aは基本型に比べ戦闘力を重視しているため、比較的高速に動くことを重視している。
 漆黒のスーツに軽防弾ジャケット、各種ポーチを付けた格好は特殊部隊隊員の様に見える。
 それが14体。
「裕様、準備完了しました」
「…よし。残置に自律戦闘待機命令、続行しろ」
 短く命令されてマルチ型はほんのわずかに頷き、即座に命令を発信した。
「はい」
 彼女は、この部隊では『副官』の位置にいる。
 常に裕のすぐ側にいて、セリオ、マルチ達を統括する。
 そして、『月島』のマルチ型に全ての感覚が伝わるようになっている。
「裕様」
 裕は振り返らない。
「敵砲兵の射程に入りました」
「自衛隊なら撃てんさ。こっちには人質がいるからな」
 呟いて、彼は地面を蹴った。
 続くセリオ型は音もなく周囲に散開し、前進を開始した。
 裕の感覚に、敵の位置が鮮明に映し出される。
 鋭い嗅覚が獲物を捉える。
――もうすぐそこまで来ていたのか
 人気のない街を駆けながら、彼は距離を計り始める。
 1000、800、500…
 大きく全力で跳躍する。バネを使い、大きく胸を反らせて。

   ひょう

 風を切る音と同時に、彼は銀座の町並みを見下ろしていた。
――あれか
 暗い闇の中、ビルの影と影の間に細かい影が動いている。
 その様子はおどおどと暗闇に迷子になっている子供のようで。
 滑稽さに裕は声を出して嗤った。
――二流の軍隊め
 一瞬静止する裕。
 彼はくるんと宙で姿勢を変えると敵陣に向けて自由落下を始めた。
 

 射撃は一斉に始まった。
 敵の射撃は正確且つ巧みであり、どこから撃ってくるのか、敵の勢力がいくらなのか判らない。
「くっ、ひけっ」
 撤退命令を出そうとした瞬間に指揮官のこめかみが撃ち抜かれる。超一流のスナイパー以上の腕前だろう。
 銀座のビル街は、垂直にそそり立った谷間の様にも見える。
 実際意外と狭い物で、戦車があるだけで邪魔になる。
 通常は楯になる戦車も、ここでは障害物に過ぎなかった。

  ずん

 それが、信じられない音を立ててひしゃげた。
 金属が立てる音ではない。硝子が砕けるような甲高い音だ。
 

  ぐるるるるるるうううううううぁぁぁぁぁぁぁ
 

「うわああああっ」
 装甲板が文字通り砕けていた。
 あまりの衝撃に、まるで水に水滴を垂らしたような形に歪んでいた。
 そこに化け物が立っていた。
 黄金色の輝きを発する目を持った、3mはある巨躯の怪物。
 鬼だ。
「て、撃てっ」
 半狂乱になった兵士達が叫びながら小銃を鬼に向ける。
 が、次の瞬間、彼らは鬼の姿を見失った。

  ぶしゃ

 兵士の一人が弾ける。
 一人。
 もう一人。
 あっと言う間にそこは鮮血の鉄の薫りで満たされてしまう。
「わぁっ」
 そして、最後の一人が上げた言葉はそれだけだった。
 喩えるに、それはもはや戦いとは言えなかった。
 虐殺。
 一方的な殺戮に過ぎない。
 片や夜の市街戦に慣れぬ軍隊。
 片や夜眼の利く、正確な戦闘集団。
 どちらに分があるかは言うまでもないだろう。

「下らん」

  ごとん

 裕の足下に、何かが落ちた。
 それは兵士のかぶっていたプラスチック製のヘルメットだった。

  ぐしゃ

 それを、まるで紙屑か何かのように踏み砕いてしまう。
――くだらんぞ祐也。この程度の生物に、何故お前は執着していたのだ
 じわりと足下に染みが広がっていく。
 踏み砕いた物から、何かがはみ出ている。
――お前も誇り高い狩猟者の血を…俺と同じ『鬼』だったというのに
「…裕様。この先、集結予定地までの安全を確保しました」
 マルチ型は正確に情報を探り、裕に報告した。
 すなわち、この近辺にいたはずの兵士は皆殺しにされたと言うことだ。
 裕は自分の思考を中断して、マルチ型の方を向いた。
「よし、前進させろ」
「了解しました」

 東京駅八重洲中央口まで、彼らは難なく辿り着いた。
――本当は…
 ここにいる倍以上もの人間が、少なくともここには存在したはずだ。
 20体程の指令端末と、彼女らが率いる軍勢。
 今では、この街の人口はこれだけしかないのか。
 裕は首を僅かに横に振るとそれらに背を向け、ビルの中に足を踏み入れる。
 金属の匂い。かちゃりというスリングの金具が立てる音に彼が顔を向けると、衛兵のセリオ型はぺこりと会釈した。
「開けろ」
「かしこまりました」
 その部屋――正確にはコンソールルームと呼ぶべきだろう――は、厳重なロックが外れる音と共に暗闇を迫り出させた。
「…ユウ」
 続いて感極まった声が聞こえた。
 子供が楽しみにしていた物が届いた時のような、嬉しそうな声。
――…馬鹿な
 彼女は身体を翻して、裕の前に現れた。
 背中に、ディスプレイ等の電気的な輝きを受けて。
 何故?相手はただの人形だろう?いや、俺に何かの感情を抱くなど、あるはずないだろう。
 元来…感情などあり得ないはずだ。
 その思考は、僅かな時間彼を躊躇させるのに十分だった。
 それだけ、彼女の表情が――いや、彼女の行動が意外な物だったのだ。
 小走りに近寄ってきて、胸に飛び込んできた。
「待っていたぞ」
 ぽすっという軽い音。僅かに暖かい身体は、普通の人間と変わらなく感じる。
 鳩尾付近で僅かに身じろぎするのを感じて、彼は妙な物を見る目で彼女の頭を見つめた。
「首尾は」
 判らない。
 分からない。
 解らない。
 いや。
 多分、知らないのだ。
 裕は何が起こっているのか理解できないまま、ぎこちなく答えた。
「…上々だ。大した妨害でもなかった」
 彼女は顔を上げず、ただ腕に力を込めた。
「そうか…」
 そして離れる。
 一歩ほど離れて彼女は裕を見上げる。彼女にとっては裕は頭二つ程高い。
 まさに見上げる程の位置に彼の頭はある。
「何事もなく帰ってきてくれて、嬉しいぞ」
 ひとしきり喜んだ後で、彼女は怪訝そうに顔を歪めた。
「…どうした?」
「いや。…以外だっただけだ」
 冷たい表情で呟く裕に、みるみるうちに彼女は怒りの表情を露わにする。
 が、裕は淡々と言葉を続ける。
「これから世界を敵に回して、人間を手足のように変えようとするお前が」
 両腕を広げ、天井を仰ぐ。
「何の気まぐれか、この俺にそんな言葉を呟く」
 視線を戻した裕の目には、メイドロボを馬鹿にしたような姿の彼女が憮然と立っている。
 そう、メイドロボなのだ。
「…要するに信用してないって、事か」
 彼女の表情から険が消え、代わりに苦笑いの様な笑みを浮かべた。
 その表情が無機質に感じられるのは、彼女がロボットだからだろうか。
「…だから」
 彼女はくるっと背を向けた。
「私は、人間を…『普通の』人間を滅ぼそうとしているんだ」
 裕は僅かに眉を潜めただけで、何も言わなかった。

 Babylonのコンソールルームの中は、ただちかちかとディスプレイが時折瞬く位で、何の光もない。
 しかし、二人ともその程度の光でも十分な視界が得られる。
――成長…していると言う事か
 初めて会った時は、『あからさまに人間の振りをしている』のが解った。
 あの時には既に博士の作った『人工脳』が埋め込まれていたのだろうが。
――…それから博士の脳をコピー…した
 実際にはその時、彼は闘っていた。
 だから確認したわけではないが、次に目が覚めた時には目の前に既に彼女がいた。
 あの時彼女は幼げな顔立ちを醜く歪めていた。
『ふん、あれだけの騒ぎの中で全く無傷だっていうのも、信じられないけれどね』
『…名前は?』
 無機質で刺々しい、敵意の溢れる言葉。
 それが彼女の本来の姿を見せた直後の事だった。
 今思えば、全ての生命体に対する自己保存の本能だったのかも知れない。
 そこまで考えて彼は苦笑した。
――本能?馬鹿な。…でも、それなら感情もあるのか?
 感情の一部は本能の一部と直結している。
 自己保存の本能を持っているのであれば、『愛』や『怒り』を持てるはずなのだ。
 ただしそれには『自分と同類』、『もう一人の自分』と認められるものがあれば、の話だが。
 不思議な物を見る目で彼女の後ろ姿を見つめる。
 気づいたのか、気づかないのか彼女は振り向かずに裕に声を掛ける。
「ユウ」
 彼は一度瞬きして彼女の言葉を待った。
「…名前を、付けてくれないか」
 だがそれは唐突な言葉だった。
「は?」
 大抵の事では動揺しなかった彼女が、裕の反応にくるっと振り向いて彼女は立ち上がった。
「自分の名前だ。お前の呼びやすい名をつけてくれ」
 表情は読みとれない。元々人間ではないのだが、それは真剣な表情のようにも感じた。
――女性の名前…
「…嫌か?」
「唐突だな」
 頬が僅かに緩み、口の端が動く。
 恥ずかしそうな、困ったような笑み。
――…ディ…ル
「急には思いつかん。マルチ、じゃ、嫌なのだろう?」
 彼は頭の中で響いた声をうち消して首を振った。
――何でもいいのか?
 ため息のような吐息の後、僅かに声を出した。
「…一つ、提案がある」
 怪訝そうな表情を浮かべている。
 女王だった彼女、絶対者としての上司だったはずの彼女が、何故か弱く見える。
「これが…全て事が終わってから…」
 裕はゆっくり目を閉じる。
「でも、構わないか」
 きしきしと探るようにCCDの絞りが音を立てた。
――くるか
 裕は体内にあるナノマシンが自分の身体を制御する能力を持っている事を知っている。
『…死ぬんだよ。私がほんのわずか、機嫌を損ねるだけで』
 彼女の木偶として生きる為に、彼女が自分に仕込んだのだ。
 彼の言葉をまるでかみ砕くようにじっと裕を見つめ、やがてディスプレイの方に顔を戻して目を走らせた。
「…そうか」
 裕は目を開けた。
 かたかたという機械音以外、もうこの部屋には何の音も残っていなかった。
 

 次回予告

  『…そうだな…今、入院中だよ。それも警察の精神病棟だ』
  柳川の携帯から応えたのは長瀬警部だった。
  祐介達に襲いかかる月島拓也。
  その戦闘能力に、鬼は太刀打ちできるのか。

  Cryptic Writings chapter 5:LiVE aND LET DIE 第4話『光』

   お前は月島さんじゃない

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