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Cryptic Writings 
Chapter:4

  第5話 虚

前回までのあらすじ
  逃げ込んだ大学内部で彼らは敵に遭遇する。
  長瀬が拓也と出会い、彼の話を聞くことになる。
  梓に襲いかかった亡者共に、梓は隆山での事件を思い出していた。  

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Chapter 4

主な登場人物

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  ひゅう

 梓は思いっきり息を吐き出した。
 額に汗が浮かんでいる。
 気温は10℃前後だろうか、非常に両手脚が冷たい。
 激しく動いているというのに、全然身体が暖まらない。
 脱ぎ捨てたコートを着たいが、目の前の人間がそれを阻止する。
 今の彼女の格好は、タイトなジーンズに簡単な上着だけ。
「風邪ひいたらお前らのせいだぞ」
 バネのようにしなる脚が唸る。
 男の横っ面を弾き、男はその場で一回転まわって倒れる。
 いい加減彼女は息が上がりそうだった。
 既に二回、ダウンを取っている。
 少なくとも一人3回は起きあがっている。
――何なのこいつら…
 一人は目や鼻から血を吹き出したまま歩いている。
 もう一人は両腕を差し上げているが、片腕が変な方向に曲がっている。
 そして、一人は倒れたままびきびき動き、女性は首を変な方向に曲げたまま近づいてくる。
「梓!」
 窓から顔だけを出した耕一の声。
 彼女は再び地面を蹴る。
 そのまま女性に肩から沈み込む。

  ぼん

 そして、跳ね返るように地面を蹴って真横に向き直る。
 左拳。
 今度こそ、というぐらい勢いよく男の横面を打ち抜く。
 そして踏み込んで右拳が男の鳩尾を下から上へと突き抜ける。

  視界を遮るもの

 彼女は小さく飛び退いて重心を入れ替え、右足を振り上げる。
 奥の方にいた男が、思わぬ動きで踏み込んできたのだ。
 倒れそうな男の向こう側から、大きく腕を振ってきたのをかろうじてかわして蹴る。

 時間にしておよそ20秒。
 最後の男がぐらりと傾いて倒れたとき、窓から耕一が乗り出していた。
「梓、大丈夫か」
 顔も、腕も真っ赤になっている。
 これだけ寒い中でこんな格好していれば当然と言えば当然だが。
「全身から湯気が上がっる」
 気がついた耕一がコートを拾って近づいてくる。
「平気だよ。しつこ…」

  がさ

 その時、梓が目の端に認めたのは、赤い目だった。
 動いた瞬間に踏み込んだ耕一は、そのまま脚を振り上げて起きあがりそうになった男の脚を踏みつける。
「確かにしつこいな」
 先刻自分で始末した男も、あれからまだ立ち上がってきた。
 気を失う、とか痛みを感じるというものがないようだ。
「手加減してたらやられてしまう」
 ぎりぎりと苦しそうにもがく男を見下したまま、彼は呟いて男の胸ぐらを掴む。
「…できる限り、怪我をさせたくないけど」
 そしてそのままの体勢で、身体を捻るようにして残りの二人に向けてぶん投げる。
 起きあがりかけていた残りの二人も、それで縺れるようにして倒れた。
 今のでしばらく時間が稼げる。
「着ろよ」
「ちょ、いいよ、汗で汚れるから」
 乱暴に差し出したコートを、梓は両手で押し返す。
 耕一は初めて気がついたみたいに目を丸くする。
 そして、彼は自分のジャンパーを脱いで彼女の肩から掛ける。
「寒いだろ?そんな格好で風邪ひかれたら、こっちが困る」
 そして彼は全身の筋肉に音を立てさせる。
 鬼の力を解放に近づけるのだ。
「取りあえずこいつらをやっちまおう」
 梓に背を向けて、彼は呟いた。
 

 大学構内で『敵』になったのは、今まで出てきた4人だけ。
 一人は教授で、残りは全部学生。
――こいつらに共通点があるのかな
 悪いが動けなくなるように適当なおもりを彼らの身体につけさせてもらう。
 大学だけあって、様々な普通じゃないものが揃っている。
「さてと。…梓?」
 最後に教授に針金で両手脚を逆さまに縛って教卓をくくりつけた時に、梓が肩を叩く。
 指先のような小さな感触だ。
 彼女は目を見開いて一点を見つめている。そして、そちらを指さしている。
 夕闇に隠れた正門の付近。
 閉じられていたはずの正門が大きく開け放たれている。
 そして、亡者共の群がのそりのそりと構内に這い出していた。
 何より、彼らの先頭。

 真っ白い服を着込んだ可憐な少女。
 いや、耳あたりについた特異な形状。
 純白の衣に身を包んだ彼女はミサイルのシーカのような瞳をあたりに向けている。
 暗い瞳。
 それが、まるで何かに教えられたようにこちらを向いた。
 余りに人間離れした動きに二人は戦慄する。
「メイドロボ…」
 耕一はその正体を直感的に悟っていた。
「戦闘用の、だ」
 ならばやはり、隆山の事件と関わりがあるのか?
 憶測のような思考が彼の頭を駆けめぐる。
 殺戮の天使が奇妙な動きで彼らを指さした。
 その動作は人間臭さのあるメイドロボではなく、ばね仕掛けの人形だった。
「…逃げよう」
 あれだけの数、耕一一人で持たせられる訳がない。
 二人は急いである実験棟に入った。
 唯一明かりのついていたここを元々目指して来ていたのだ。
「由美子さん?」
 彼女は気を失ったまま椅子に座り込んでいる。
 このまま放っておくのはまずい。
 すぐに小脇に抱えて明かりのある部屋を探して廊下を走る。
「…この上」
 梓が指を差す。
「人の声が聞こえる」
 確かに、二階ぐらいに気配がたむろしている。
 耕一は頷いて階段に急ぐ。
 廊下の明かりが消灯していて、昼間とは全く違う世界ができあがっている。
 この大学そのものはかなり古く、構造が堅牢なだけの建物だ。
――巧く籠城できるかもしれない
 暗い階段を駆け上がると、廊下からの明かりが壁を照らし上げているのを見た。
「間違いない」
 踊り場まで出た時、耕一の耳に叫び声のようなものが届く。
 彼は一足飛びに二階の廊下へ飛び出して、その方向を向いた。
「くそっ、こらっ」
 バットのような棒きれが扉の隙間から出ている。
 そして、扉の外で扉を開けようとする亡者二人に抵抗していた。
「ちっ」
 少し遅れて踊り場に飛び上がってきた梓は、それを見ると耕一が止める間もなく飛びかかる。
 声を掛けるより追った方がよい。
 即座に判断して由美子を廊下に横たえると地面を蹴った。

 亡者たちはできる限りの速さで。
 物音に驚いた人間がそっちを向くよりも早く、まるで先刻のロボットのように一斉に顔をこちらに向ける。
――遅い
 梓は彼らの顎が自分の方を向くのに合わせるように真横に拳を振っていた。
 どろっと濁った目が梓を捉えるのとほぼ同時。
 男の頭は弾けた。
 崩れる前に梓の蹴りが鳩尾に入る。
 もう一人が動こうとして腕が振り上げられる。
 だが彼は一気に視界の外へと弾き出された。
 まるで木の棒のように縦に一回転して廊下に叩き伏せられる。
「邪魔だ」
 梓が僅かに間合いを開けたと同時に、耕一は梓の前の亡者に裏拳を叩き込んだのだ。
「全く、無茶につっこむ何て真似は止めろ」
 咎める口調にも梓は決して怯む事はない。
「なんだよ耕一。人助けじゃないか」
「…お前なぁ」
 胸を張って言う彼女に、彼は頭を抱えてみせる。
――こんな奴だったっけ?
 耕一の知っている梓は直情ではあったが、ここまで好戦的じゃなかった。
「誰だ」
 二人の会話に割り込むように、文字通りバットが割り込んでいた。
 扉は僅かに開かれており、そこから人の顔が覗いている。
「…って、柏木君かい?」
 耕一の顔を見るなり素っ頓狂な声を挙げた。
「助かりました、先生。覚えてなかったらどうしようかと思いましたよ?」
 彼は大げさに肩をすくめて見せた。
 部屋は彼の研究室で、彼は耕一を良く知っている教授だった。
 彼は工学の教授で、耕一の最も興味が惹かれた学科である。
 だから普段の彼の授業から、真面目に受けていた。
 由美子を助け起こして教授の部屋の入る。まだ彼女は気を失っている。
「ほれ」
 彼は二人分のコーヒーを耕一達の前に出した。
「しっかし…何が起こっているんだ?」
「先生、それを俺達に聞かないで下さい。これでも自分家から逃げて来てんです」
 耕一の言葉にほう、と応えるとにたりと笑みを浮かべる。
「んじゃぁ…そこの娘は」
「違います!」
 梓が顔を真っ赤にして即答する。
 おいおい、それじゃあんまり露骨じゃねーか?
「こいつは従姉妹で、連休で遊びに来ているんですよ」
 言いながら、『従姉妹』何だよなと頭の中で反芻する。
 ちびっとだけ、罪悪感のようなものが横切る。
――悪い事じゃ、ないんだよな…
 今更後悔している耕一。
「別にこいつは…」
「何だかんだ言っても隅におけないんじゃないか?」
 聞いちゃいねえ。
 取りあえず強引に話を変えるしかないだろう。
「それより教授、ここにテレビか何かあります?」
「…あればとっくに見てるわ。ネットにリアルタイムに流れてないか?」
 彼の部屋には学内LANのUNIX端末と、電話線がある。
 どうやらこの部屋そのものは『無停電』状態にあるようだ。
「実は密かに衛星アンテナを大学の屋上に設置しようとしてな」
 言いながら窓の一部を塞いで通るケーブルをつついてみせる。
「驚いたよ。同じ方向に幾つも立ってるんだよね。御陰で簡単に設置できたけど」
「じゃぁ、衛星回線を使えるんですか?」
「安いもんだよ?早いし。下り回線だけだけどね」
 彼の言うとおり、見たことのない速度で次々にページが開かれていく。
 ニュースページ。
 日付が今日の分はまだ更新されていない。
 ある伝言板のページ。
 まだ事件が起こった時刻を過ぎていない。
「うーん」
 しばらくニュース関連のページを調べてみたが、特にそれらしい情報がない。
「…どういう事だろう」
「ここが最初か、事件は全国同時に起こっているか」
 少しだけ悪戯っぽく言うと、教授は肩をすくめる。
「やっぱ、まだリアルタイムな情報源としては未発達と言うべきかな」
 情報量は確かに多い。
 世界中であらゆる――無駄な物を含めて――情報がそこに収められ、どこからでもアクセスできる。
 だが、まだラジオやテレビなどの情報に比べてその質は落ちる。
 と言うより一般的な情報源とならないと言うべきだろう。
「…教授ぅ」
「情けない声を出すな。彼女が呆れるぞ」
 彼は席を立つと、ごそごそとがらくたをあさる。
 しばらくしない内に彼は小さなラジオを出してくる。
「まだ動くかなぁ」

  がり  がりがり

 彼がダイヤルを操作するとノイズがなり始めた。
 明滅する赤い電源を示すLEDを見ながら、彼はチューニングする。
『ざ…只今は…りました情報によりま…』
「お」
 耕一が期待したような声を出した。
『現在東京地区周辺は大変危険な状態になっております。高速道路料金所は現在閉鎖されて…』

  ざぴっ がりがりがり

 スピーカーを壊すかと思うほど激しいノイズが入り、やがて何も聞こえなくなる。
「…壊れたのかな」
「使えねー」
 耕一が呟いた途端、扉がひしゃげる音と同時に、隙間から人間の顔が覗いた。
「ちっ、もう来やがった」

 扉は案外簡単に破壊された。
 そのどうしようもないぐらい簡単に壊れた扉から溢れる人間
 ――既に目は虚ろで何も映さない――に、先頭の男に全力の蹴りが入る。

  ぐしゃ

 男は簡単に頭を仰け反らせて動かなくなる。どうやら首の骨を折ったらしい。
「やぁっ」
 梓の軽い気合。
 さらに小さな塊が、頭のない男の腹部に直撃する。
 勢いが、止まる。
 小さな扉の真ん中で梓と耕一が、奴らと押し合っている。
 見れば廊下にはかなりの人間がいる。
――全て、『敵』だ。
「耕一、何とかならないのか?」
 耕一を見返す梓の頬に、赤い筋が走っている。
 肩から男を押さえる彼女と耕一に、信じがたい握力でつかみかかってくるのだ。
 少し油断すれば、すぐにでも身体を持っていかれそうだ。
「何ともなるかよっ」
 皆殺しにできれば。
 耕一は慌ててその考えをうち消した。
 今こうして拮抗しているが、そのうち必ず向こうの方から押し返されるに決まっている。
「うわあああああっ」
 横から教授がバットで殴っているものの、どれだけ効果が期待できるかは分からない。
――畜生…

  めき

 どこからともなく奇妙な音が聞こえた気がした。
 一瞬教授の顔が硬直する。

  めき

「だ…大丈夫かな」
 バットを振るう腕が鈍るのを見て耕一は聞いた。
「教授?」
「いや、この壁、実はさして丈夫じゃなくて」

  めきめき

「…嫌な音だな」
「あ」
 梓の声と共に、急に押し返してくる力が強くなる。

  めき…ばきゃ

 入り口が急に広くなる。
 途端、押さえきれない数の圧力が二人の周囲に溢れようとした。
「うわあああっ」
 叫び声。
 急に全身が重くなる感触。
 口を開いても声にならない。顔を、目を、口を、肩を、体という体を別の人間が叩きつける。
 まるで人間の海に溺れていく様な気分。
――梓っ
 恐らく壁が崩れる音が響いているだろう。
――…これで…
 何故か死を感じなかった。これで全てが終わる、そんな不思議な無意識だった。
 その時。甲高い音が頭を横切ったような気がした。

  きぃぃぃぃぃぃぃぃんんんんん

 それは後頭部から駆け抜けて脳髄を走る痛み。
 皮膚の直下を無数の虫が這い回るような悪寒。

  がぁああああああああああああ

 絶叫が響きわたった。
 

 しばらくして。

 耕一が正気に戻った時、彼は人間の中に埋もれて倒れていた。
「…う…」
 完全に気を失っている彼らの中から這い出して彼は頭を振った。
 壁際に置いてあった一部の器材は倒れたり崩れたりしている。その上に何人かの人間が倒れている。
 床には一面に人間が倒れている。
 この狭い部屋だけに10人近い人間が埋もれているようだ。
「梓、梓!」
 彼は梓が視界に入らず慌てて叫んだ。
 するとそれに応えるように、人の中から梓が頭を出した。
「だい…丈夫っと」
 ぽこっと彼女の頭が顔を出す。
「…一体何があったんだろう」
 今足下に転がる人の群に目を落として、耕一は呟いた。
 あの頭痛の後、彼らは停止した。
――何か関係でもあるのか
 埋もれている教授を助け起こしながら、彼はそんなことを考えていた。

「危なかったね」
 正門の前に、青年と少女がいた。
 奇妙なカップルだ。一人は色素の抜けたような蒼い髪をしている。
 目の焦点の合わない瞳は、薄い茶色。
 儚げな外見から彼女は非常に美しく見える。
「…まだ、終わってないよ」
 くすんだ茶色の瞳を大学の研究棟に向けながら、僅かに決意の色を見せる青年。
 痩身、童顔とも言える程の美少年顔。
 どちらもこの世の人間とは思えない奇妙な儚さを湛えている。
「『司令塔』を破壊しなきゃ」

 気を失った教授を置いて、取りあえず二人は教場へと向かった。
 多分、彼らは起きあがってこないだろう。
 何故かその確信があった。
「…耕一、その娘、起こしたら?」
 背中におぶっている由美子のことだ。あれだけのことがあったのに目が覚めないようだ。
「そうだな。…でも、今起こしてもあま意味がないと思うけど」
「…ま、そうだけど」
 教場にはまだ電気がついている。
 崩れた机の隙間からひょいと体を出した。
――!
 そこには白い服を着た緑の髪の少女がいた。
 但し、余りに機械的な動きで二人に向けた目は、人間の物ではなかった。


 次回予告

  青年との出会い。
  「…」
  追う者と追われる者。
  そして世界の動乱が始まる。

  Cryptic Writings Chapter 4:Sweet Child o'mine 第6話『嘘』

   御期待下さい。


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