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Cryptic Writings
Chapter:2

   第5話 真実

前回までのあらすじ

  長瀬は弟の頼みで工場を調べに行き、もう一人の柳川を見つけた。
  闘いの末、結局捕まってしまう。
  柳川はマンションを捜索中、信じられない物を発見する。
  『鬼塚』が、『柳川 裕』という名前だったこと。

        ―――――――――――――――――――――――
Chapter 3

主な登場人物

 長瀬警部
  今回の被害者その2。頭かち割られたけどまだ生きている。

 柳川祐也
  鬼。マンションの奥で見つかった書類を見て、彼は憤慨する。

 柳川 裕
  ?様々な理由でマルチ?に従っている。姿や声は祐也にそっくりである。

 マルチ(?)
  ショートをさらに切りそろえて、Tシャツの上にその時々に合わせて上着を着ている。
  下はスパッツとショートパンツを履いている。気分でこれも変わる。
  どうしてどこにそんなに着替えがあるのかは秘密である。
  

        ―――――――――――――――――――――――

 月が浮かんでいる。
 残念ながら下弦の月、21日位だろうか?
 半分にひしゃげた月が、彼を照らしていた。
 見据えるのは闇に包まれた工場。
 元、来栖川工業の下請けだった、名もない会社の最新鋭のファクトリーだ。
 恐らく、工場施設もまだ残っているだろう。
――ここに、長瀬さんが…
 あの時の連絡自体、不自然だった。
 恐らく捕まっていると確信して間違いあるまい。
 彼は小綺麗な2階建てのオフィスにしか見えないそこへ、ゆっくりと近づいていった。
 入り口は3ヶ所。
 正面の自動ドアと、恐らく従業員出入り口であろう小さなドア、後ろの駐車場から考えるに、裏の搬出・搬入扉。
 ガラス戸から覗くと、非常灯(常夜灯)すら明かりが灯っていない事に気が付いた。
 非常出口を示す緑のランプや消火栓の赤いランプが灯っていないのだ。
 真の闇。
 彼は訝しがって従業員出入り口の方を目指すことにした。

  ふわ

 高い塀も、警報装置も、鉄条網すら関係ない。ひとっ跳びで越えてしまうと、音もなく扉へ疾走する。
――…鬼…と、一人…
 だんだん強くなる気配。
 柳川の感覚は研ぎ澄まされたように鋭敏になっていく。
――近い。少なくとも3人
 一人は妙に離れた場所にいるが、二人はすぐ側にいる。
 従業員出入り口に取りついた彼は耳を澄ませてノブに手をかける。

  かちゃ

 以外にも、鍵はかかっていなかった。
 僅かに浮かせた扉の隙間から身体を忍び込ませ、音を立てないよう気を付けて再び閉める。
 中は真っ暗だった。機密性の高い工場なのだろう、窓も明かり取り用の小さなものが上にあるぐらいなのだ。
――狭い部屋だな
 区画割りされた部屋。そこは大きな窓がついていて、工場内部を見渡せるようになっている。
 だがそこから見えるのは高い天井と低い壁に囲まれた廊下があるだけだった。
 無機質で、そこにいる者を不安にさせる空気。
――まだ気が付いていないのか?
 鬼の気配はさっきと変わらない位置で変わらないままいる。
 彼は長瀬だとかんがえられる気配へ向けて移動を始めた。

「う…」
 顔がひび割れるようなひきつりに現実に一気に引き戻される。
 目を開けても、そこは真っ暗な空間だった。
 一瞬記憶が混乱するが、手首をきつく縛られていて動けなかった。
――捕まったのか…
 理由は分からない。
 あれだけ血の臭いのする場所であれば、彼も当然殺されると思っていた。
 今血の臭いがしないのは、それだけ時間がたったからだろうか。彼はゆっくり頭を巡らせて、頭を振った。
 人間の目では何にも見えない。
 若干光が射し込んではいるものの、ここはどうやら部屋のような場所らしく、彼の顔に当たる細い光条があるだけ。
 ため息を付いて彼は縛り付けられている物を見ようと後ろを向いた。
「っ」 
 白い人の顔。落ちくぼんだ二つの闇と思わず目が合う。
 一瞬息が止まるかと思った。目の前に人間の頭蓋骨があった。
 いや。
「…メイドロボのフレームかぁ」
 よく見ればそれは金属の光沢を持ち、あるはずのない筋が見える。
 考えれば何も不自然ではない。ここはメイドロボを造っていた工場だ。
 メイドロボのフレームからは幾つも配線が出ていて、これから表皮の『塗装』行程に入る物らしい。
 彼はどうやらその機械の一部に固定されているようだ。
――他にいい場所がなかったのかねぇ
 案外落ち着いた調子で彼は考えていた。
 顔の上をぼろぼろと崩れていくのは、多分かさぶただろう。
 自分の身体はほとんど問題はない。
 若干頭が重いのは、恐らく頭を殴られたせいだろう。
 脇の重さからして、銃も奪われたわけではないらしい。
――何を考えているんだ?
 手首に食い込む冷たい感触からどうやらワイヤーロープのようだが。
 取りあえず生きてさえいれば何とかなる。
 今まで刑事をやってきて、それも前線とも言える一課に勤務して、彼は良い意味での度胸が付いていた。
 だから彼の目の前で鍵が弾け飛ぶ音がした時も、彼は落ち着いていた。
――?鍵をかけていたのか?
 同時に、何故その鍵を壊す必要があったのか、妙な疑問が頭に浮かんだ。
 軋む音すら立てず、彼の前に人影が現れた。
「私を殺す相談でもしてたのかね」
 恐らく皮肉に聞こえただろう。長瀬はそう思うと口元に苦笑いを浮かべた。
 だが、人影に浮かぶ赤い瞳は彼を見下ろしたまま、微笑んだようだった。
「よかった」
 柳川は安堵のため息をもらした。
 彼の見る限り、大きな怪我を負っているようでもないし、何より彼の言葉に安堵した。
「さすが長瀬さんだ」
「…?」
 冷静な判断を信条とする彼が、久々に目を丸くして驚いた。が、それもほんの一瞬の事だった。
「鍵を壊したのがわざとじゃなければ、柳川、お前なんだな」
「…どっちも柳川ですよ、長瀬さん」
 柳川は苦笑して、鬼の視覚を解除した。
 長瀬の顔がすっと闇に消え、部屋の中に差し込んだ星明かりがはっきりする。
「自分でも驚きましたけどね…」
 闇に慣れた長瀬の目でも柳川の顔を見ることができるぐらいだ。
 長瀬は柳川の表情を読みとろうとじっと見つめていた。
「…信用、してくれますか」
 長瀬は鬼をみたらしい。彼の赤い瞳を見て驚かなかったことと、彼の態度から柳川はそう感じた。
 説明しても無駄だろう。
 彼は今更何の説明をするつもりもなかった。
 同じ顔に同じ声。そして不本意ながら相手も鬼らしいということ。
 なんら、証拠がない。
 僅かな沈黙。しかし、柳川にはそれが異状に長く感じられた。
 根負けした柳川が先に声を出した。
「先に逃げて下さい」
 彼は長瀬の背後に回ると、長瀬の手首を縛るワイヤに指をかける。
 ほんのわずかに力を込めると、それは瞬時に寸断された。彼の、鬼の爪の力だ。
「それと…これを」
 彼はポケットから一枚紙を取りだして見せる。勿論闇の中でそれが分かるはずもないが。
「多分、何かの役に立つと思います」
 長瀬はそれを受け取ろうとしなかった。
「柳川」
 今それを受け取ると、すぐにでも姿を消してしまいそうだったからだ。
 彼は、目を凝らすようにして柳川の表情を見つめる。
「思い詰めるなよ。お前はそうやって勝手に突っ走ってしまうくせがある」
 長瀬には柳川が動揺するのが理解できた。
 これが、一日の長という奴だ。
「若いうちはそれでもいいが、たまには先輩の後ろで見るのも勉強だぞ」
 そう言って、彼は書類を受け取った。

 長瀬の話によれば、この中にあった電話を利用して携帯にかけたらしい。
「…それは犯罪じゃないですか?」
「五月蠅い」
 その途中、急に電話がかからなくなったという。
 同時に電源が落ちたように照明総てがダウンした。
 電話も切れたと言うことは、恐らく統合したケーブルを切断したか、何らかの細工をしたのだろう。
 彼の話を総合すると工場内部はおびただしい血痕が残っているはずだ。
「犯人は何を考えてるんでしょう」
 柳川は真っ暗闇の戦場に再び足を踏み入れた。
 再び解放された鬼の感覚。
――…?いない?
 だが、彼の感覚の中に『柳川』が見つからない。
 隠れてしまったようだ。
 歯ぎしりして彼は両腕を下げた格好で軽く身体を前傾させる。
「さてな。俺の知っている特殊部隊が局所制圧をする際に似たような方法を取ると言うが」

  ぱりんぱりん

 次々にガラスが割れる音と同時にどこかで低く唸る音が聞こえた。
「電気がついた…?」
 長瀬の言葉と同時に歯車がかみ合うときに立てる硬い音やぶうんという振動音が聞こえ、ほんの僅かに周囲が明るくなる。

  ひゅぉ

 柳川の身体が残像すら残さず消える。
 低く大きな音を立て、入れ替わりに柳川が現れた。
 長瀬も音に気が付いて柳川の方を見るが、そこには『柳川』が獲物を追って視線を上に上げているだけだ。
 手を、懐に入れて銃に手をのばす。

 柳川は身体をまっすぐに伸ばし空中で真っ逆様になり、下にいる裕を見上げていた。
 僅かな円弧を描き、柳川は裕と2m程の距離で相対する。
「…貴様」
 裕が口を開いた。
 僅かに構える柳川も、初めて見る光景だった。
 まるで鏡を見ているような不気味な光景。柳川は胸を締め付けられるような嫌な感覚が襲ってきた。
――同じ名前だったら、ドッペルゲンガーとかいうんだよな
 よけいな事が考えられるのなら、まだ余裕がある証拠だ。
「今頃何故現れた」
 対する裕は驚いていなかった。表情は憎々しげで、開く口の中からは鋭い鬼の牙が覗いている。
 まるで今まで忘れていたかったものが帰ってきたかのように。
「あんまりそっくりなんで、俺の方が困っているんだ」
 共鳴するように、柳川の身体に異変が起きる。

 長瀬は銃を抜くのが精一杯だった。
 腕が震える。指に力が入らない。
 強烈な殺気が、彼を先程捕まえた時とは比べ物にならない威圧感が彼の目の前の人物から放たれている。
「…全てを奪っておきながら」
 喋りながら身体が膨張する。彼の顔がさらに凶悪に歪み、肌の色が病的に変わる。
「まだ苦しみ足りないのか」
 そして、柳川の目の前には鬼が立っていた。
 

 工場の施設全てに電気が行き渡った。
 細かい部品を指令通りに洗浄し、組み立て、機械は休むことなく前日までやっていた作業を始めた。
――取りあえず、これは良いな
 工場2階、操作室。
 マルチは両腕を腰に当てて、モニタを見つめた。
 ラインのどこにも欠陥はない。1週間もあればここの材料はつきるだろうし、警察が踏み込んでくる可能性もある。
 だが彼女には睡眠は必要なかった。
 彼女には本来のマルチに含まれていた記憶の整理を行う理由がなかった。
 常に記憶にアクセスしながら、リアルタイムに整理を続ける事で睡眠を除いていた。
 そのための補助ノイマンチップを搭載している。
――…ん?
 彼女がモニタしているはずの下僕の動きがあった。
 操作室から工場内部を見渡せるように作られている。ここからならラインの異状も一目で分かる。
 その彼女のCCDカメラの絞りが急に小さくなる。
――ユウが二人?

 鬼の拳が柳川の頬をかすめて壁を打ち抜いていた。
 まだ柳川は鬼を出していない。
 鬼気に当てられて口が裂け、目が紅くなっているが完全に『人間』の姿を維持している。
――ナゼオレノマエニデテキタ!
 壁から拳を引きながら、反対側の腕が風になって襲いかかる。

  左耳に感じる風

 柳川は背を丸めて頭を下にして宙に浮く。
 逆さまに鬼の後頭部が視界に入っている。

  ぱぱん

 引き金の重いレボルバを連射するのは至難である。
 そのため、長瀬が銃を確認したように、通常一発目に入った空砲を実包に変えておくのが基本だ。
 鬼の後頭部、背骨が浮かんでいる部分に命中し、悲鳴が上がった。
 左足から着地した柳川は、右足をのばして叩きつけて、身体を一気に回転させて鬼の方を向く。
 鬼は悠然と身体を回転させて柳川と向き合う。
――…鬼、か
 彼は再び同じ言葉を呟いた。
 目の前にいるこの男は、完全に鬼に呑まれてしまっている。
 元の人間の人格という『もの』を感じられない。
 何かが欠けた、足りない物がある『者』だ。
「さあな、お前に何かが足りないからだろう?」
 気が付くと鬼の右手は柳川の目の前にあった。
――しまった!
 直撃を受けた彼はまるで人形のように弾かれ、すぐ後ろの壁をぶち破って転がった。
「柳川!」
 長瀬は思わず鬼に銃を撃った。
 癖で思わず足を狙ったのが失敗だった。
 太股と臑に一発ずつ命中したが、鬼はそれを意に介した風ではなかった。
 そのかわり頭だけを長瀬に向けた。

 奇妙な光景だった。
 彼女が見間違えるはずはない。『目』だけで彼をモニタしているわけではないから。
 体温、心音、脳波、筋肉が出す電流、磁場、全てが彼女の頭の中に入ってくる。
 それが今のユウの状態だった。
 だが、ほとんど同じ人間が、姿を変えたユウと闘っている。
 無駄だと分かっているのかいないのか、男は銃弾を鬼に浴びせる。
 ユウが感じる激痛が彼女に伝えられる。
「ユウ」
 思わず声を上げていた。

 背中がずたずたに裂けている。
 機械に当たって止まった彼は身体を起こしながら冷静に判断していた。
――止まれない
 激痛に顔をしかめて身体を起こす。
 もって数分だろう。さもなければ失血によるショックが彼を押しとどめる。
 銃声。
 鬼が顔を横に向けるのを見て彼は駆け出した。

  たん

 壁を抜けた柳川が数m跳躍する。空中で足を入れ替えるようにして右足を大きく振り上げる。
「くたばれっっっ」
 身体を左へ半回転させる。
 全身の力を、体重を込めて鬼の頭を大きく刈り、彼は崩れる鬼の背を蹴って着地する。
 彼の臑は丁度鬼の鼻先を叩いて、最初の銃創に衝撃を与えていた。
 鬼の後頭部から飛びかかるように接近し、油断せず彼は素早く銃を鬼の上瞼に押し当てる。
 大きく荒い息をしながら、彼は鬼の感覚を最大限に解放する。
「はぁ、っ…分かるだろう?いかに狩猟者の身体と言っても、ここをこいつでぶち抜かれればひとたまりもない」
 そして、だめ押しにもう一言付け加える。
「下手な動きをすると撃つ」
 柳川の指の速度と、鬼の腕が柳川にとどめを刺すその速さは言わなくても分かるだろう。
 鬼は観念したように動かなくなった。
 そして、ゆっくりとその姿を人間へと戻していく。
 完全に彼は柳川と同じ姿をとった。
 柳川は、ユウに銃を突きつけた格好のままでゆっくり片膝を付く。
 息が上がっている。これ以上は耐えるのが難しいだろう。

「…無様だな」
 ああ、無様だろうな。
「まだ生きていたんだな。死にたいと思った事はないのか?」
 同じ顔が、
 鏡の向こうで、
 俺の声を紡いでいる。
「…俺が留守の内に、随分とのんびりやっていたんだな」
 ぴく、と銃が震える。
 にやぁっと口が切れ上がり、その口の間から牙が覗く。
――アベタカユキ

  ごり

「貴様」
「腑抜けが。高潔な狩猟者の血を引きながら、同じ血を引きながらまだ『狂った教え』に従っているのか」
 浮かべる笑みに変化はない。
 だが、絶えず動いて嘲笑を絞り出すように柳川は感じた。
「やめろ」
「…俺の『影』になったはずのお前が、何故今頃姿を出したんだ」
「やめてくれ」
 にんまりと笑みを浮かべた。
「俺がいなくなって、幸せだったみたいだな」
「やめろーっっっ」
 既視感。
 柳川は銃を取り落として両腕を振るわせる。
「…形勢逆転、か?柳川祐也」
 その間に悠々と立ち上がり、男は引きつった――人間の顔では引きつったように見える笑みを浮かべた。
「俺のサポートがあって初めて、お前は完全な狩猟者だった」

  べきべきべきべき

 柳川の目の前でゆっくり確実に獣に変貌していくユウ。
――モウオマエハヨウズミナンダ
 『狩猟者』が、柳川の目の前に立っていた。

 耕一がそうであったように。

 祐也もまた。

 より強い鬼の影響により、『鬼』を解放した。

 あれは、全て仕組まれたことだった…


 次回予告

  「何か?日本の刑事さん」
  柳川の危機に、突如割り込んだ少女。
  取引の内容は、命と時間。手渡された物が全てを物語る。
  『秘文書』の欠片だけでは、真実は分からない。

  Cryptic Writings Chapter 3:Out ta get me 第6話『信頼』

   できるものなら、やってみることだ

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