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Cryptic Writings
Chapter:2

   第4話 柳川

前回までのあらすじ
 
  柳川から遅れる事半日、長瀬が東京に到着した。
  東京のとある警察署で、彼は『柳川』の写真を突きつけられる。
  そして訪ねた研究所で、弟に一つ、あることを頼まれてしまう。

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Chapter 3

主な登場人物

 長瀬警部
  今回の主役級。柳川が着たぬれぎぬをはらすために東京を訪ね歩く。
  そして、思わぬ厄介ごとに彼は…

 柳川祐也
  鬼の血に流されながら、前向きに行きようと努力する男。

 藤田浩之
  以前『鬼塚』に受けた仕打ちを根に持っていて、柳川に殴りかかった。

        ―――――――――――――――――――――――

 浩之は戸惑っていた。
 彼の強さにではない。これだけそっくりな人物がいるとは思わなかった。
「…俺は、来栖川財閥の御嬢様に知り合いがいるんだ。彼女に頼まれて試作型のマルチを助けに行った」
「マルチというのは、例のメイドロボの?」
 頷いて続ける。
「警察に頼めばいいって思ってたし、協力するつもりはあったけど…」
 彼はそこで腕を組んで不思議そうに首を傾げる。
「…今でもマルチは行方不明だし、刑事さんだったらお願いしてもいいですか?」
 柳川は苦笑した。
「もう疑われて…たんだし、言っておいてもいいか…」
 前置きをするように呟いて自分に言い聞かせると、顎を引いてメモのペンを浩之に向ける。
「俺、指名手配なんだよ」
 肩をすくめて、浩之の様子を見る。彼は真剣に聞く様子だ。
「その、今俺が追っている奴のせいで。少なくとも、君はそれを信用してくれそうだから言うがね」
 そしてくたびれたような苦笑をしてみせる。
 証拠はない。
 確証だってない。ここで、どれだけの信用を得るか、だ。柳川は笑みの仮面を外さずに浩之を見つめていた。
 彼はうんうんと頷いた。
「そうでしょう?だってあいつ、そっくりどころか同一人物にしか思えませんよ。声だって同じだし」
 何かに気づいてあ、と小さく声をあげる。
「そうだ、一つだけ違う。…あいつ存在感がすごかったのを覚えてる。遠くから離れてみても、絶対に見分けられる自信がある」
 間違いない。
「…えーと、藤田浩之君だったかな」
 柳川は名前を確認しながらメモをめくる。
「念のために住所を教えて貰えないか?」
 ついいつもの癖でそう言ってしまったが、聞きながら無駄なことをしたと思っていた。
 隆山なら、自分の管轄区なら住所を聞くだけでどの辺か分かるのに。
「これは俺の携帯の番号。…もし奴に出会って事になりそうなら、連絡を入れてくれ。必ず急行する」
 浩之はメモを受け取りながら苦笑して見せて、それをポケットにねじ込む。
「もう協力はこりごりですけどね」
 

  ぴぴ ぴぴ ぴぴ

 例のマンションを張り込み、夜になった頃。
「…はい」
 柳川は用心して携帯電話を取った。誰からの何の電話なのか、非常に恐ろしかった。
 今、やろうと思えば携帯電話の通話によって場所をある程度確定することができる。
 昔のように交換機を使用して逆探する方法とは少々違うが。
『柳川か』
 だが取りあえずその声に安心した。
「長瀬さん!どうかしたんですか?」
『今どこにいる?』
「え?」
 緊迫した彼の言葉に思わず聞き返した。
『…見つけたぞ』

  ぷつ

 意味不明な電話の切れ方をしたが、彼は思わずベンチから立ち上がっていた。
 長瀬は何かを見つけた。それも、わざわざ緊急に携帯に呼び出すほどの何かを。
――決まってるだろう?
 彼はしかし、惜しむらくは今の長瀬の位置を知る手段が全くかけていることだった。
 ゆっくり周囲を見回す。夜中の公園は人気は流石に少ないといえ、ここから跳躍するのは非常に問題があるだろう。
 最も近いはずの、例のマンションにも鬼の気配はない。
――…よし
 少ない手がかりを、待つよりも自ら望んで手に入れる方へと変えることにした。 
 もしこれで見つからなくても、逆に『奴ら』の手に落ちるとしても、何の進展もないよりはましかも知れない。

 赤茶けた煉瓦の、中流以上のマンション。柳川の住んでいるマンションも、隆山だから安いが中の上だ。
 だが、これだけセキュリティに力の入れたマンションは首都圏だからこそ、だろう。
 入り口に監視カメラと赤外レーザーを仕込んでいるのが一目で――エルクゥの感覚で――分かった。
 自動扉の隅には3×4列のボタンが並んでいる。よく見ればそれが鍵であると分かるだろう。
――そうだった
 あの時、夢の中のあの時は鍵がかかっていなかった。
 今はびくともしないが。
 彼はくるりと回れ右をして路地の方へと向かった。

  ざかっ

 そして、彼の姿は路地から一瞬で消えた。
 人間が彼の姿を追っていたならば、間違いなくその姿を見失っただろう。
 彼はほんの一瞬で地上15mの高さにいた。
 落下、ではなく未だに上昇中だ。
――…あそこ、か?
 恐らく屋上も閉まっている。
 直接部屋の前に降りた方がいいだろう。
 彼の身体は空中で一瞬静止する。そのまま、手すりに手を伸ばして彼は身体を固定する。
 そして、身を翻すと廊下に一瞬身を埋める。
――…いや…
 ここではない。
 全くそっくりの外見だが、僅かに記憶に違うものがある。
 階段を登りながら彼は僅かに眉を顰める。もしかして、ここまでして忍び込んだマンションが実は全く関係のないものだったら?
 だがその心配は払拭された。
 次の階に昇った途端、彼は体中が急に重くなるような感触を覚えた。
 同時に既視感。
 彼の視線は、奥の扉に注がれるが、それが開かれることはもちろんなかった。
 部屋番号を確認し、彼は扉に手をかける。勿論、開くことなど期待していない。
 電気のメータはぴくりとも動いていない。
 ほんの僅かに力を込め、彼は思いきりノブを引いた。以外に頑丈な扉は、それを支えるには不十分は金具をはじき飛ばして開く。
 廊下の明かりが部屋の中に差し込み、彼の影がそれを遮った。
 

 長瀬は久々に走る緊張に、手元の銃を確認した。1、2、3。大丈夫だ、実包も入っている。
 通常警官の持つ銃は一発目に空砲が入っている。威嚇射撃用だ。
 だが、勿論警告の後に撃つための実包を入れることがある。
 彼は手入れもせずに入れっぱなしにして腐らせるような、くたびれた警部ではない。
 そして誰もが思っているほど、精度の悪い銃ではないのだ。
――…何てこったい
 彼は自分の運命に毒づいていた。

「最近このすぐ近くの工場が閉鎖されたんだが」
「…ああ、子会社の工場とか言う奴だろう」
 たしかこちらに来る際にニュースで確認した。源五郎は頷いて渋い顔を作る。
「実は原因不明の倒産騒ぎで、こちらとしても手の打ちようがなく、器材一式、向こうの工場の中にあるんだ」
 子会社を来栖川が切った、というのは書類上の話であり、現場のレベルではそうではなかったらしい。
 子会社の倒産を半ば隠す為に来栖川が『切った』形なのだそうだ。
 法的にも何ら問題はなく、子会社はそれを理由に店を畳んだのだが、
 来栖川のレンタルしていた器材はまだ彼らの手にあるらしい。
 だがその器材もレンタルという形で契約している訳ではなく、
 保証金という形で器材一式を譲渡してしまっているために所有権が移行しているという。
 来栖川はそれにより子会社を完全に吸収する形をとったのだが、それが裏目に出てしまったようだ。
「回収しなかったのか?」
「調整がつかなかった、と言うよりももう連絡のしようがないのだ」
 そして工場そのものの所有権は来栖川ではなく、どこか別の金融会社にでも取られているせいでまだ手が出せない。
「金融業者も特定できないんだ。こっちとしては企業秘密にも関わる器材だし回収したいのだが」
「あんまり秘密裏に事を運ぶのは良くないと思うが。個人的に調べるにも…」
 源五郎は首を横に振った。
 その表情は真剣で、妙に力がこもっていた。
「だめだ。確かにウチは財閥だし、あまりそう言う行動を採るのは最適とは思わない」
 源五郎は両の手を合わせて組むと、膝の前に置くように、肘を太股に載せる。
「だけど、だめなんだ。…発覚したのは、今言った研究員、月島光三の情報を捉えた時だ」
 彼は、その情報をどこからどのように洩れたのかは敢えて言わなかった。
 言う必要などない。それは非合法であることぐらい、源三郎も感じていた。
 そして、月島の裏側に見える組織が超法規的存在であることを付け加えた。
「詳しくは言えない。だが、『彼ら』は国際社会で十分な権力と実力を兼ね備え、日本でも十分にそれを発揮している」
「…どういうことだ?」
 それがどう関係あるのか。今までの話だけではピンとこない彼は思わず聞き返していた。
「そもそも我々が金融業者を特定できないはずがないだろう。どんな手段をとろうと、相手は企業だぞ?」
 そして付け加えた。
「個人で行っている金融でも我々は特定できる。それが不可能だとすれば、理由は幾つもない」
「非合法で行っているものか、さもなければ」
 源五郎は頷いた。
「それ以外の誰かが、確保しようとしているか、だ」
 来栖川グループは世界規模の企業だけに、彼らを狙う人間は少なくない。
 が、あくまで比喩的な表現であり、彼らを敵に回したがる人間はいない。
 企業秘密を守るためには相当な努力をしているようだが。
 そして、彼の弟は『自分しか知らない何か』が原因でないかどうかだけ確認してくれ、と言った。
 可能性を否定したがっている弟の顔を見て、兄として、頷いてしまった。
――兄弟って、あんまり便利な物じゃないねぇ
 結果、彼が教えてくれた工場を見に来ることになってしまったわけだったが、
 従業員は総て韓国人か、どこかのアジア系住民で、日本語がまともに通じない。
 不法労働者、という嫌な言葉がよぎり、確認するために彼がそこを離れた時。
 見てしまったのだ。『柳川』を。彼は悠々と工場に入っていった。
「間抜けな話だ」
 長瀬は腕をまっすぐに伸ばし、腰の前で銃を構える。
 日本の警察で教える、両腕を二等辺三角形にする『護身』用の構えだ。
 本来戦闘的ではないこの構えは、銃の反動を十分に防ぎ、ニューナンブのようなスナブノーズでも命中精度を上げることができる。
 大型の自動拳銃や短機関銃を使用する際の構えではない。
 彼は、今完全に電源を切られた工場の中で身を潜めていた。
 電話の内容を柳川は理解しただろうか?
 いや、分かってももう助けを呼ぶことすらできないだろう。
 動きのない闇の中にある音を探るように、彼は耳に神経を集中させていた。
 電話の最中に大きな雑音と同時に回線が切断され、工場の照明が落ちた。
 工場の中で電話していなければ、と悔やんだが、もう遅かった。
 この「来栖川の子会社」の工場は、『工場』というより『プラント』と呼ぶ方がしっくりくる、近未来的なものだった。
 画一的な規格であるが、白い壁に区分けされた人間がいるべき場所と、生産ライン。
 まるでオフィスのような作りをした工場だ。
 だがそれが災いした。こうやって完全に灯が落とされると少ない窓からの光だけが頼りになる。

  がつ

 妙に大きな音が聞こえる。断続的に、同じ場所で鳴っているようだ。
――近い
 彼は柱の影から身体を僅かに動かして、様子を窺う。
 人影だ。
 誰かが、闇の中で動いている。
 彼が電話をしているうちに『鬼塚』は姿を消していた。
――まさか?
 だが、その人影が動いている場所とは隔離された壁ごしであり移動するなど不可能である。
「終わったか?」
 唐突に声が響いた。
 幼さを感じる、少女の声。まるで作り物のように美しく、可憐な声。
 作り物故の妙な堅さ――それを冷酷さと捉えるかどうか――が嫌に耳に付いた。
「いや」
 それに応えるのは、聞き慣れた柳川の声。だが、彼の知っている柳川の声ではない。
 優しく、柔らかい口調しか聞いていないせいだろうか?
 凶悪な犯人に対してでも、彼の声には『覇気』が感じられなかった。
 だが、今の彼の声は聞いた物総てをひれ伏せさせるある種の『強さ』を持っていた。
――別人?
 知っている人間なら、彼のすぐ側にいる人間であれば違いが分かるかも知れない。
「…まだ生きている奴がいる」

  ぞく

 背筋に走る悪寒。
 長瀬は言葉だけでなく、その冷気にも似た雰囲気、何よりそれを見てしまった。
 人影の闇に輝く赤い物を。

 長瀬は先に動いた。
 影が明らかな殺意を持って躍りかかる。

  甲高い金属的な音

 構えた銃の安全装置を弾き、彼はそれを差し上げながら走る。
 赤い二つの光が冗談のように宙を舞い、長瀬に迫る。
 一瞬彼の左手に机のようなものが見えた。
 わずか、長瀬は身体を投げ捨てるようにして机の上を転がる。

  どん  どん  どん

 彼は背中で机が次々にひしゃげる音を聞いた。まるで巨大なハンマーで机を殴っている音のようだ。

  ひゅぅお

 耳元をかすめる空気の流れ。
 血の臭い。
 彼は机の向こう側に身体を落とし、体勢を立て直そうする。
 何かを踏んだ。妙に柔らかいものを。
 一瞬戸惑ったが、今それを考えている暇はない。
 銃を自分を襲う音の方へ向ける。
 赤い光。
 彼は一瞬の思考と、躊躇いを捨てて引き金を引いた。
 

「何故殺さなかった」
 男は責め立てられていた。
 いや、口調は非常に静かだ。だが、それには有無を言わさぬ力を感じさせている。
 男にも質問の答えが分からなかった。だから答えられず黙ったまま立ちつくしている。
「今の上官は『私』だ」
 凛とした、甲高い声。その声を子供っぽいというか、そんな簡単な形容詞で表現するのは難しい。
 声には一切幼さを感じさせない物があるからだ。舌っ足らずな響きは一切ない。無理な声帯の震えもない。
 計算し尽くされた声の出し方、それを聞く者に感じさせる。
 男の肩にすら届かない程度の身長の彼女は、男の横に倒れた長瀬の側に近寄る。
 その時、長瀬を照らす光の中に彼女は姿を現した。
「…日本人の…」
 その外見は、明らかにHMシリーズの筐体だった。
 故意にだろう、耳にあるはずのカバーは外されているし、髪の色も普通の人間と変わらない。。
 髪型も標準より切りそろえてしまっている。
 懐の警察手帳を開いて彼女は頷いた。
「刑事か。むぅ…確かに、ここで日本人を一人行方不明にするのは得策ではない」
 そう言って男の方を振り返った表情。
 元はマルチと呼ばれていた彼女の表情は、あの無垢な表情ではなかった。
 少年のような髪型のせいだろうか。どこかぼーっとしたものを感じさせる表情は失われていた。
「まあ、いいだろう。結果としてここは制圧できた訳だし」
 笑みを浮かべて男を見上げる。その笑みも、あまり良い笑みとは言えない蠱惑の笑みだ。
「…やっぱり似てるな」
 男の呟きに少女は口元を歪め、嘲りを含めた上位者の笑いを作ってみせる。
「声か?仕草か?顔か?ふっははははは」
 ぶっ壊れたように大きな声で笑うと肩をすくめるような格好に腕を広げ、ゆっくり首を振る。
「仕方ないだろう?この中にはまだあいつは生きているからな」
「自分の親を」
 少女から笑みが消える。人工の目がぎょろりと動き、憎悪を作る。
 高くもない背を伸ばし、男の胸ぐらを掴んで自分の顔に引き寄せる。
「二度とその話はするな。貴様も、その記憶のお陰で生きながらえているんじゃないのか?」
「死にはしな…」
 男の表情に急に苦悶が浮かび、胸をかきむしるようにして苦しみ始める。
「…死ぬんだよ。私がほんのわずか、機嫌を損ねるだけで」
 そう言って乱暴に彼を投げ捨てる。
 男は受け身もとれず無様に地面に転がり、それでもまだ胸をかきむしっている。
 血管が浮かび上がり必死になって酸素を取り込もうとしても、肺の周囲の筋肉が引きつって動こうとしない。
 腹筋はまるで鉛になったように意志を受け付けない。
 身体の制御ができない。
「でも」
 男に近づいて彼女はほんの少しだけ嬉しそうに言い、彼の頬に手を当てると急にその発作が収まる。
 男はせき込みながら大きく音を立てて呼吸を始める。
「言うことを聞いてくれるなら、殺したりしない」
 しゃがみ込んで男を見つめる少女。
――道ばたの捨て犬に憐れみをかける人間のようだ
 男は自分の立場がどこにあるのか、無理矢理自覚させられているようだった。
――…これが運命なのか?
「気が楽になるようにしてあげようか」
 少女の表情は、こうして彼と接触する時は、そんな時に限って彼女は、子供のような笑みを浮かべていた。
  右手には、試験管のような物が握られていた。
 

 マンションの部屋には何もなかった。
 生活していた形跡すら、そこには感じられなかった。
 ただの四角い窓だけが寂しく佇んでいる。
――ばかな…?
 電気をつけて周囲を見回して、彼は部屋の隅に積まれたものに目がいった。
 紙の束だ。
 恐らくここを引き上げる時に片づけたものだろうか。
 彼は梱包されたそれを広げて、何か手がかりはないか探し始めた。
 日に焼けた雑誌、広告、それにメモが数枚。
――…電話の覚え書きだ
 彼がそのメモの類を調べていると、雑誌の間から一枚書類が落ちた。
「権利…いや」
 この部屋の契約書が入っていた。慌てて彼はそれを引き出す。
 どこにでもあるような契約書のサイン。
 彼は歯ぎしりをしてそれを見つめた。
『柳川 裕』
――こんな偶然があるものか!
 夢の中で感じていた違和感。
 『自分の夢ではない』という意志と、『自分の感覚』がごっちゃになる感覚の正体が、こんなに簡単なもので良いはずがない。
 彼はその契約書を自分のポケットにねじ込んだ。


 次回予告

  柳川はメモに記された工場に向かう。
  「…どっちも柳川ですよ、長瀬さん」
  突きつけられる拳銃に、ののしる声。
  傷だらけの身体も心も、まだそれを止める手だてを知らない。

  Cryptic Writings Chapter 3:Out ta get me 第5話『真実』

   俺はお前の知らない真実の中で生きてきたんだ。

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