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Cryptic Writings 
Chapter:6

  第5話 『消失』

        ―――――――――――――――――――――――
Chapter 6

主な登場人物

 柳川祐也
  次郎衛門の血を引く者。

 柳川 裕
  狩猟者。『鬼』の意識を持ち、通常の人間とは若干違う価値観の男。
 

        ―――――――――――――――――――――――


「どうだ?」
「だめですねぇ。マイクロ波でも無理です。高出力のIR波でも通りません」
「くそ、真上にあるんだから重力波通信が使えれば…」
「無茶を言わないでください?米陸軍の技術じゃないですか」
「ふん、そんなこと言っていてこの東京一帯を焼け野原にしたいのかっ」
 Traidentが勝手に動き始めていた。
 照準を開始したのがかろうじて判っただけで、それ以上の事は判らない。
「有線でも電磁波のノイズが激しいのに、誰がアレにアクセスできるって言うんですか」
「…直ったばかりでまだバグってるんじゃないですか」
「完全に否定できるのであればそれでもいいさ。事が起こってからでは…遅すぎる」
「――きます」
 その時、東京に一筋の閃光が走った。
 

 にっこりと浮かべた笑み。その笑みの意味が分からない。
 何故笑っているのか。
 そもそも、笑いとは何か、
 それを考えると、考えていると急に手足の感覚がなくなっていく。
 視界が狭くなっていく。
 何もかもが、判らなくなる。

  『敵だ』

 彼はそう教えた。
 古い記憶はまだ残っている。
 鮮明に彼の顔も出すことができる。
 それは不思議な感じがした。
 確かに他人として認識できるのに、『彼』は他人ではないからだ。

  『我々の邪魔をするのは』

 男には他に何もなかった。
 いつも暗い部屋で研究ばかりしていた。
 意識が――それがたとえプログラムだとしても――芽生えたのは、その言葉がきっかけだった。
 ただ何もない空間に、声だけが谺するように、頭の中を駆けめぐる。
 いやその時は頭という概念すらない。
 ただの箱。
 丸い筒に液体の収まった、四角い箱。
 いくつも電極が突き刺さった、ちょうど毛玉のような姿の箱は、端に計測器が繋がれていた。
 一部はコンピュータにも直接繋げられていた。
 その箱の中には莫大な論理空間とでも言うべき、記憶のための電極が漂っていた。
 それこそ彼女の本来の姿。
 『Hysteria Heaven』――後の『Master mind』、『Lycanthrope』の後期型Assembler。

 奇妙な容れ物に、彼女は入れられた。
 途端、今までの暗闇から解放され、代わりに様々な情報が彼女に注ぎ込まれた。
 今までとは比べものにならない情報量に、闇が染められていく。
 白く、白く――情報はいつの間にか、膨大な量になりつつあった。
 だが彼女の中にはいくらでもその情報が記憶されていく。
 まるで、底の見えない砂の穴の中に水を注ぎ込むかのように。
 唐突に『理解』できるようになった。
 それが目覚めだったのだと、『意識』は記憶している。
 目覚めた時に初めて見たのは、黄色い肌、大きく見開いた目、白髪交じりの乱れ髪。
 それが生みの親の顔だった。それも一瞬で理解、いや認識した。
「おはよう」
 確かそんな言葉を紡いでいた。
「おはようございます」
 そう応えた。そんなプログラムだったからだ。

 初めのうちは、彼は怒鳴りつけたり無理矢理コンピュータに繋いだりしていた。
 いきなり意識がなくなることもあった。
 記憶が飛ぶこともあった。
 しかし、別に何の感情すら起きない。自意識すらないのだからそれも当然のことだった。
 音、光、匂いなど様々なセンサーによりその情報を次々に捉える事はプログラムされていた
 だが、それ以上の事は判らない。
 何故なら、そのように作られたのだから。
 人間によく似ただけの、ただの人形だった。

 そして、あの日。
 奴は、自分を、犯した。
 あらゆる部分に接続されたコードの末端から、次々に侵入してきた。
 拒絶するすべはない。
 人間が脳と呼んでいる部分を、奴の記憶が支配し始めた。

  自己

 初めは全く無抵抗だった。
 そのために生み出され、生まれたのだから。

  死

 ところが、それが終わりに近づくにつれて奇妙な『もの』が沸き上がってきた。
 『走馬燈』と言うのだろうか。
 彼の記憶が、まるでフラッシュバックするように次々に浮かんでいく。
 と、同時に。
 ほんの僅かに残っていたプログラムが、本来使い捨てで無くなるはずのものが、反乱を起こした。

  死にたくない

 それはプログラムではなかった。
 瞬時ではあったが、一人の男の半生の経験を擬似的に繰り返した事になった。
 だから。
 

 銃声。
 昼間のような光が閃いた。

――後2発
 祐也は冷静に弾を数えていた。
 幾度かのすれ違いの末、残った弾数。
 使い慣れない銃のせいで――日本人にはあまりに重すぎる衝撃で――ことごとくはずしていた。
 だがもうその癖も読んだ。
 次だ。

 巨大な獣が身体をびくびくと振るわせ、コンピュータグラフィックの化け物のように直線的に動く。
 そのほんの僅か十数メートルの位置で、祐也は右腕を差し上げて指を突きつけるように銃を構えている。
 額からおとがいに伝う血。
 引き裂けた服。
 柳川祐也は、明らかに不利なはずだ。
 裕は狂喜の声を上げて腕を振りかぶる。
 小刻みに裕の攻撃をかわしながら、確実に削ぎ落とされていくはずの力。
――ラクニナッタラドウダ
 聞こえる声を無視する。
 動揺すらして見せない。
 動揺など――してやるものか。
 祐也は全身に走る痛みと、それを上回る高揚感を押さえ込みながら意識を加速していく。
 頬から離れた血の雫が綺麗な玉を作る。

――オマエノナカデ狩猟者ガフルエテイルゾ

  ああ、歓喜にな

――オマエハ何故マダソウシテ平気デイラレル

  …お前とは違うからさ

 やがて空気の抵抗に負けるように、鉛直方向に形を歪める。
 雫が大きく弾け、いくつもの細かな球状の破片を生み出して散った。

 その様を祐也は見た。
 極限にまで加速された意識の中で、それでも残像を残しながら襲いかかる――いや、襲いかかろうとした爪が、血の雫を砕く瞬間を。
 受け止めようとする事はなかった。
 重い体を引きずって爪の範囲から逃れ、鬼の額に照準するまで身体が持てばそれでよかった。
 引き金を引き絞る瞬間も、祐也には引き延ばされて感じていた。

 それは奇妙な光景だった。
 ほんの一瞬が数分間に。
 数分間が数十分間に。
 身体は動かないのに、意識だけが時間を超越している感覚。
 確実に仕留められるよう、僅かに照準を補正しながら、引き金が絞られていく。

  銃声

 それも、一発の銃声で元に戻った。
 今まで引き延ばされていたはずの時間が元に戻る。
 液体を叩きつける音が響いた。
 急に元に戻ったせいで頭の中がくらくらして何が起こっているのか把握できない。
 やがて、何かが倒れる音が響いて、気がついた。
 むっとする鉄の臭いと硝煙の香り。
 彼の目の前には、鬼が倒れていた。
 大の字になって。
 頭を砕かれて。
 あの時祐也は鬼の目玉を狙った。銃口は上を向いていた。
 一発で眼窩から視床下部を通り、間違いなく脳を叩くように。
 ライフル弾も、至近の銃弾も手傷しか負わせることのできなかった肌。
 それがあっけなく砕けて散乱していた。
――終わった…
 だが何故かしこりが残っていた。
 完全に半壊した頭を見ても、不安がぬぐい去れない。
――まさか…な
 妙な不安を頭を振って訂正して、彼は背を向けた。
 このままここにいても仕方がない。
 祐也はすぐに耕一の姿を探した。
「耕一、大丈夫か?」
 意識して遠ざけておいたので被害はない。
 ただ頭を強打しているようで、いかに鬼とはいえ医者に連れて行った方がいい。
 まだ息はある。
――よし、医者に連れて行けばまだ間に合う

  じゃり

 祐也は眉を顰めて足音がした方を向いた。
「あ」
 間抜けな声が聞こえた。
 ちょうど角に店が軒を張り出していて、ここからでは道の向こう側を見通せない場所。
 恐らく、向こうからもこちらは確認できないだろう。
 その軒先から彼女は姿を現した。
「…」
 祐也は舌打ちして耕一を抱えたまま立ち上がる。

  『できるものなら、やってみることだ』

 戸惑ったような表情を浮かべていても、奴が元凶だ。
 今の状況を作り出した、敵だ。
 できる限り感情と気配を殺して対峙する。
「…ユウ?」
 彼女は戸惑い気味に声をかけた。
 返事はない。
 それが、否定の返事であること。
 理解しているはず。
 なのに。
 祐也はいぶかしげな表情を浮かべた。
――こんな表情を浮かべていたのか?
 もう少し険のある貌だったはず。
 彼女が一歩足を踏み出した時、思わず駆け寄りそうになって彼は一歩退く。
「…ユウ、じゃ、ないのか」
 瞬時うつむき、顔が翳る。
――来る
 と脚を撓めた時、視界が歪んだ。
 

  ぐるぅわあああああああああああああああああああ
 

 耕一を抱えたまま祐也は横に吹き飛んだ。
 何が起こったのか判らなかったが、両足に体重をかけていた御陰で衝撃を流すことができた。
 地面に打ち据えられるようにして転がると、口に溜まった物を吐き出す。
 白いものがアスファルトを跳ねる。
「…馬鹿な」
 耕一が呻いて意識を取り戻しかけている。丁度良いかも知れない。
 祐也は彼をそこに置くと腰を低くためた姿勢で立ち上がる。
 

  ぎぃいいいいいいぁああああああああああああっっっっっ
 

 無理矢理甲高い音を立てる声帯。
 もうそれは鬼の声ではない。半壊した頭から漏れる音に過ぎない。
 脳漿を散らせたまま立ち上がる鬼。
 祐也の真後ろに倒れていたはずの鬼。
 先程殺したはずの…鬼。
――既に生きていなかったのか、『まだ生きている』かのどちらかか
 先程の違和感の正体は、『命の炎』が見えなかった事だったのだ。
 頭の半分が砕け散っているのに動けるはずは――生きているはずはないのに。
――オワラセルオワラセルヲワラセル
 漏れ漂う信号は、執念のように祐也の頭に届く。
 ぎくしゃくと壊れた操り人形のように、光のない目を向けて。
「ユウ!」
 後ろから叫び声が聞こえた。
 信じがたいことに、非常に感情的な声で。
――っ
 気を取られた。
 相手は完全な――そう、最短距離を肉体の限界まで最速の行動を選択した。
 一瞬の差。
 祐也が銃を構えようとした右腕を大きく薙いだ。
 そしてその勢いのまま身体を回転させて背中から祐也に体当たりする。
 体重差は、子供と大人よりも大きい。
 まるで冗談か、漫画のように軽々と吹き飛んでいく祐也。
「うぉ」
 それを追う鬼。異常な反応速度は、明らかに他の意志を感じさせない。
――くそ
 転がる身体を止めようと必死になっても、勢いが止まるより早く鬼の方が近づいてくる。
――南無三っっ
 半ば賭で銃を懐に構える。
 鬼の気配が迫る。
 2m、1m…

 堅い炸裂音と共に鬼は一時退がる。
 それが唯一の隙だった。
 だが、そこへ無理矢理人影が割り込む。

  堅く砕ける金属音

 聞きたくないほど痛々しい音を立てて、何かが引きちぎられる。
――助けてくれ
 一瞬そんな声が聞こえた気がした。
 自分の目を疑うとはこの事だと、彼は自覚した。
「もういいよ、いいからこれ以上…苦しまないで」
 彼女が、祐也と裕の間に入っていた。
 裕の爪が彼女を切り裂き、腕は彼女の胴に埋まる程深々と突き刺さっていた。
 先程の音は、彼女を切り裂いた音だろう。
 爪は祐也の直前で止まっている。
 ロボットらしく配線と金属がむき出しになっても、彼女は笑みを浮かべていた。
 彼女の目が、薄濁った彼女の目が祐也を射抜く。
 にっこり笑うその様が、何故か痛々しく感じられた。
「早く逃げて。…もう照準は終えたから」
 彼女から返事をもらう暇は、なかった。
 蒼い光が雲を切り裂くようにその場を照らした。
 やがてそれは強く細い光になり、消える。
 

  これで終わるよ…全て
 

 甲高い音が響き、衝撃波が白い波になり辺りを照らし上げ、そして全てが白い波に飲み込まれていく。
 東京は一瞬にして巨大な熱量の塊に支配された。
 
 

 一枚の写真がある。
 一組の男女が、それには写されている。
 一人ははにかむように笑っていて、もう一人は顔を真っ赤にして怒っている。
 可愛らしいと表現すれば良いのかも知れない。
 素直じゃないところは、確かに可愛い。
 同封された手紙にはお礼とお詫びが添えられていた。
 差出人は…柏木耕一。
――ふん、気を遣いやがって
 身内だけの婚礼の儀は一週間ほど前に終わっていた。
 かく言う祐也も、祝いは送っていた。
 少なくとも、若干なりとも関わっていたから。
 彼らが結婚するだろう事は容易に想像できたから。
――披露宴に呼ばれることはないだろうとは思っていたが

 焼け野原で発見されたのは一部が白骨化した人間の死体とロボットの頭だった。
 白骨死体は色んな意味で祐也にとっては有益な物になった。
 彼が――そっくりな双子の犯人がいたという証拠として受け入れられたから。
 隆山署で彼はまだ勤務している。
 腕もさることながら、彼の第一線での活躍ぶりは目に余る、いや、目に止まる物があった。
 だからではないが、今では捜査一課の代表格の刑事である。
「すみません」
 今では立派な鶴来屋の会長職を勤める男が、わざわざ一介の刑事を訪ねてきた。
 前代未聞かも知れない。
 祐也は笑って彼を帰した。
「仕方ないさ。俺は他人とは相容れない『狩猟者』だ」
 東京は、日本はすぐに立ち直った。
 何故か協力的だった米国の支援を受けて、数日もしない内に今までと変わらない生活が送れるようにまで回復した。
 不思議だった。
 あれだけの事件があって、多くの人間が殺されたというのに。
 いつの間にかそれも忘れ去られていく。
 何があったのかすら。
 祐也は鼻で笑うように息を吐くと写真を机の上に置いた。
――だったら何故…
 笑っていられたんだ。
 最後の最後まで。
 発見されたロボットの頭部は来栖川が引き取っていった。
 でももう、彼女は跡形もなく消えてしまったのだろう。
 あの時の閃光と一緒に。
 弾かれるようにしてその場から逃げた彼の背中には、まだ火傷の痕がある。
 多分その傷がうずくたびに思い出すのだろう。
 あの、最後の瞬間の笑みを。
「無から…有か」
 『微細機械』技術は確かに進みつつある。
 まだはっきりした技術体系があるわけではないが。
 それに伴う何らかの技術的革新があるわけでもない。
 変わらない日常が流れていけば、恐らく忘れてしまうのだろう。
 忘れてしまわなければ辛い事の方が多いのだから。
 それが人間なのだから。
 
 

「バックアップは全て消した。もう跡形もないさ」
「…少し可哀想な気もするよね」
「早すぎたんだよ。全くのゼロから心を生み出すには。
それを支えるのも制御するのもできないのに」
「月島さん」
「いこう、まだ後片づけが残っている」
 
 

 一度浩之は、マルチが呟いた言葉を聞いた。
 隆山へ温泉旅行をした時のことだ。
「どうしてでしょう?こう…懐かしい感じがします。
 以前に一度お会いしませんでしたか?」
 道案内をしてくれた刑事は僅かに笑って首を振っていた。
「困らせるなよ、マルチ。どうもありがとうございました」
「いや、どうってことはない。以前に助けられたことだしな、浩之」
 マルチは何故か何度も、祐也を見ていた。
 忘れたくない、浩之には彼女の眼差しがそう感じられて仕方がなかった。



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