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Cryptic Writings 
Chapter:2

   第5話 MY WORLD

前回までのあらすじ

  装備をととのえた綾香一行は、再びアパートに向かう。
  セリオの鋭い行動が一時的に男を圧倒するが、彼は人間ではなかった。
  モニタする長瀬達はセリオの行動を不可解に思いながら、歯がゆい思いをするしかなかった。

      ―――――――――――――――――――――――
Chapter 2

主な登場人物

藤田浩之
 16歳。最近活躍の少ない主人公。でも、この話ではあまり目立った活躍はない。

来栖川綾香
 16歳。セリオに対する感情は、浩之のマルチに対する物に近い。非常に感情の起伏に乏しいものの、
    その表現力は豊かである。

 セバスチャン
  じじい。その強さを最大限度に活かして、今度こそ大活躍なるか?

        ―――――――――――――――――――――――

 もう逃げ場のないはずの博士――月島光三はアパートの瓦礫の中にいた。
 砕け散った腕が、壁の残骸の下に埋まっている。
 自分の身体もべたべたに汚れながら転がっている。
「…な…」
 何が起こったのか、彼には分からなかった。
 確か、実験を続けていたはずだ。
 自分で用意した武器も、既に準備は終わっていたはずだ。
 あとは人質…マルチを連れて、逃げれば良かったはずだ。
 何故まだこの身体の中にいるんだ?
 実験に失敗したのか?
 いやそれ以前に、何故今痛みを感じないのだ。

  ずしゃ

 瓦礫を踏む音が聞こえた。
 男の目の前に、人影があった。小柄な、それ程大きくない姿。
 口元がゆっくり吊り上がるところまでは彼にも見えただろう。だが、それが彼の見た最後の光景だった。
「…もう、総て戴いた」

 アパートが倒壊する音に鬼の気がそれる。
 すぐさまリミッターの外れた脚が鬼の鳩尾にめり込む。
 と同時に、彼女は長瀬の用意した武器を背中側から引き抜いた。
 今までどこにそんな物を隠していたのかと思う程の、1m弱程の銃身を持つ銃。
 まるで生きているようにグリップから黒いコードが伸び、自らスライドさせた手首からセリオに接続される。
 同時に本来ならスコープが乗るべき場所にあるCCDカメラがフォーカスする。
 セリオの視界に鬼の横顔が写る。
 ほんの一瞬で照準した彼女は躊躇わず引き金を引いた。

  閃光

 一切の銃声は聞こえなかった。

  ぐぅぁあああああああああ

 そのかわり帯電した空気が立てる振動音のような音だけがしばらく続く。
 出力の低い紫外線のレーザーの直後に高出力の電流を発射するだけの銃だ。恐らくこれならば、直接調べられない限り証拠は残らないだろう。
 鬼の眉間に直撃したが、煙が出ている程度でさほどもダメージは通らなかったようだ。
 腕の間合いを的確に読み、そのぎりぎりの場所を定めて小刻みに動きながら立て続けに銃を乱射する。
 もしこんな『鬼』がいると分かっていればそれなりの銃を用意したのだろうが、ここは日本である。
 しかし鬼はひるみながらセリオに近づこうとしている。
――出力上昇、充電開始

  ばしゃ

 砲口が大きく開き、ばりばりと放電する音が聞こえる。
 彼女に接続されたデバイスが『MAX』を示すだけ電流を流し込む。
――綾香御嬢様
 CCDカメラからの映像に、彼女の姿が見えた。綾香達の姿が射程内であることは明白だった。
 慌ててスイッチを切り、銃を後ろへと投げる。
 このままでは高出力の兵器は使用できない。
 エネルギーの残量を確認して、そのうちの三分の一でできるだけの高速移動を行う。
 懐。
 ほんの一瞬それた鬼の視線の死角から鋭く右手を振る。
 直後に二発。
 鋭く回転するように蹴りを入れる。

 真っ赤な命の炎が見えた。
――ウシロカ
 その瞬間身体に数発の攻撃が彼を捉えた。
 だが、気がそれたのではなく、より良い獲物の方へ身体が動いていた為ほとんど気にもならなかった。
 男だ。小さな男だ。獲物としてはあまりに面白みのないものだ。

  ぶぅん

 大きく振るった腕が浩之を捉えようとする。
「噴」
 だがそれは、まるで鬼の肘を打ち抜くようなセバスチャンの拳により阻まれる。
「早くさがれ、小僧」
 セバスチャンの拳はぎりっと筋肉の締まる音を立てたが、まるでコンクリートを殴ったような感触が帰ってきた。
 彼の脳裏に嫌な物がよぎった。
「けっ」
 浩之はまるで今まで金縛りにあっていたように、素早く身を翻して後ろへ下がる。
「御嬢様!早く!」
 綾香は頷いてセバスチャンに背を向けた。
 肝腎の、マルチを助けなければ。あの瓦礫の中にいるはずなのだ。

 鬼は面白くない、と素早く男を反対側の腕で掴みあげ、まるで塵を捨てるような動作で壁に叩きつける。
「がっ」
 セバスチャンはまるで人形のように両手足を開き、壁に身体を預けた。
――マダダ
 にいいと口を吊り上げ、セバスチャンの方に身体を向けようとする。
 それが、隙になった。
 鬼は、先程打撃を与えた存在を――セリオのことをすっかり忘れていた。
 腕に何かが絡みつく感触が、直後激痛に変わり鬼は叫び声を上げた。

  めり めりめりめり

 セリオが身体を預けるようにして肘を反対側に決めていた。
 中国拳法に見かけるような、複雑で奇妙な立ち技だ。
「――それ以上は許しません」
 闘いが始まって初めて、彼女は口を開いた。

  がぁああ

 腕の筋肉がまるで風船のように膨らむ。
 慌ててロックを外して真後ろへと飛び退くと、今まで彼女の立っていた場所は大きく抉られる。
――ジャマダ
 鬼は先に最も邪魔な存在を潰すことに決めた。
 着地の直後の隙を狙いさらに一歩大きく踏み込む。
 人間ではない者の咆吼と共に、僅かに動きを止めたセリオの頭を鬼の右手が掴む。
 ほんの僅かな時間のロスが、彼女から勝利を奪った。
 鬼は彼女を軽々と頭より高く差し上げると、勢い良く地面に叩きつけた。
――自律射撃プログラム起動
 叩きつけられた時に、内部のセンサーの幾つかはREDのサインを出した。
 破損もしくは不良の警告だ。
 爛々と輝いた怒りの表情が、セリオを見つめていた。
――…通信エラー
 慌てて周囲の状況を探ろうとするが、どのセンサーも正確に規則正しいノイズを拾っている。
 それは明らかに何らかの人工物が発するノイズだった。
――EMP?
 ECM(電波妨害)が発生している。
 これでは相当強い出力でなければ送信できない。恐らくログももう中断されただろう。
 そして、彼女は最も状況的に良くない結論を導き出した。 

――ほぉ…
 電波通信の状態から、それが衛星通信である事はわかったものの、何のデータなのかはよく分からなかった。
 取りあえずカットさせるために数カ所に仕込んでおいたものを作動させた。
 言うまでもないが、周波数の逆探は既に終了している。
 最後に発信されたデータには非常に面白い物が含まれていた。思わず含み笑いを漏らしてしまう程の物だった。
 しかしこれは華奢な身体だ。
 簡単に砕けそうなぐらい柔い。
――…さて、どうするか…
「マルチーっ」
 声が聞こえた。

 浩之は大声でマルチの名を呼んで瓦礫を覗き込んでいた。
 綾香も同様だった。
 アパートの瓦礫は言う程も狭くはなく、幾つか人間一人では持ち上がらない様な巨大な物もあり、こうやって捜索するのも危険だ。
 いつ崩れるのか分からない。
「ま…」
 浩之は何度目かの叫びを上げようとして、絶句した。
 真っ赤な血が、彼の目に入った。
 胸が悪くなって慌てて目を背ける。
「どうしたの?」
「…いや、人が潰れて死んでるんだ」
 綾香も眉を顰めて辛そうな表情をした。
 もしかすると、彼女達が来たからこういうことになったのかも知れない。
 分かってはいたが、死体を見て急に罪悪感に駆られたのだ。
 綾香は浩之の横から死体を覗き込んだ。
「…これは酷いわね…」
 死体の下半身は瓦礫に巻き込まれていて、頭は何か小さな物に潰されたように完全に砕けて飛び散っている。

  がたん

 細かな物音に、二人は顔を上げた。
 月明かりの下緑色の髪を緩やかになびかせて、小さな影がそこに立っていた。
「マルチ」
 二人はほぼ同時に声を上げた。
 緑色の髪の毛を揺らして、ゆっくりと彼女は一歩進んだ。
 その時、二人の耳に嫌な音が聞こえた。水を含んだ何かが、砕け散るような潰れる音。
 鬼が拳をセリオの鳩尾に沈めていた。
 そして、鬼はゆっくり綾香達の方を向いた。
「…そろそろ始めてみようか」
――…!!
 セリオは唯一まともに動いている、外気を取り込むフィルタに備えられたセンサからの情報を受け取った。
 即座に発声器官を最大に使用して、彼女は叫んだ。
「御嬢様、早く逃げて下さい」
 先程からEMPを発している源が、空気中に散布されている物質による物だということに気づいたのだ。
「早く」
 綾香はその声を聞いて、慌ててマルチに手を伸ばそうとする。

  にたり

 しかし、その手は彼女に届くことはなかった。
 マルチの――いや、非常に邪悪な笑みを湛えたそれは、ゆっくり頭を巡らせて二人の様子を見つめる。
――…フム、散布速度も遅くはない…
 EMPの機能を付加しておいて良かった。これなら散布状況も把握できる。
「頃合いのはずだ」
「…あ…」
 声を出そうとしても、それすらままならない。
 目はひきつり、腕はまるで鉛か何かになってしまったように重い。
 浩之もマルチの方を向いたまま硬直していた。
 マルチは――いや、もうそれはマルチではなかった。
 笑い声をこぼしながら鈴を転がすような声で言う。
「…両腕をあげて」
 二人は一斉に腕を上げた。自分の意志とは別個の場所で、自分の身体が動いている。
――何故、何なんだ?何が起こっている?
 マルチの姿をしたものはくすくす笑い、そして子供のような顔を二人に向ける。
「簡単な物だね、人間なんて物は」
 彼女はそう言うと背中を見せる。
「ああ、安心して良いよ。もうすぐ身体の自由が戻るはずだよ。…くすくす、それまでに間に合うと良いけれど」
――先刻のプログラムを利用しようか…くすくす…そっちの方が効果的だよね
 彼女は身を翻して二人の視界から消える。
「あ……」
 声が出ない。
 マルチの小さな身体が目の前から遠ざかっていく。
――マルチ…

 何かが光ったような気がした。
 蒼い一条の光が、一瞬射し込んだ。
 ざ、とノイズの音が聞こえたと同時に、二人は身体の自由が戻るのが分かった。
「――危険です、綾香御嬢様、浩之様、早く――」
 セリオは『その危険』にいち早く気づいて叫んだ。
 通信状態が回復した彼女の脳裏に、カウントダウンが映っていた。
 

 そして辺りは巨大な光条に包まれた。

 
 報道管制がしかれているのか、一切の事情は分からなかった。
『S区、謎の蒸発?』
 新聞も、一部のゴシップ週刊誌も、果てはインターネット上でも一切それに関する情報はなかった。
「…そうなの」
 綾香は身体の半分に重度の火傷を負い、入院していた。かろうじて顔や目に見える部分はさほどでもないが。
「セリオが何とかしたらしい事以外、分からないんだ」
 セリオは半壊状態で発見されたが、メンテナンス用のDVD-RAMは熱により変成してしまいデータは消失していた。
 あの時に何が起こっていたのか、それを記録していたはずのログにも残されていなかった。
 ただ分かっているのは、当時あの近辺に巨大な『磁気嵐』が発生していたことだけだった。
 S区を通過中の車が急に動かなくなったり、ラジオが入らなくなったという。
 浩之は四方手を尽くして、マルチの生みの親である長瀬源五郎主任には会うことができた。
『すまない、今は何も話せない』
 ただそれだけの答えを残して。
 綾香は澄まし顔でじっと天井を見つめている。
 一度目を閉じると、浩之の方を向いた。
「…セリオは?」
 浩之は頭を振った。
 セリオの中枢は失われてしまっていた。長期保存記憶も、固定記憶も、チップセットも総て。
「何も」
 うなだれる彼を見つめて、綾香は再び天井に視線を移した。
「あの時の『鬼』も、どっか消えちまったよ。あのじじ…セバスチャンも気を失ってたのか覚えてないらしい」
 しばらくの沈黙。浩之は椅子に座り直すと思い出したように懐から手紙を出した。
「そうだ、これ、長瀬主任から」
 綾香は目だけで彼の様子を見つめて、目を閉じた。
「ごめん、読んでくれない?」
 訝しがる浩之は、それでも言われるまま封を切り、中身を出した。
 数枚の文章と、小さな袋に入った黒い塊――有り体に言えば、何かの電子部品のようなものだ――が入っていた。

『綾香御嬢様へ

  今回無理を言ってお願いした事について、まずお詫びします。
  私の想像通りになってしまい、こうして直接お詫びすらできないことになってしまって、お詫びも何もないと思いますが。
  今はまだ何も話せません。
  ただ一つだけ言えるとするならば。
  私は、ある研究をしていました。
  同じ研究室に、違う視点で同じ事を考えた人間がいました。
  そして、二人はその一点について接点を持ち、その一点に関してある企業に気に入られました。
  ですが、彼は根本が私とは考え方が違いました。
  彼は純粋に、もう一つ別個の生命体を作ろうとしていました。
  私はただ、機械はどれだけ人間に近づけるだろうと研究をしていたのです。
  当然、できあがる物は全く違う物になるでしょう。
  私は現HM研究室、我々の言う『第7研』に配属され、彼は今は亡き『第8研』所属が決まりました。
  彼の思想が兵器開発に適していたのでしょう。
  ですが、私の作ったプログラムによりHMシリーズは全世界に知れ渡りました。
  来栖川と言えば世界で知らない者のいない大企業です。
  宣伝効果として、これは絶大だったようです。
  『科学の平和利用』。
  …結果はご存じの通り、来栖川は兵器開発からは手を引きました。
  最大の理由は日本では金にならない、売るにしても若干手間がかかるからではありますが…
  その際、第8研の解散が決定した際に、研究内容を総て持ち去って彼は来栖川から去りました。
  『長瀬に負けた』と一言だけ言い残して。
  セリオの当初の構想は『兵器』でした。
  正確に言うと、戦闘まで許容範囲に含めた完全な汎用ロボットを目指したわけです。
  メインに担当したのは、彼でした。
  マルチの担当が私であったように。
  第8研の解散と同時に、私が残っていた基礎設計を元に作り直したのが今のセリオになります。
  彼は私とは違う視点で物を考えられる男でした。
  残念ながら、結局相容れなかったようです。未だに彼は私を恨んでいました。

  長くなりましたが、私の私的な理由により迷惑をおかけしました。
  後ほど改めてお詫びに参ります。

  追伸
  同封のチップはセリオの予備記憶部分を封入したROMです。
  差し上げます。大事に持ってやって下さい。
                                         長瀬源五郎』
 

 浩之が読み上げるのをじっと聞いていた綾香は、やがて目を開けて浩之の方を向いた。
「勝手な言い分だわ。…そうは思わない?」
 彼女は魅力的な笑みを浮かべると彼女は白いシーツから両手を出して見せた。
 彼女の両手は真っ白い包帯に包まれていた。指先まで綺麗に包まれていた。
 それを見た浩之は絶句して声が出なくなった。浩之が無事なのは、彼女がかばったためである。
 先刻手紙を受け取ろうとしなかったのは、彼女の手が動かないためだったからだ。
「綾香」
 浩之の言葉を遮るように手を振ると、綾香は自分の身体の上にかけられたシーツを掴み寄せる。
「…彼女達には挨拶した?無事なところを見せてきた?」
 彼女が見せる表情は、下らない自己犠牲の結果だろうか?
 浩之は彼女の優しい表情に戸惑いと疎外感を感じて歯ぎしりする。
「そのためだけに…自分が犠牲になったとでもいうのかよ」
 睨み付けられた綾香は一度大きく目を丸くして、ぱちくりと瞬く。
 そしてさもおかしそうに笑うと、包帯だらけの指で浩之の鼻を弾く。
「これは私の責任。浩之を無理に誘ったんだもんね…ま、結果としてマルチは帰ってこなかったんだけど」
 身体を再びベッドに預け、天井を見上げる綾香。
「いいんじゃない?面白かったし」
 彼女は浩之に再びにっこりと笑みを見せた。
「気にしないで。大した怪我じゃない」
 浩之は痛々しい格好の綾香にそう言われても、釈然としない物がわだかまるのが分かった。
 それが自分の無力さからだと言うことに気がついて、拳を握りしめた。

 長瀬らがセリオを回収したときには一切のデータは残っていなかった。
 だが、彼のある勘が何かを教えていた。
「主任?」
 セリオ――この試作型が行う衛星通信は、必ずログを残すようにしている。これは試験機だったころの名残である。
「見て下さい、不自然なログがあります」
 長瀬はセリオを丁寧に解体しながら、顔を向けずに応える。
「あー、松浦君、『静止衛星』についてはもう『我々』の管轄ではないぞ」
 主任の言葉にはっとすると、松浦は機嫌の悪い顔をする。
「…主任がロックをはずしたんでしょうが。それよりも分かりましたよ。やっぱり『TRIDENT』ですね」
 HMX-13専用に作られた、非常に小型の静止衛星『TRIDENT』。
 大型の電磁カタパルトを使用したマスドライバーにより打ち上げられたこの衛星は、極秘裏に来栖川が打ち上げた『兵器』である。
 一度軌道に乗ってしまえば落とす方が難しく(小型のため発見しにくい)、放っておいた物だった。
 いつか使えるかも知れない、と考えていたのも事実だったが。
「それに瓦礫の熱変成の状況が急激すぎます。ただ、今も言ったようにログは不自然なんですよ」
 セリオが直接照準して射撃を行う『衛星レーザー砲』システムは、完全に独立した射撃モードを持っている。
 自律射撃という、『観測者』が射撃点で故障もしくは通信不能に陥るような場合に行うものである。
 数カ所のGPSデータを送り、あらかじめ定めた時刻に射撃を行うのだ。
「通信がとぎれてから、明らかにおかしな時間にプログラムが走らされています」
「セリオが通信できなくなってから、ということかね」
 松浦は頷いた。
「…証拠隠滅を図ったのか…」
 彼はセリオの中から、吸気のフィルタをつまみ上げた。
 月一のメンテが必要な唯一の交換部品。
 これに自己浄化装置を搭載した物が現在販売されているため、ほぼメンテナンスフリーを実現している。
 ほぼ、というのは、彼女達の記憶野を整理してやる『プログラム』的なものがあるからだ。
 それを丁寧に切りとってプレパラートに移していく。
――マルチ、必ず探し出してやるぞ…
 そのための手がかりが残されているはずだ。彼は確信していた。

 誰もいない暗い路地。
 男は座っていた。
 くたびれた格好で、地面に直接座り込んでいた。
 眼鏡をかけ直して、彼は身体を起こした。
「今度は私が雇い主になろう」
 それは非常に小さな依頼人だった。
 背丈など、彼から見れば腰の高さほどしかない。
「金さえ払うなら、俺にとって誰だって構いはしないさ」
 小さな――幼げな顔立ちを醜く歪めて、彼女は言った。
「ふん、あれだけの騒ぎの中で全く無傷だっていうのも、信じられないけれどね」
 男は目を細める。
「…名前は?」
 ポケットに入れた手をだして、彼は自分の眼鏡を押し上げた。
「…俺の名は、柳川だ」

 次回予告

  『柳川…』
  奇妙な夢を見る柳川。そして、自分に記憶のない行動。
 目が覚めると彼は指名手配になっていた。
  正体を追って一路、彼は東京へ。

  Cryptic Writings Chapter 3:Out ta get me 第1話『Doppelgager』

   取りあえず今日は身を隠せ、早く逃げろ

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