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Cryptic Writings

   Chapter 1: COMA
   第3話 鬼

 前回までのあらすじ
 柏木 楓は、駅前で起こった白昼の惨劇に巻き込まれて昏睡状態にある。
 犯人がある薬をやっていた?
 耕一は、それを柳川に聞くことにした。

      ―――――――――――――――――――――――
Chapter 1

主な登場人物
 柳川祐也
  26歳。県警所属、捜査1課の刑事。現在は麻薬取締対策本部で長をやっている。
     鬼については内緒。
          若干ネクラ気味。

 柏木耕一
  20歳。次郎衛門の末裔。エディフェルと結ばなかった運命が再び襲いかかり、
     苦悩している。

 柏木 梓
  18歳。どうも自分の事よりも他人を優先する気配がある。
     乱暴な口調はどうやら耕一に対してだけらしい。

 長瀬刑事
  ?歳。柳川の上司。柳川と昔の自分を重ね合わせることが多く、結構面倒見が良い。
     但し、何を考えているのかはさっぱりである。

       ―――――――――――――――――――――――

 次の日、結局署からでたのは、夏だというのにもう十分に日が暮れた頃だった。
――月が綺麗な夜だ
 何の手がかりも得ることができなかった。
 何故か急に何もやる気が起きなくなったように思えた。
 取り調べには参加した。昨日聞いた話では凄まじく凶暴な犯人で、
 取り押さえられても暴れる、仕方なく(長瀬はさらりと言ってのけたそうだが)
 麻酔を打って眠らせた程の男だという話を聞いていたのだが、そんな感じを微塵にも見せなかった。
 唯一気になったことと言えば、犯人の男から鬼の匂いがしたことだ。
 無論大したものではない。それが原因だとは言い難い。

 吉川について、ある程度の情報があった。
 無職住所不定で借金をいくらか持っていたのだが、それが唐突に返済されているのである。
 それも一度に払うにはかなりの額を、である。 
 それが『行方不明』になる丁度半年前。不自然な事に、それ以来一円も借金が途絶えるのである。
 貴之に金まで貸している事を考えると、相当の金が手に入ったのだろう。
 しかもまだまだ『稼げる』金蔓があったとしか考えられない。
 彼はかぶりを振った。
――俺は何をやっているんだ…
 隆山の様な田舎では、こんな夜には人通りは少ない。彼の視界を横切るのは星明かりと家庭の灯だけだ。
――警官をやめるべきだろうか
 何度か考えた。
 確かに『自分』ではなかったかもしれない。
 貴之を殺したのは。
 何度も思い知らされた。死ぬことすら許されぬあの暗い空間で。
 ゆっくりと蝕んでいく自分ではない自分。
 それが再び『自分の手で』孤独を選んだ。
――貴之がいなくなって、俺に生きる理由はあるのだろうか 
 中に『狩猟者』を抱えたままで。

 彼は自分のマンションにつくと、地下の駐車場へ車を入れた。
「…ん?」
 妙にきな臭い気がして、彼は止めた車の周囲を少し調べてみた。
 常に携帯している小型のライトを点けて車の周りを照らす。
 違う。そうじゃない。彼の勘が何かを告げる。
 先刻からぴりぴりと『信号』を感じているのだ。
――狩猟者…か?
 にしては弱々しい信号だ。
  彼は素早く車に乗り、地下駐車場をでた。

 男の数は四人。
 十分な広さがあるとは言い難い路地の中。
「たったこれだけで…足りるとでも思ったのかい?」
 聞いた。
 四人が相対しているのは声からすると少女のようだ。
 薄暗くてよく分からないが、シルエットは確かに女性の物だ。
 男達の方は既に荒い息をしている。
 女性の方が不審に思った。不自然な『奴ら』の態度に、妙な『匂い』を感じたのだ。

  ゆらぁ

 隙のない動きで一人が間合いを詰めてくる。
――く
 慌てて少女は後ろへ飛んだ。相手の動きが非常に無駄のない動きだったから、だけではない。
 粘っこい殺気のような物を感じたのだ。
 と、同時に彼女の姿が月明かりの下にさらけ出される。
 梓だ。
 時刻は19:00を回ろうとしていた。

「…遅いなぁ」
 梓は帰ってきてからすぐ買い物に出かけた。
『いやぁ、つい耕一が来るのを忘れて…』
 耕一の分の夕食がないらしい。ともかく他にも買い足しておく物があるからと出かけたのだが。
「…30分もかからないと思うけど」
 初音は耕一に同意するように言う。
 少し買い物に時間がかかっているのかもしれないし、あれでも鬼だ。心配いらないだろう。
「…初音ちゃん、場所分かるかい?」
 だが、楓の事もある。耕一は立ち上がって梓の後を追った。

「何なんだお前ら」
 喩えるなら餌を求める獣。
 四人は既に普通の人間ではないようだった。
――鬼?
 動きは緩慢だが、言葉を交わしもしないのに的確に動いて梓に近づいてくる。
 一瞬だけ、ここが袋小路でないことを感謝した。
 もし袋小路なら恐怖感の方が恐らく大きくなっていただろうからだ。

 買い物を終えて帰ろうとした時、変な視線がまとわりついているのに気がついた。
――痴漢?じゃ、なさそうだけど
 気配は四人。十分やれる人数だ。
 そう思ったのが間違いだった。
 買い物袋を拾い、ゆっくり後ずさる。
――簡単に片が付くと思ったんだけどなぁ
 覚悟を決めるにも、相手が多すぎる。ここで鬼になる気にはなれなかった。
 逃げられそうにないのを確認してからでも遅くはないだろう。
 下がりながらそう思った。
「ふぅううううううう」
 男のうち一人が唸るような声をあげた。
「うううううぅぐるううぁぁぁぁぁあああああ」
 呼応するようにまた。
 目つきが変わり、瞳に朱がさす。
――来るっ
 梓が身構えた。

 柳川は無理矢理細い路地へと車を入れると、慎重に車から降りた。
――近い
 すぐ近くにいる。
 相手は相当興奮しているようだ。
 獲物を捉えた獣の、『餓え』と『渇き』が途切れ途切れに伝わってくる。
 その時、より強い信号にそれらがかき消された。
――危険が身に迫った時の、戦慄。
 同時に柳川は地面を蹴っていた。
 焦り。
 確かにそんな物を感じていたような気がする。
 もしかして恐怖かも知れない。
 毎晩毎晩繰り返された鬼との闘いに破れた悔しさかも知れない。
 鬼を畏れ、鬼を止める事。
 それが彼を突き動かしていた。
 路地を抜けるとそこには四人の男と、一人の少女がいた。
 先程の強い信号は奥の少女のものだ。柳川は直感的に思った。

  ぐっるぅううううああああ

 大きく呻り声を上げて男達が一斉に振り向く。
 同時に彼は怒りを覚えた。
――ちっ、出来損ないが
 こいつらは鬼ではない。
 『鬼の血』が薄まって、鬼になることすらできない『出来損ない』だ。
 それが何の作用か、通常表にでないはずの『鬼』が表面化しているのだ。

  ぱき

 喩えようのない感覚――乾いた空気が割れたような音が聞こえたような感覚が襲う。
 柳川を中心にして冷気が放たれているようだった。
「俺は警官だ」
 冷ややかな殺気を孕んだ風に混じって、彼の声が響いた。
「暴行、傷害未遂の現行犯だな」

  ぐるるるる…

 勿論返事など期待しない。
 新たな獲物に怯んだのか、低く唸りながら様子を見ている間に柳川は一歩踏み込む。
「刑事さん、早く逃げて」
 向こう側にいる少女は、助けられたにも関わらずとんちんかんな事を言っている。
 見覚えがある様な気がした。
――…確か、柏木の…
 次女か。
 年齢的にはそれ程いっていないようだし。
――余程、こいつらと縁があるのか
「早く!そいつら普通じゃないんだ!」

  ぶうん

 気を取られ過ぎた。
 のっそり動いていた男達が思わぬ速度で間合いを詰めて来た。
 大振りの拳が一瞬眼前に迫る。

  鋭い痛み

 まるで剃刀で切り裂いた痕のような傷が彼の頬に残る。
 滑るような歩調で間合いを開く。

 梓には襲いかかる男の動きに隠れて、柳川がどう動いたのか分からなかった。
 だが、男がまるで首から上だけがまるで別の物のように弾けた。
  あらぬ方向にまで曲がった首が元に戻ると、男は崩れるように膝から倒れる。
  次は、分かった。
  だが見えなかった。
  柳川の顔が向いた方向に、腕が消えて男が首を仰け反らせる。
――危ない
 丁度真後ろに当たる男が飛びかかるように襲いかかる。
 だが、それも身体を沈めて振り向きざまに肘が入る。
 そして、最後の一人にはその体勢のまま、後ろ蹴りを入れた。
 ここまで、まるでスローモーションの映像を見ているように、梓は感じた。

「ふう、危なかったね。大丈夫かい?」
 先程まで修羅の如く闘った男が、今は柔和な笑みを湛えている。
 何より、あの冷たい殺気は。
 蒼いスーツを着た若い男――耕一より年上だろう――は一応胸元から警察手帳を出した。
 月の光の下では、男はまるで周囲の蒼い闇に溶け込むような雰囲気を持っていた。
「あ、ありがとうございます」
 一応礼を言っておくべきだろう。
 かなり危険な匂いを感じていたが、梓は頭をぺこりと下げた。
「君は早く帰りなさい。こいつらは引き受けよう」
 目の前の少女は目を丸くしたりしながら礼を言っていたが、明らかに信用していない目つきで柳川を見つめている。
 が、やがて彼女は背を向けてこの場から離れた。

 梓は、今の刑事の放っていた殺気は『人間ではない』事に気づいていた。
 ただ、見たことのない男だっただけに首を捻っていた。

  たったったった

 足音が大急ぎで駆け寄ってくる。 
「あ、梓無事か」
 ぜいぜい言いながら彼女の前で肩を揺らしながら耕一が言った。
 一瞬驚いたような顔つきをしたが、すぐに腰に手を当ててむっとする。
「遅い。でも、刑事さんに助けられたからね」
 彼は少し眉を寄せてオウム返しに『刑事さん?』と問うた。
「そうだけど」

  ごぅっ

 音もなく風が駆け抜けたように、肌を粟立たせる気配が、戦慄が二人に叩きつけられる。
――これはっ
 耕一は思わず殺気の走った方向へ向かう。梓も何も言わず彼の後について走った。
 先刻まで、自分が囲まれていた場所だ。
「柳川!」
 耕一が路地に飛び出したとき、柳川は3人の男に囲まれていた。
 

 ため息をついて振り返る。
 一人は自分の足下で泡をくって倒れている。

  どん

 視界が大きく揺れて、路地の壁際まで身体が転がる。
 したたかに背中を打ち付けたせいで息が詰まる。
 慌てて腕で体勢を立て直して身構えた。
 油断した。
 柳川は明らかに自分の失策を悔やんでいた。

  ぶぅん

 膝を折る
 暗い場所へ

  ひゅ

 柳川の呼吸音が、甲高く鳴った。
 体勢を立て直したところへ、再び大振りの一撃が襲いかかった。
 それを身体を沈めてかわすと、息吹と共に相手の顎に反撃を加えた。
 大きく仰け反って倒れる男の後ろには、まだ二人の男が立っていた。
 所詮チンピラと鷹をくくっていたのが間違いだった。
 口の中が切れ、歯が折れていた。
「!」
 その時、自分の視界の外側から黒い塊が疾走して来た。
 そして、自分から遠い男が気がつくよりも早く襲いかかった。
 まるで風に飛ばされたように倒れ込んだ。
「柳川、力貸すぜ」
 風は悠然と柳川に顔を向けた。
 風は、男だった。柏木家の、かつて柳川を助けた男。
 彼の目はうっすらと血の色を湛えている。
「…殺すなよ」
 柳川の言葉に、耕一は口を歪めた。
 

  す

 間合いを切ろうとして、柳川の前の男が一歩下がる。
 口元を、大きく歪めた。
 力をぎりぎりまで開放した右手が、まるで空を斬るように柳川と男の間の空間を走る。
 と、まるで鋭い刃物で切り裂いたかのように、男の胸元から鮮血が上がった。
 真空の刃が男を切り裂いたのだ。
 その隙に柳川はさらに踏み込み、男の頭を掴んで後頭部を叩くようにして地面に押さえ込んだ。
 耕一はもう一人を壁に押しつけて締め落としていた。
 以外にも呆気なく闘いは終わった。
「こいつら…鬼か?」
 柳川は首を振った。確かに血の匂いはするが、自分達と同等ではない。
「…」
 一人の懐を探ってみる。
 あった。
 溶解性のある大きめのカプセルが幾つか包装されたまま入っている。
「…こいつのせいだな」
 柳川がそれをつまみ上げると、耕一の顔が硬直した。
『Hysteria heaven』
 ラベルにはそう印刷されていた。

 携帯で近場の警察署に連絡を入れる。柳川がここでしょっ引いても良いのだが、少し時間が欲しい。
「柳川、昨日の通り魔の事件、知ってるか?」
 耕一はついでとばかりに質問する。
「ああ、うちの管轄だからな」
 何故そんなことを聞く。柳川がそう言葉を継ごうとした時、
 耕一の後ろから梓が覗いているのが見えた。
 耕一が柳川に言葉を継ごうとした瞬間。
「耕一」
 梓が無理矢理ぐいっと耕一を後ろに引いて、耳元に口を持っていく。
「後で聞きたいことがいっぱいあるからね」
 言うだけ言うと彼を放して、自分は背を向けた。
「先に帰ってるから」
 怒ったような口調の梓。
 困った顔で柳川に向き直った時、柳川は薄ら笑いを浮かべていた。
「尻に敷かれそうだな」 
「…うるせえ」
 柳川は親指で路地の奥を指さした。
「詳しい話を聞きたいだろう?」
 耕一が頷くのを見て、柳川は言った。
「俺も、二、三頼みがある」
 路地の先には柳川の車が停めてあった。

 車中、短いドライブの間、二人とも何も話さなかった。
 特に話す内容があった訳でもなく、淡々としたドライブを終えて車は小さな喫茶店で止まった。

  きぃいい

 わざと軋むように作りつけた扉が音を立て、薄暗い店内に入る。
 適当に注文して、二人は向かい合って座った。
「ここなら静かで、あまり人もいない」
 そう言えば客が少ない。
「訳ありの話は、全部ここでする事に決めている」
 刑事がこういうとあまりしゃれにならない気もするが、耕一は敢えて言わない事にした。
「なら、まず俺から聞いても良いか」 
 耕一の表情が追いつめられたような真摯な表情である事に、柳川は気がついた。
 彼はその表情を知っている。
「いいだろう」
「…昨日の通り魔事件、あの犯人はどうなるんだ?薬をやってたんだろ?」
「殺人未遂は確かだが、それ以上の容疑はまだだ」
 柳川は耕一の表情の変化を見ながら続ける。
「…ドラッグと覚醒剤の違いは分かるか?…その顔じゃ、分からないようだな」
 精製前の大麻等をドラッグ、覚醒剤は調合され製薬されたもの。
 精製前の薬は、漢方なども含めて使用が制限されている。
 市販される漢方薬がエキスだったりその濃度を制限されるのと同じである。
「習慣性やらは同等でも、それによって若干の罪の差がある、だが重くなることは間違いない」
「死刑には、ならないんだろ」
「日本ではな」
 一時期話題になった死刑廃止の動きもさることながら、
 日本での罪人の扱いがだんだん難しくなりつつあるのだ。
 法的に個人を拘束する事すら難しいのに、簡単に殺せるわけがない。
「感情的になっても無駄だぞ」
 柳川は両手を組んで耕一の顔を見つめた。以前自分を『人殺し』と呼んだ顔が、
 複雑な感情の中で揺れ動いている。
「…分かってる…」
 言葉でそう言ったところで、柳川には手に取るように分かる。
 以前、同じような目にあったからだ。
「折角だからその気持ちを、貸して貰えないか」
 耕一は怪訝そうに柳川を見返した。
「今度は自分の番だ。お前にしかできないことだ。…頼む」
 耕一は目を円くしていたが、やがて頷いた。

 次回予告
    「…さて、それじゃ教えて貰おうか」
  共同戦線をはる耕一と柳川。
  謎の薬、『Hysteria Heaven』とは?
  単独の捜査に成果はあるのか?

  Cryptic Writings chapter 1:COMA 第4話『捜査』

  何もできない事が当たり前だろう?別にそれは恥じゃない

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