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携帯電話。


「兄さん、ちょっとお話があります」
 こんな風に切り出してくる時は、お説教に違いない。
 夕食後のお茶の前に、志貴は一波乱を予感した。
「なんだい」
 こういうときはとりあえず下手に出るに限る。
「あのあーぱー吸血姫から手を引きなさい」
「は」
――突然我が妹はなんてことを
 いや、志貴の妹だから当たり前だ。
「ええ別れなさい、こんなに可愛い妹と使用人二人もここにいるのに、他の女に手を出すなんてもってのほか」
「……自分で言う事じゃないぞ、秋葉」
 手を出して良いかどうかも問題だぞ、志貴。
「ええい、兄さんは黙ってて。今私が話をしているんです」
 秋葉は怒りが高まってきて興奮すると、声の抑揚が大きくなって甲高くなる。
 裏声、と言う奴である。
 昔のヒステリ女のように、きんきんと甲高く鳴く。
「いいですか?兄さん聞いてるんですか?」
「……聞いてるよ」
「判ったのなら別れなさい」
 声がいつもの丸みと深みを持ち始める。
 どうやら落ち着いたようだ。
「あはは。秋葉さまは焼き餅を焼いてるんですよね」

  すぱこん

「誰がっ…」
 琥珀は秋葉にはたかれても顔色を一切変えずにみょんみょんと身体を揺らせる。
 某ココロのスキマを埋めるどーん男のように。
「聞いてくださいよ、志貴さん。ほら…」
「その前に身体の揺れを止めてください。凄く気になるから」
 そーですかとか言いながら、足で踏ん張って身体を止める琥珀。
「ほら、聞こえません?」
「……?」
 琥珀がにこにこしたまま小首を傾げる――ふと、志貴は耳をすませてみた。

  じりりり…はい、遠野です…

「ね?」
「琥珀」
「秋葉さま、志貴さんは鈍感でとーへんぼくなんだからきちんと言って差し上げないと」
 本人の目の前で言うな。
 秋葉ににこにこで抗議して、くるりと顔だけを回して志貴を見る。
「アルクェイドさまから、一日に多いときで二十回かかってきてるんですよ」
「え?…なんで、アルクェイドから」
「ストーカーに決まってるじゃない」
 いや、『いつでも付きまとう恋人』という意味ではないぞ、それは。
「だから別れなさい、いいえ、別れないなら私が直々に」
「待て、直々にどうするつもりだ!たかが電話だろう、きちんと今度言って聞かせるから」
 秋葉、少し上目。
 強気に言っているが、今回は彼女に分が悪い。
 志貴だって譲るつもりはない。
「……にいさん、私は…」

  ごにょごにょ

「ふぅ、全く、電話ぐらいでそんなに怒るなよ。…なんなら、携帯電話を契約して」
「ダメです。いったい何に使うつもりですか。家には電話があるし、公衆電話があるでしょう」
 ……もしかして、お金の管理をする秋葉って、父親似ではないだろうか。
 そんな事を思う志貴だった。

『やっほー』
 どうしようもないので、電話口で待ってみた。
 数分もしないうちに電話がかかってきた。
 少し離れたところで翡翠の姿が見えたが、志貴の姿を見て立ち止まった。
「アルクェイド」
『あー志貴だぁ』
 間延びした、雑音混じりの声が聞こえた。
「お前ね、今何時か判ってる?」
『何、時計持ってないの?今夜中の九時過ぎに決まってるじゃないの』
「普通はそんな時間に電話はしてこないものなの。…判ってないだろ」
 少しの間、会話が途切れる。
『……そなんだ。…日本の風習?』
「礼儀って奴だ!何考えて何度も何度も電話してくるんだ」
『だって話をしたいし』
 この金持ち莫迦女は。
 思わずそう呟きそうになって歯がみする。
――秋葉の考え方が移ったかな
「それに、今まで電話してくるなんて事、なかっただろう?」
『うん、電話買ったんだ』
 どうやらこの吸血姫様は完全に日本に住み着いてしまう予定のようだ。
 ……高くつきそうだ。
「電話、ねぇ…」
 そう言えば彼女の声は何だか遠い。
 雑音というよりこもったような声に聞こえる。
「携帯電話はおもちゃじゃないんだぞ」
『安心してよ志貴、志貴の分もちゃーんとあるんだから』
「おい」
『だって何回この電話にかけても通じないから、買ってあげたんだよ。ほら、これで』
「こんんんの馬鹿女っ」
 びりびり。
 あ、向こう側で翡翠もびっくりした。
 電話越しにアルクェイドが震えているのが目に浮かぶ。
『な、何よ、なんで馬鹿なのよ』
「話をするだけなら、アルクェイド、うちにくれば良いじゃないか。そんな無駄にお金を使う必要なんかないだろう」
 しばらく無言。
 電波が切れたのか、と思うがぼそぼそというスピーカーを叩く音が聞こえる。
『……ぷろぽーず?』

  がたっっ

「俺は、お前にこれから何回馬鹿って言わなきゃいけないんだろうか」
『はは、うん、それは冗談だけど。……わかった、この電話にはもうかけない。これでいい?』
「その方がいい。うちの五月蠅い妹もこれで何も言わなくなるから」
『うん、志貴ごめんね。……じゃ、お休み〜』
「おやすみ」

  かちん

「誰が五月蠅い妹ですか」
「ふぎゃ」
 思わず蛙を踏みつぶしたような声をあげて、電話にしたたかに腰をぶつける志貴。
 そのままかがみ込んで腰をさする。
「いてててて…秋葉、真後ろで盗み聞きするなよ」
「べ、別に盗み聞きしてた訳じゃありません。…こんな夜中に電話しているからです」
 立ち上がると、彼女はふいっと顔を背けたまま彼の視界の下を陣取っている。
「そうだよな。ごめん。…もう、電話かけてこないように言ったからさ」
「……当然です、当たり前です。礼儀知らずも良いところです、こんな時間に電話するなんて」
 そのまま彼女はとてとてと自分の部屋へと向かう。
「あ、にいさん」
 階段に向かおうとした志貴に、秋葉は声をかけた。
 彼女も自分の部屋の前にいる。少し離れているので、表情はわかりにくい。
「先刻はごめんなさい。少し頭に来たものですから」
 会釈するように軽く頭を下げた。
「いいよ、怒らせるような事をした方が悪いんだから。お休み、秋葉」
「ええ、お休みなさい」

 そして。
 『なぜか』部屋で待っていたアルクェイドとか、神出鬼没に姿を現すようになったアルクェイドにますますぶちきれる事になるのだった。
 どっとはらい。



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