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『穹』から零れた物語

第5話 由宇の場合


「よ、和樹♪」
 ひょんなところで由宇と逢った。
 用事で画材を買いに東京周辺をぐるぐると回っている時だった。
「あれ?由宇、お前なんでここにいるんだ?」
 由宇の行動力というか、行動範囲は広い。
 金を持っているのか、しょっちゅう東京まで脚を伸ばしている。
 何もこんなところまで来なくても、大阪なら十分な画材も、また客もいるだろうに。
「なんや、うちの事そんなに邪険にせんでもえーやん」
 にぱっと笑って言うと、澄まし顔でじっと見つめる。
「な、何だよ」
「…いや。…別に」
 にこにこと笑って由宇は両手を頭の後ろで組む。
「何しに来てん?」
「買い物にね」
 言わなくても判ってるだろうが。
 案の定、由宇は睨み付けるような半開きの目で見る。
「なん?うちはそんなに阿呆に見えるか」
「ん?じゃ、一緒に見て回るか?」
「弩阿呆!」

  ぱぁん

 どこから持ち出したのか、いつの間にか彼女の手にはハリセンが握られていた。
 呆れた表情で、彼女はハリセンを両手で弄んでいる。
「うちが聞いてるんや。和樹、お前疑問型に疑問型で答えるようにセンセに習(なろ)たんかい?ぁあ?」
 ダメだ、ちょっと逆なでしすぎたようだ。
 完全に切れてしまった。
「悪かった。画材探しに来ただけだよ。いつもの買い出し」
「ほう、そうか」
 素直に謝られた上に真面目に答えたせいだろう、振り上げた拳をおろすところを見つけられなくて黙り込んでしまう。
 むっとむくれたまま、顔を背けてしまう。
「そんなに怒らなくても良いだろ」
「怒ってんとちゃう。…自己嫌悪や」
 髪の毛の向こう側で、彼女が答えた。
 仕方ないのでしばらく首を捻って答える。
「…今日はクリスマスだろ?」
「っれがどーかしたんか」
「いや、由宇なら丁度修羅場じゃないかなって思ってたんだけど」
「…んなら和樹だってそやないか。いつもなら」
「いや、今回俺は落ちたし」
「んなもん、うちになんで相談せーへんの」
 と、いいつつ彼女は笑顔をこちらに向ける。
 苦笑い。
「ま、うちも今回は落ちたんやけどな…牧やんに睨まれてしもて」
 そう言って肩をすくめる。
 確かにそのせいか、彼女は心なしか元気がない。
 そもそも睨まれるのは詠美の仕事じゃないのか?
「なに辛気くさい顔してんねん。ちょっとマナーの悪い奴しばき倒したせいや、クレームふっかけられてぇな」
 小さく肩をすくめてみせる。
「ケツの穴の小さいやっちゃで、ほんま。牧やんもうちを追い出さざるを得なかったっちゅーこっちゃ」
 彼女は毎年来れるよう金を用意している。
 余ったから…東京に遊びに来たのか?
 でも、そう聞く気にはなれない。
 これ以上彼女を逆撫でしても出てくるのはとばっちりだけだ。
「ふーん…ま、俺は久々にスケッチでもしようかって思ってるんだけどね」
 振って沸いた暇だ。使えるだけ使わないと損だ。
 というのも間違ってるかも知れない。
 たかが余暇つぶしのはずの趣味が、まるで仕事のようになっている。
 それがなくなるだけで――こんなにも重荷だったのかと気がついてしまう。
「…うちら、本気で阿呆やろな」
 由宇は一言――真剣に言うと明るい表情を向ける。
「それ面白そやな。な、スケブだけで構わへんの?だったらつき合うで」
 どうせ暇やし。
 彼女はその言葉は言おうとしなかった。
「鉛筆があればできるよ。気晴らしにもなるし、良い練習になるだろうし」
「よっしゃ。…で、どこ行くん?」


 どこもかしこも赤い服を着た人間ばかり。
 多宗教の混在する日本ならではのクリスマス。
 本来なら縁のないこんな光景も、今日ばかりは本当に久しぶりに。
「なぁ」
 スケッチブックの上を濃いめの鉛筆が走る。
「…ん?」
「うちら、やっぱ阿呆なんやろな」
 上野の不忍池の周囲もクリスマスの雰囲気で満ちている。
 こういう公園ではさすがに目立つものではないが、それでも浮いた気がするのは気のせいではない。
「せっかくのクリスマスやのに、こんなことしてて」
 毎年の事を考えたらそれどころじゃないだろうが。
 多分、マナーの悪かった客をこてんぱんにのしたんだろう。
「…由宇は、こうやってスケッチしているよりは同人誌を描いていたいのか?」
 しばらく鉛筆の走る音。
 返事がない。ふと由宇の方に目を向けると、彼女はスケッチブックに視線を落として手を止めている。
「由宇?」
「…判らへんわ、そんなもん。うちは良い物を作ってきたつもりやったから」
「そんな、凄い本をいつも作って…」
「五月蠅いわ!」
 叫んでから、初めて自分のしたことに気がついて、慌てて両手を振って取り繕う笑みを浮かべる。
「ごめん、今のなし。気にせぇへんといて」
「…その客、酷い奴だったんだな」
 しばらく逡巡して彼女は目を踊らせる。
 泳ぐ視線は、やがて自分のスケッチブックに辿り着いて止まる。
「本当は客やなかったねん…因縁吹っかけて来たんは、実はスタッフの一人やねん」
 どこからか、笑い声が聞こえる。
 『ジングルベル』が鳴り響いている。
「理由はあんまり言いたない…ともかく、うちはそいつをぶっ飛ばしたんや」
 日が暮れ始めたせいか、空気が凍てついてきた。
 どうせ日が暮れればスケッチどころじゃない。
「うち、同人続ける気に…なれへんかった」
 客じゃない。
 それが彼女に相当プレッシャーになったんだろう。
 由宇なら客の言葉でここまでふさぎ込むような真似はしないだろうし。
「由宇らしくないけどな」
 こういうとあれだが。
 同人じゃない由宇は由宇じゃない。
 同人あるところ由宇あり。由宇と同人を切り離すことなど、この世の法則に反している。
「それは判ってるんやけど…」
 本人にそれを理解させるしかない。
「俺達は阿呆なんだろ?阿呆なら阿呆らしくそれだけ考えてたらいいんじゃないか?」
 ふさぎ込んでいる由宇を、これ以上は見ていられない。
 かと言って、下手な励ましなんか彼女には必要ないだろう。
 だったら。
 横っ面はたくぐらいの気持ちで言うのが一番だろう。
「阿呆になり切れてないからだろ。ホントは阿呆と違うからだよ」
 由宇は口元だけを歪めて、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「褒めてんのかけなしてんのか判らんわ」
「けなしてるんだよ、由宇。『お前はその程度だったんだな』って」
「なっ…」
 あっという間に彼女は表情に怒りを露わにする。
 いつもの彼女の怒り顔だ。…が、何かに気がついたのか、すっと顔から険が消える。
 そしてため息一つつくと、にっと笑みを浮かべた。
 今日、初めて見た彼女の弾けるような笑み。
「…ありがとな、和樹。そや、そのとおりや。このぐらいで鬱ぎ込んでたらあかん」
 スタッフに何を言われたのかは判らない。
 彼女がぶち切れたんだから、相当な事なんだろう。
 でも、今の彼女を見ていれば、もうそんなこともないだろうと言い切れる。
 由宇は一歩一歩確かめるように近づいてきて、すぐ側で――怖い笑みに変える。
「でもそのまえに」

  ばしっ

「い、痛ぇっ!」
「うちをけなした罪は重いでぇっ」
 夕暮れの上野の公園で、痴話喧嘩にもにた悲鳴が――男の悲鳴だが――上がる。
「待てっ、そんなんでうちが赦すと思うか!」
 それに混じって響くハリセンの音と、嬉しそうな少女の声。
 やがて降り出した白い雪が公園を埋め尽くす頃には、もうその声も遠ざかっていた。


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