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カゴノナカ

 嫌。
 嫌。
 いや。
 きらい。
 もうききたくない。
 なんにも…
 もういや、五月蠅い…あっちにいってっ。

「だめだ、瑠璃子さん」
 …何?
 誰?
 なんで向こうに行ってくれないの?

「長瀬ちゃん、無理強いはよくないよ」

 誰なの…

「還ってこれるのかどうかは結局その人しだいなんだよ」



『切り裂きジャック、現る』

 そんな新聞の見出しが踊っていた。
 別にどうでも良い話。
 だからといってどうなるわけでもない話。
 沙織はフンと鼻を鳴らして新聞を投げ捨てた。
――くだらない
 何で週刊誌の3面記事みたいのが新聞に載ってるの?
 彼女は気が気でならなかった。
 何故なら――間違いなく、学校でその話題はもちきりだろうからだ。
 そうでなくとも、『切り裂きジャック』などという名前を新聞に載せる方も載せる方だ。
 いや。
 実際警察発表をテレビで見ればそれを理解できる。
 さすがに死体や殺され方まで発表されないが、伝え聞く話によりそれすら民衆の知れ渡るところとなる。
 曰く、ずたずたに引き裂かれた死体が転がっていたこと。
 それが、あまりにも酷い有様だったこと。
 内臓が脈打つのを、発見者が確認していること。
 すなわち――完全な死は、発見された当時より数分前だということ。
――なんて事件なの
 あまりに猟奇的で気狂いじみた殺し方で、とても表現できるものではない。
 話題に上らない方が…不思議だ。
 だが沙織はその話にとてもではないがのってこれなかった。
 学校中の噂になっていても、それに耳を傾けることはなかった。
「沙織?」
 隣に座っている友人が声をかけてきた。
 それでも、彼女は適当に誤魔化した。
 いつもは身振り手振りを添えて話を振りまく彼女だけに、友人は彼女の態度を心配していた。
「どこか身体の調子でも悪いの?」
「ううん、そんなんじゃないから」
 沙織は何となく応えると、ふうとため息をついた。

『お化けなんかいないっ』
 沙織が叫んで少年を殴ると、彼は勢いよく机を転がして床に倒れた。
『っ、やったな、女の癖にっ』

――嫌な、思い出
 ふと視線をあげて窓の外を覗く。
 雪は降りそうにないが、灰色の寒空が広がっている。
――ああ、早く春が来ないかなぁ…
 陰鬱な気分を天気のせいにして、彼女は机に突っ伏した。
 その日は授業が終わっても憂鬱な気分が晴れなかった。
 クラブで練習していても、どうにも調子が悪い。
「どうしたの沙織、らしくないわね」
 先輩に呼び止められ、草臥れた顔を向ける。
 さすがに先輩も苦笑して腰に手を当てる。
「最近根詰めて練習しすぎ何じゃないの?」
「いえ、そんな」
「昨日も最後まで居たんでしょ?」
 そう。
 御陰で今日も気分が悪い。
――一体、あれはなんだったんだろ?
 幽鬼のような表情のない顔。
 感情を押し殺したような嫌な顔。
 ゾンビ。
 そう、まさにゾンビとしか言いようのない連中だった。
――ううん、人間だよ。ゾンビなんか居ないんだから
 先輩の薦めもあり、彼女はその日はすぐに練習を切り上げて帰る事にした。
 大体…あんな連中にもう会いたくない。

  ぐちゃ

  ぐちゃ

 湿った音がする。
 くぐもった呼吸音。
 そして混じる、雫の散る音。
 残念なことに、月夜でもないその一角には光は届かない。
 届かない。

  めり  ぶちぶちぶち

 だがそこで何かが行われていた。
 生理的に嫌悪する音を立てていた。

 闇が、そこにはあった。

 切り裂きジャック。
 正体不明の殺人鬼がこの平成の日本に姿を現していた。
 事件そのものは1889年はロンドンで終結を向かえた。
 娼婦ばかり狙って内臓を引きずり出すという残忍な手段で行われた凶行である。
 犯人は見つかっていない。ジャック、というのは日本で言うところの『太郎』にあたる擬人語である。
「また殺されたらしいわよ」
 母親が言った。
 沙織は興味なさ気に応えるが、逆に彼女はがんとして沙織に言う。
「気をつけなさいよ、物騒なんだから」
「判ってるって。だから昨日だって早く帰ってきたじゃない」
 ほんと、変な連中には関わりたくない。
 正気の沙汰じゃない。
「今日も早く帰ってくるから」
 友人は『見てみたい』などと下らない事を言っていたが、関わるつもりはなかった。
 その日、彼に会うまでは。
「新城さん?」
 顔の長い国語教師に声をかけられて首を捻った。
 この教師、生徒からは『馬』の愛称で親しまれている。
「何ですか?」
「ちょっと頼み事があるんだけどね」
 気さくな感じで、特別嫌な気にもならない。
 気安く引き受けて、彼女は先生の『甥』である、長瀬祐介に会いに行くことになった。
――事件の証言をして欲しい、だなんて、かっこいいっ
 気楽にそう考えていた。

 その事が判るまでは。
「…で、祐介君?」
 祐介は彼女の言葉を聞いているのかいないのか、判らない様子だった。
 そこでそう声をかけたのだが…
「やっぱりそうだったんですか」
 彼は残念そうな響のする声でいうと、一歩下がった。
「な、なに?」
「実際に人を殺したのは貴方だったんですよ」
 祐介は冷ややかな目で沙織を見つめている。
「話していて、やっとそれが理解できました」
「嘘よ」
 沙織は叫んだ。
 あたりまえじゃない、あたしじゃない。
 あたしがそんな事するはずない。
「では、誰かその3人を見た人がいますか?」

  どくん

「な、何の…話…」
「昨日の夕べに見たという、体育館の側にいた3人の事です」
 少年は――祐介は、冷たい仮面を突きつけるように。
 いや、実は

  ろ  に
 は


「そもそも、貴方が見た3人というのは、貴方が殺したはずの人間ですよ」

  このつめたいろうかのそこには

「貴方の代わりに切り裂かれて死んだ、可哀想な人間ですから」

  どくん

「ほら、もう口が聞けなくなってきた」

 何を言ってるのよ、あたしは

「早く目を覚まさないと」


 手にしたステンレス製の鋏。
 どこででも手に入る安い鋏。
 スーパーで安売りしてた鋏。
 それを鑢と砥石で尖らせて。
 極簡単な――凶器に変える。

「ただそれだけのことさ」
 暗い部屋。
 暗いはずだ、そこには全くの明かりはない。
 窓すら、そこには存在しない。
 本来なら誰かが気がついてここの存在を知るかも知れない。
 だがそこは強制的に忘れ去られた場所。
「――だって生きていないと、筋肉が硬直して切りにくいじゃないか」
 その男が、学校にいる全ての人間からここを切り離した。
 学校に入った人間は、この場所の事を知らない。
 本来ならば。
「もっとも、もう何も言わなくても人を見つけて切り刻んでいるけどね」
 脚を組んで右手で自分の顔を押さえ、顎をなでる。
 机の上に腰をかけて、上目で指の間から睨み付ける。
 その視線の間に彼女が立っていた。
 一糸まとわぬ姿で、右手に鋏を持って。
「貴方という人は」
 ぱりぱりと固まった血糊が黒い粉になって崩れる。
 一歩一歩歩くたびにそれが彼女の周りを舞う。
「…なんだ?くくく…しかし君もよくよくここを見つけられたものだ」
 鋭い目を祐介に向けたまま、彼は立ち上がった。
「ここ数日間、妙に沙織くんの動きが鈍かったからな。お前の邪魔が入っていたからだったんだな」
「体育館で夜中まで練習していて姿を消した彼女を、探すように頼まれたんですよ。ある人にね」
 そう言って祐介は肩をすくめてみせる。
「…そいつも電波使いだな」
「答える義務はありませんがね」

  この冷たい廊下の底には、刻まれた死体が転がっている。
  血なまぐさい臭いに囲まれている。
  恐怖に引きつって動かない顔をした男に、鋏を突き立てる。

「もう戻れないと知っていても?」
 彼は笑みを浮かべる。
 口元を歪めただけの僅かな笑み。
 その卑屈そうな口元――狂気を僅かににじませた笑み。
「戻してみせるさ。…その前に、月島さん、貴方を助けます」



 だめ

 だめなの

 もうこえをかけないで

 おねがいだから、そんなこえをきかせないで


「長瀬ちゃんのやり方が乱暴だったから、しばらく閉じてしまってるよ」
 瑠璃子は彼女の顔を見つめて言う。
「だって、泣いてるもの」
 白いシーツ。
 青みのかかった白さは、決して綺麗だとは思えない。
 病的な色。拒絶の純白。
 射し込んでくる光だけは唯一この世界に色を与えてくれる。
「すみません、そろそろ面会時間は終わりです」
 看護士の声に、ベッドの側に座っていた二人は立ち上がった。
「いこう、瑠璃子さん」
「明日も来ようね」
 僅かに首を傾げて、瑠璃子は祐介を見た。
 虚ろな目で、少年の瞳を見つめた。
「うん。絶対…彼女を、起こしてみせる」



 学校の校内で行方不明になった生徒達は、切り刻まれた形で発見された。
 犯人は逮捕されたが、未だに意味不明な証言を続けているという。


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