―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
魔眼。
この世には様々な魔眼が存在し、それにはそれぞれ物騒な名前が付けられている。
特に世界的に有名なのはドルイドの伝承にある『バロール』の魔眼だろう。
バロールが所有しており、比較的類を見ない程特異であったために固有名詞ともなった『死』の魔眼である。
類似する伝承では、仙人の持つ『浄眼』なるものもある。
一口に魔眼と言ったところでは、普通は眼力の強い人の目を差して言うこともある。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「何を読んでいるんだ」
師匠が声をかけてきた。
何故こんな、同い年より少し上ぐらいの少女を師匠と呼ぶのか、だって?
そうだな、確かに時々ステイトって呼び捨ててるけど、一応はほら、格好は師匠な訳だし。
年上には違いないし。
それに師匠と呼べと言われているからな。
おっと、俺の名は当麻聖、中学二年になったばかりだ。
聞いたところによると、俺は名前からして既に退魔師だったとか、そんな話を聞いた。
『名前が強力な言霊になっていて…』とか、師匠が言った。
まあ詳しい事は俺にはさっぱりだし、そんな事はどうでも良い些細な事だ。
大事なのは、俺は、今その修行の真っ最中ということなのだ。
SinsAbell
魔眼のお話
師匠は非常に不機嫌な顔で、自分の湯飲みに砂糖どばどば放り込む。
「下らないオカルト冊子か。そんなものでは知識にもならんぞ」
おどろおどろしい表紙、内側のイラストが視界に入ったんだろう。
あからさまに嫌悪感を顔に出して言う。
「ちぇ。ステイト、自分で言った事、覚えてる?」
このアポ=ステイトなる我が退魔業の師匠は400年も生きていて、その癖世界中を渡り歩いていたので日本語も話せる。
そのくせ、自分に都合の悪い事は一つとして覚えていないという悪逆非道の限りを尽くす女なのだ。
あ、案の定けろっとした顔でしれっと俺を見てやがる。
「……お前の、魔眼の件か」
あ、意外。
少し苦そうな表情をした。
「確かにお前には『自分で調べろ』って言ったが」
そして再び目つきを険しくする。
ちなみにあの湯飲みには日本茶が入っている。
止めても聞かないので放っているが(こないだ初めて呑んだらしい)『苦い!こんな苦いもの飲めるか!』と一蹴して砂糖を入れた時は。
いや、皆まで言うまい。まだましになった方なんだ。
「……?なんだ、その哀れみにも似た視線は」
「いえ、何でもないです。それより続きは」
ステイトは腕を組んでふうとため息をついた。
「参考文献なら、私が幾らか持っていると言っただろう」
「師匠の持っている本は参考どころか国宝クラスの古文書でしょうが。あんな古い文書読めますかいな」
全く、古代ヘブライだか何だか知らないがあんな怪しげでのたくった謎の筆記体なんか読めるものか。
俺には落書き以下の価値しかないぞ。
あ、師匠がため息をついた。
なんだか徹底的に馬鹿にされている気がする。
「だからといってそんな本を当てにするのか…仕方ない、説明してやるからそんな本は捨てろ」
そう言ってひょいっと簡単に本を奪い取られてしまう。
さらに、ただのゴミのようにぽいっとゴミ箱に投げ捨てられる。
ひどいもんだが、反論しようものなら必ず反撃が待ち伏せている。
だから黙っておこう。
「どうした?そんなに説明して貰えることが嬉しいのか」
ううー……
滂沱と涙を流しながら俺は耐えた。
あの本は高かったんだ!中学生のおこづかいでは厳しい程高い本だったんだ!
「じゃあ始めようか。…お前は自分の魔眼について調べたいのか?」
俺は頷いた。
声なんかでない。
アレは数ヶ月分の小遣いに匹敵するんだ!
俺の無言の抵抗なんか足の先で一蹴されてしまうだろう。
事実そうなってるし。
「魔眼というのは基本的には魔力を秘めた眼の事を言う。実際、お前はその目を『使って』いるだろう」
言われればそうだ。
確かに魔物に反応してこの目が熱くなる。
でも実際に熱を帯びているかどうかは判らない。そして、魔物を倒すために鬼力を使った時は決まって痛む。
俺が頷くと、彼女はさらに話を進めた。
「素質や素養ってのもあるだろうが、それはそれだけ魔物に近いということでもある」
思い当たる節があるから俺は反論も何もしなかった。
彼女に助けられた時、俺は魔物の体液を貰っていた。
正確には傷口から侵入したんだが、通常は毒であるそれが俺の体質に反応した。
考えれば、アレが始まりなんだ。
ステイトは俺の様子を見ながら頷いたり顰めっ面をしたりしている。
「魔眼と世に呼ばれているものよりは浄眼に近い。…先刻の本ではないが、そう呼ばれる眼も結局は魔眼だ」
修行によっては身に付かない、魔なるモノを討ち滅ぼす…共通項だけ上げても同じだ。
「魔力を持っている、ってこと?」
「似たようなモノだ。どうせ分類するのは人間のやり方だ。黒人、白人、モンゴロイドって呼ばれたって人間には違いない。
異端と呼ばれたってそれが基督教である事に違いはない。
ヤーヴェと呼ぼうが仏と呼ぼうが、どんな人格を持たせようが、YHVH、テトラグラマトンと呼ぼうが神は神だ。
ただ人間は自らの自己主張のためにそれらを分類して、片方を滅ぼそうとする。
………私は四百年、それを見てきたんだ」
それと同じだ、と彼女は言った。
「使い方と顕現の仕方の差だよ。気にするな」
気にするなと言われても、急に言葉の内容が難しくなって理解できなかった。
ごくり、と彼女が湯飲みを傾ける。
「あ、ああ」
呑んだよ、アレを。
ああ、見る見るうちにステイトの顔が変わっていく。
僅かに腰を浮かせて逃げる体勢を整える。
「じゃあ気が済んだか?」
にんまり。
俺は、この師匠が嬉しそうに顔を歪める瞬間が、一番怖かった。
実際俺は彼女が笑うところをまだ見ていない。
この喜悦というか、今から起こる事を予期して歪む顔しか見た事がない。
そして、大体その理由は判っている。
だからわき目もふらずに俺は立ち上がって背を向けた。
「こら、逃げるなっ」
ぶおんという不気味な音と同時に一気に視界が暗転する。
唸りを上げて湯飲みが俺の後頭部にヒットしたようだ。
無茶苦茶熱かったぞ。
そのまま、身体が倒れたのが判った。
「私が砂糖を入れるのを知っていて、ラベルを入れ替えただろうお前」
首の後ろに感触。
呆気なく伸びた俺を彼女が踏みつけているんだろう。
「全く……下らない事をする。特訓だ!道場に行くぞ!」
またか、と思いつつ、殆ど意識のない俺はずるずると引きずられて道場に向かった。
余談になるが、ステイトはこの後警戒したのか日本茶に砂糖を入れなくなった。
もしかすると俺からの報復攻撃が恐ろしいからかも知れない。
「恐ろしくない。お前を特訓する口実が増えるだけだ」
あ、ごもっとも……
―――――――――――――――――――――――