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ましろとまくら そにょ15


 硯に墨。
 墨汁ではなくて、水できちんとといた墨。
 膠で固めた、とは言わないが、二束三文でもきちんと水で溶いた。
 慣れない筆に戸惑いながら、ゆっくり墨をしめらせて、構える。
 向かうは、一枚のはがき。
 ぷるぷると筆の先が震える。
「健太郎殿〜」

  がらり

 気持ちよく襖が開いて姿を現したのは、ましろ。
 筆を構えた格好で硬直するように、彼女を見返す。
「ん、どうしたんだ」
「…お邪魔したようだ、失礼」
「お、おい」

  ぴしゃん

 出てきたのと同じぐらいの勢いで彼女は消えた。
「…なんだってんだ」
 そう思って再びはがきに相対する健太郎。

  どたどたどたどたどた

 今度はあからさまに近づいてくる元気な足音。
 これだけで誰かが判る。
「けーんたろー」
 ひょこ、と襖が少しだけ開いて、頭だけが覗く。
 同じ顔をしているのに、態度も性格も違う。最近スフィーに似てきたと思う。
 まくらだ。
「なんだ」
 健太郎は筆を硯において、溜息をつくように答える。
 ひょこんと隙間から飛び出てくる。
 何というか、まずくないかその格好。
 だぼだぼと長い袖無しTシャツに、短いズボン。
 いや、誰の差し金かはあえて聞かないさ。判ってるから。
 太股が隠れるほど長いTシャツの端から、ズボンが僅かに見えている。
――全く…
 意識していないんだろうから、なおたちが悪い。
「あのね、…けんたろ、もしかして仕事中?」
 勢いよく話そうとして、彼の前に置かれたはがきに気がついて困った顔をする。
「ああ、これかい?これは暑中見舞い。…毎年思うんだけど、こんなもの出さなきゃならないのかなって」
 でも恒例行事だし。
 お得意さまには出して置かないと、首が離れてしまう。胴から。
「でもウチみたいにアンティークショップとかやってると、社長さんとかお偉いさんにも顧客がいてね、一応。…彼らって、直筆の筆のはがきを結構重視するらしいんだよ」
 わざわざ専用の人間を雇うだけじゃなくて、そんな斡旋業者まであるという。
「ふーん。ん?…もしかしてましろちゃん来た?」
 健太郎が頷くと、むーと困った顔を見せて彼女は顎に手を当てて首を傾げる。
「そっか、だから。…けんたろ、手伝おうか?」
 にっこり笑うまくら。
「え、そりゃありがたいけど」
 えへへへ、と笑って彼女は健太郎の隣にさっと陣取る。
「任せて。これでも字はうまいんだから」
 そう言って、彼女はちゃっちゃと筆を取って、慣れた手つきでさらさらと書き始める。
 意外にも、確かに巧い。
 文句のつけようがないほど。
「へぇ、凄いね」
 えへへへと笑うまくらの頭をぽんぽんと叩いてやると、ぎこちない手つきで彼も筆を取る。
「これじゃ負けてられないな」
「負けないからね♪」

 一時間後。
「参りました」
 まくら、200枚。
 対する健太郎、10枚切った。
「なんかほとんど書いてもらったな」
 がっつぽーず。
 すこしずれたTシャツが可愛い。
「だから、任せてって言ったの」
 間違いもないし、字も凄くきれいである。
 特技としか言いようがないだろう。
「んーん、じゃ、とりあえず終わりね」
 とことこと立ち上がって、襖の向こうに消える。
 そこで思い出した。
「…何しに来たんだろう」


 昼の食事時。
「健太郎殿」
 食事の準備中、背後からの気配に振り向くと、ましろがいた。
「なんだ?」
「今朝の件なんだが…実は、まくらの誕生日を祝ってもらいたくて」
 ほう、と彼は手を叩く。
「そうなのか」
「…実際は違うんだが、もう作ってもらった日などは判らなくて、丁度ここに来て一周年を迎えるだろう?だから」
 ましろは少しだけ頬を赤らめて提案する。
「どうか」
「わざわざかしこまる必要なんかないよ。…うん、判った」
 ぱっと顔を明るくして、ましろは頭を下げた。
「済まない、健太郎殿」
「家族を祝うのは当然だよ。ん……でも、だったらましろも、だよな」
 言われて彼女は少し目を細める。
――ははぁ
 顔が赤い理由が判った。
「水臭いな」
 がしがしと頭を少し乱暴になでる。
「気がつかなかったよ、悪かった」
 そりゃ言い出しにくいだろう。自分の誕生日は今日だ、なんて。
「おわびに、どこか外食でもいいな…どうする?」
「わたしはみんなと楽しく食事できるならどこでもいい」
 そう言って嬉しそうに笑った。


 まだ一度も連れて行っていないから、ということとリアンからの提案で。
「うわぁ」
 少し離れたところにあるレストランへと行くことにした。
 ましろはいつものようにきょろきょろと物珍しげに見回して、まくらは恥ずかしそうにそれを抑えている。
「嬉しそうですね」
「こんなことぐらいではしゃいでくれるなら、安いもんだよ」
 余談になるが、スフィーも一緒になってはしゃいでいる。
「きれい」
「すまない、健太郎殿」
「ましろ、その堅さがなくなれば完璧なんだけどな」
 む、と少し真面目な顔になるましろ。
「何を言うか。『親しき仲にも礼儀あり』と言うではないか」
 はいはい、と流しながら、五人で席に着く。
 通常の洋風コースメニューなどは初めてのはずだということで、既に予約済み。
 席に案内してもらって、色々戸惑いながら席に着く。
 食前酒を運んできたウェイターも戸惑う。
 どう見ても子供連れにしか見えないのに、はて、この男も父親には見えないな、と。
 でもそんな事はおくびにも出さずに。
「よし。じゃ、とりあえず誕生日おめでとう」
「ありがとー♪」
 ちりん、とグラスが鳴った。
 …実際に口を付けたのは、ましろを除く全員だった。
 初めてのテーブルマナーに戸惑うまくらをサポートしたり、そんなもの知ってて無視するスフィーとか。
 案の定ただでは済まないお祝いの席になって。
「ホント、結構御世話になってるんだから。心配しなくて良いよ」
「しかし健太郎殿」
 引かないましろ。
「あのねあのね、ましろちゃんね、実は字ぃ書くの苦手なんだよ」

  ぎくり

 ましろの顔が硬直する。
「え?あ、そうなんだ」
 意外そうに答える健太郎。
「そーそー。まくらが言うのもなんだけど、酷いのなんのって」
 ぴくぴくと額を引きつらせているよ。
 …よく見れば、まくらの顔、赤くないか?
「おーい、誰だよまくらにワイン飲ませたの」
「もーねぇ、すかした顔してるけどさぁ、ましろちゃんてねぇ」


 お約束のような喧噪の後、くたびれたようにすーすー眠る彼女を背負ってレストランを後にした。
「くそ、まくらの奴」
 ちなみにスフィーは魔法を使いそうになったので、リアンに封印(笑)を任せて先に帰ってもらった。
「いい妹じゃないか」
 ぽんぽんと彼女の肩を叩いてやると、ましろは真面目な顔で見返してきた。
「…健太郎殿は」
 彼女が足を止めるので、健太郎も習って止めた。
 今日は満月。
 蒼い空気の中に、街灯がちらつく。
「優しいな」
 真っ白い肌が、僅かなアルコールで赤い。
「…ま、字が下手なぐらい気にしない方が良いし」
「健太郎殿!」
 余程気にしているのだろう、ますます顔を赤くして怒鳴る。
 くすくすと笑い返して肩をすくめると、背負ったまくらの様子をうかがう。
 彼女は起きる気配もなくぺたりと顔を背中にくっつけている。
「でも、まくらは凄く字がうまいよね。今日はホントに助けられた」
 ははは、とましろは笑ってむずがゆそうな笑みを浮かべる。
「誰にだって得意なことがあるから。…そうやって、健太郎殿も頼ってくれるとありがたい。いつもいつも言っているが」
 そして、彼女はもう一度蒼い空の下で笑みを浮かべた。
「わたし達にも遠慮はしないで欲しい。それでやっと、条件は同じだとわたしは思う」


 五月雨堂の兎のお皿は、そのうち料理皿に使われることになった。
「…何だか複雑だ」
 自分の皿に盛られたカレーを見て、ましろは呟いた。
「遠慮するなって言うから」
「健太郎殿」


 しばらく同じような問答が繰り返されたという。


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