「くしゅん」
可愛らしい声で、スフィーがくしゃみをした。
「お、風邪でも引いたのか?」
「違うよ、多分花粉症だと思う。もうこっち来て長いから」
そう言えばまだちんまいままだな、スフィーは。
なんでずっとよーちえんじなのかは割と謎だが。
「かふんしょう?」
今日は珍しく店の手伝いをしていたまくらが首を傾げて聞いた。
「うん、この時期になると杉花粉のアレルギーでくしゃみと鼻水が出るんだ」
まくらは――想像通り、反対側に首を傾げた。
「あれるぎ?」
「アレルギー。エネルギーじゃないよ」
それは判るぞ、さすがに。
「アレルギーってのはね、うーん…弱点みたいなものかな」
「弱点って、おい、きちんと教えてやらないと勘違いするだろ?」
スフィーに任せておくととんでもないことになりそうなので、取りあえず割り込んだ。
「アレルギーは、あるものに対して過敏に反応してしまう、病気みたいなモノだよ。病気じゃないけどさ」
ふんふん、と頷いて人差し指を自分のこめかみに当てて考え込むまくら。
「うー、じゃぁ、スフィーさんは花粉があるのが判るんだ」
あははは、と額に冷や汗を垂らすスフィー。
「…そーかもしんない。ほら、蕎麦アレルギーだと蕎麦が少しでも入ってるとじんましんがでるっていうし」
「某雪国の女の子は、猫が近づくと鼻水とくしゃみが止まらないそうだし」
「あれるぎぃって、ものによって症状が違うの?」
「うん、基本的に同じアレルギーでも個人差はあるし、症状が出る部分によって違うみたいだよ」
ふーん、とましろは不思議そうに唸る。
「どっちにしてもあんまり嬉しい事じゃないから、病気みたいに言われるんだ」
アレルギーそのものは病気と言うよりは体質と言うべきだろう。
あるアレルゲン(アレルギー反応を起こす原因物質)に対して特定の反応を返すのがアレルギー。
だけど個人個人によって体質が異なり、全ての人間が同じアレルゲンでアレルギーを起こすとは限らない。
たまたま刺激を過敏に返す、それがアレルギーなのだ。
――もしかして、魔法に対するアレルギーなんてのもあるかも
ふと、スフィーはそんなことを考えていた。
夕方、そろそろ店を閉めようかという時刻。
「ねーけんたろ、買い物行って来るよ」
最近は店を切り盛りする店員が増えた(二人ほど)ので、夕食の買い物などは手が空いている人間が行くことにしている。
「あ、ましろも行く」
「うん、じゃあふたりで行くと良いよ。気をつけてね」
すぐ近くのスーパーまでならそれ程距離はない。
買い物にはそこで十分だし、夜中でも危なくないぐらいの距離だ。
「よし、じゃ行こ!」
大分日が長くなってきたので、この時間帯でも充分明るい。
子供はもう帰路につき始めているが、居酒屋はこれからの時間。
人通りは決して少なくない。
「今日は何を食べようか」
「夕食当番、今日は…まくらだったよね」
ああ、と笑い顔が引きつる。
「んだったら、肉じゃがの作り方を教えるから、肉じゃがにしよう」
この間の二の舞だけは避けたい。
うん、と頷くと、まくらは両腕を真後ろに回してスフィーの顔を覗くように見つめる。
「スフィーさん、アレルギーってどんな感じ?」
「花粉症は辛いよ〜。鼻がぐずぐずするし、目はかゆいし。…殆ど民間療法も効かないって言うし」
みょんみょんと触角を揺らす。
「あたしの場合そんなに酷くないし、まぁましな方だけど」
「あれるぎ…まくらは、ましろあれるぎかも」
にぱっと笑うまくらに、スフィーも思わず吹き出した。
「はははは、そうかもね」
スーパーは結構大きな方だ。
スフィーが先導して、まくらがちょこちょこと材料や欲しい物を放り込んでいく。
「ね、これは?」
「んと…んー、だめね、こっちの方が良い。ほら見て、ここが黒いでしょ?これじゃすぐ痛むから」
まくらがいちいち感心するが、今のスフィーの知識はリアンの受け売りに過ぎない。
『せめて買い物ぐらいさせてやる』という健太郎の企みにより、彼女はリアンから徹底的な教育を仕込まれている。
だから、野菜の善し悪しぐらいは目利きできるようになっているのだ。
「凄い、スフィーさん良く知ってる」
「あはは、あったりまえよ」
でも『はじめてのおつかい』のように見えるのはこの際仕方ない。
教わってるまくらの方が年上に見える。
中身は全く逆なのだが。
「買い物できて料理も出来なきゃ、良い奥さんになれないぞ」
みょん、と一度触角が揺れる。
ぱちりとウィンクして、右手の人差し指を立てて見せるスフィー。
――素直で良い娘だよね〜。リアンにもこんな時期があったなぁ
今もそんな気もするが、というのはさておき。
買い物を終えて、両手で袋を抱える二人。
「あれるぎ…食べ物にもあれるぎはあるんだったら、もし『肉じゃがあれるぎ』の人は肉じゃがが食べれないね」
どうやらずっとアレルギーにこだわっているらしい。
確かに漠然としていて判りにくいものだろう。
「そうね。あとは苦手なモノに対しても『これにはアレルギーがあるから』とか使うよ」
「だったらさ、病気にアレルギーのある人は病気にかからなくて済むね」
「ううん、逆よ逆。近くに病気の人が居ても、自分が病気でもアレルギーが出るだろうから酷いよきっと」
家まで帰り着くと、店先でましろが健太郎と何かを話していた。
「ただいま〜」
「おう、おかえり」
ましろはふと二人を見て、同じように挨拶を返した。
「健太郎殿、じゃあ可能性は低くないと言うことだな」
「あ、…ああ、ちょっと待って」
健太郎はスフィーの方を見た。
彼女は目を丸くして首を傾げる。
「スフィー、ちょっと聞きたいんだけど、いいかな」
「なに?」
「結花の親父さんが倒れたらしいんだが…原因が魔法以外に思いつかないんだ」
結花が五月雨堂に顔を出したのは、それから一時間後ぐらい経ってからだった。
「でもリアンが側にいただけなのに…」
少なくとも、スフィーより確実なはず。
「あの時、調理中にいきなりフライパンの柄が外れたんです。それで、思わず魔法を使って…」
「御陰であたしはやけどせずに済んだんだけど、ほとんど同時に…」
医者の話では脳波、心拍、血圧に何の問題もないという。
「まだ若いしね、変な病気でなくて良かったけど、目が覚める気配はないんだ」
「…あたし達の魔法が変な影響を与えるとは…思えない」
何か口を開こうとして――結花は、口をつぐむ。
今何を言っても逆効果なような気がして。
「あれるぎ、じゃない?」
まくらは子供のようにぽそりと呟いた。
「魔法あれるぎかも知れないよ。もしかしたら」
「…そんなものあるのか?」
視線は一斉にリアンとスフィーに注がれる。
「あ、あの、少なくとも私は聞いたことはないです」
「あってもおかしくはないと思うけどね。
だって、この世の中の全ての物に触れた事がある人間がいないのと同じように、触れたことのない物全てがアレルゲンじゃないって言えないでしょ」
健太郎はそれを聞いて、片方の眉を吊り上げた。
「待てよ、それじゃ起こす手段がないことになるぞ。魔法が使えないんじゃ…」
医者は原因不明、魔法アレルギーが原因なら、調査のために魔法を使うことすら出来ない。
「じんましんみたいなものなら放っておくしかないけど」
結花は心配そうに言う。
「困ったなぁ…」
健太郎の一言を最後に、場は静まりかえった。
「まだアレルギーだって決まったわけじゃないじゃない」
「そう…うん、そうだよけんたろ、長瀬さんに聞いてみようよ」
知る人ぞ知る、実は魔法の専門家。
長瀬さんの店にましろを除く全員集結していた。
ましろはお留守番。
「私が?人間を直すのはちょっと無理ですよ」
「あのですねぇ」
はっはっはと高笑いする彼に冷ややかに視線を浴びせながら、健太郎が続ける。
「判ってますよ。…詳しくお話ししてください」
長瀬は今でこそこうして現代日本に住んでいるが、実はスフィーと同郷の人間。
実は半人前どころではない脅威の魔導師なのだ。
その知識と魔力には売り物の修理だけでなく、お世話になっている。
一通りスフィー達の話を聞いて、長瀬は頷いた。
「可能性は低くありません。聞いたことはないですけどね」
そう言うと、彼はしばらく思考した後、『ちょっと待ってください』と店の奥へと消える。
引き返してきた彼は、小さな箱を持っていた。
「これを持っていって、『覚醒』の魔法を使いなさい」
「え…でも」
箱をスフィーに手渡しながら、長瀬はにっこりと笑う。
「原因がアレルギーなら、それでいいはずですよ」
「説明、してください」
結花がいつになく真剣に言う。
彼女が訝しがるのも当然だろう。
長瀬は眉を僅かに動かして、視線を彼女に向ける。
「うん?そうだね…『魔力』と『魔法』の違いって、判りますか?」
すぐには声にできず、むむむと唸り始めてしまう。
「…『魔力』って、源のこと?」
スフィーの言葉に、長瀬は頷く。
「そう。まだ魔法になりきっていない、材料みたいな物です。
これはどこにでもある物ではないから、かき集めないと魔法というのは使えないんですよ。
でも…そう、そんなに単純な物ではないんですね。ほら、五月雨堂みたいな場所は少ないですから」
うんうん、と頷くまくら。
判ってるのかどうかは怪しいが。
「ましろとまくらが居心地いいのも同じ?」
「ふふ、そうでしょうね。アンティークには多かれ少なかれ人の想いが詰まってますからね」
「それと、今回の件とどう違うっていうの?」
長瀬はスフィーに、箱を開けるように言う。
彼女は思わず嘆息して声を上げた。
「きれい…これ、ダイヤモンドの指輪ですよね」
「骨董と言うよりは美術工芸品としての価値が高い、とある国の王の品物です。
優しい輝きが詰まっています。
しばらくこれを結花さんの店に置いてみてください。
多分原因は『魔力の欠乏』による、拒否反応ですよ」
「長瀬さん」
「先程の話に出てきた魔法で、可能性があるとすればそれぐらいなんです。
兎は寂しいと死んでしまうと言いますよね。
それと同じですよ。…想いがないと、人間だって耐えられないんですから」
半日もせずに結花の親父さんは目が覚めたそうだ。
リアンもそれ以来は五月雨堂からツボの一つや二つ借りてから、ハニービーに行くことにした。
「慣れなんだろうけどね」
考えれば魔法を使える人間、というのはこの世には少ない。
多分、やり方を覚えても自分では駄目だろう、そう健太郎は思う。
「面白いことを言う。健太郎殿、それではわたし達を否定することになるぞ」
ましろはカウンターに背を預けるようにして、健太郎を見る。
ぱたぱたと遊ぶようにはたきを掛けるまくらを見ながら、健太郎はカウンターに両肘をつく。
「…『兎は寂しいと死ぬ』、って、昔の人は良く言ったもんだ」
「ふふ、そうだな」
五月雨堂に彼女達が居着いているのは、もう二度と別々になりたくないからだけじゃないだろう。
人の想いが形になるなら、それはきっと人の想いなしにはもう形を失うしかない。
「今回の件は、実は少し心配だったのだ。リアン殿もそうだろうが、まくらがあんなことをいうから」
「あんなこと?」
「アレルギー、だ。もし本当に『想い』にアレルギーのある人間がいるのだったら、世界中にはわたし達を認めない人間もいることになる」
時折首を傾げながら、まくらは商品を並べ直したりしている。
スフィーのまねごとだろう。
「結花殿には悪いが、少しだけ安心した」
がしゃん
「わっ」
売り物が無茶苦茶に壊れて、床に散らばる。
大慌てでまくらに近寄るましろに、健太郎は頭を掻いた。
――そうだな
本当は寂しさで死ぬのは兎なんかじゃないのかも知れない。
泣きそうな顔で健太郎の様子を窺うまくらに苦笑して、健太郎は長瀬が今いるかどうか思案していた。
いくらでも元に戻るのだとすれば、形を失うぐらい大したことじゃない。
その中に詰まった想いさえ、かわらないなら。
「怪我、ないか?」
だから健太郎は、いつまでもぐずついた彼女に笑いかけてやった。