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ましろとまくら そにょ10


 その日は、昼前ぐらいに唐突にまくらは思い立った。
「料理してみたい」
 本当に唐突で、それを聞いたましろはん?と目を丸くする。
「炉売りをしたいだと?」
「…無理矢理聞き間違えてる」
 ぽりぽりと頭を掻いて、少し恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「健太郎殿に一度話をしてみよう」
 ましろはとことこと店先まで出てみる。
 健太郎はいつものようにカウンターに座って、特に何をするでもなく帳簿を眺めている。
「こら、これも仕事だ」
 いや、著者につっこみを入れないように。
 彼は仕事をしていた。
 店内を掃除しながら、スフィーは骨董品を一生懸命片づけている。
 品物の埃をはたいたり、説明書きをきちんと見やすく並べたり。
「健太郎殿、少し…いいか?」
 ましろが神妙そうに声をかけてくるので、思わず健太郎は振り向いた。
 いや、別に神妙でなくても振り向くだろうが。
「ん…どうした?ましろ」
 もうずいぶんとここにも慣れた。
 彼女が店にいるのは当たり前で別段不思議はない。
「まくらが、料理をしたいと言ってるんだが」
 健太郎は目を丸くして、かくんと馬鹿みたいに口を開ける。
「まくらが?…一度でも料理したことがあるのかな」
「ないはずだ。それは私が証明する。この間のバレンタインの時にチョコを焦がしたぐらいだ」
 確かに、それは料理のうちに入らない。
 それでなくても失敗してりゃだめじゃん。
 健太郎はうーんと唸って両腕を組んで首を傾げる。
「判った。理由は判らないけど、それじゃ良い先生をつけよう」

「それで私の出番って訳ね。良いわよ、教えてあげましょう」
 昼飯時の忙しい時に呼んで来るとは思わなかったが…
「悪い、結花」
「いーのいーの。可愛いまくらちゃんの為だから♪」
「でも、お店大変だろこの時間」
「店?そんなものまくらちゃんに比べたら大したものじゃないでしょ」
 っておい…
 今言い切ったな?
 まぁ、潰れなきゃいいか。
「よろしくお願いします」
 ぺこり。
「うん、じゃ、一から教えたげるからね。今日の夕食までには免許皆伝にしたげるから!」
 異様な張り切りようでまくらの背をぽんぽんと叩いて、連れだって台所に行く二人。
「取りあえず昼飯頼むぞ」
「判ってるわよ」
 そして彼女らは台所へと消えた。
「きょ・お・わ!おいしーお昼がたべられそーね♪」
 鼻歌交じりの声を漏らして、喜色いっぱいにくるくる回るスフィー。
「お前、見たとおり子供な」
 はたきでぱたぱたと掃除しながら、聞き捨てならないと眉を寄せて振り返る。
 あ、結構可愛い。
「む、何よぉ」
「別に結花が作るんじゃないぞ。…チョコ焦がす程度の奴が作る昼飯なんて、喰えるとおもうか?」
「あーひどー、まくらのことそんな風に思ってたんだ?」
 って、お前も棒読みして冷や汗垂らした困った顔でいうなよ。

 台所に立った結花は、まずはと言いながらまな板と庖丁をキッチンに並べる。
「いい?見て判ると思うけど、これが庖丁とまな板」
「王朝のまないた?」
 純粋過ぎる目で真面目に呆けない。
「…まくらちゃん?」
「ごめんなさい」
 眉根に指を当てて揉みながら、なんとか心を落ち着けようとする結花。
「まぁいいわ。取りあえずあたしの言うとおりに作ってみて」
 目の前に昼飯の時間がある。
 飢えた連中には取りあえず飯を作ってやらなければならない。
「うん」
 時間は…さほどない。
「まずは鍋に水を張って…」
 彼女は結花の言うことを真面目に聞いて、取りあえずパスタをゆで始めた。
「いい?スパゲッティってのはゆでたてが一番美味しいの。だから、ゆでてる間に具を作るわよ」
 結花は彼女の後ろに立って指示するだけ。
「ああ、違う、庖丁はこう。左手は沿えるだけ。そんな、指伸ばしてたら切っちゃうから」
 危ないところはきちんと見てやって、注意してやる。
「アスパラはこのぐらいで。たこはスライスして。んー…唐辛子は私がやるわ」
 手際よくフライパンに火を入れると、スライスした材料を放り込んでいく。
「この時はフライパンを先に充分暖めておくのね。油が湯気になるぐらい」
 まくらは頷きながら、慣れない手つきで材料を炒め始める。
「ここでパスタの水を入れて塩味をつけて」
 指示しながら、自分はパスタをざるに上げる。
 さすがに不慣れな彼女では、同時には無理だろう。
 手早く水を切って、まくらのすぐ側に置いてやる。
「じゃ、後はパスタに絡めて」
 フライパンを持つ手もぎこちなく、終始不安ではあったが…

「おーい、昼飯まだかぁ」
 健太郎が顔を出した時、丁度皿に盛るところだった。
「うぁ、いい匂い。これホントにまくらが作ったのか?」
 まくらは頬を真っ赤にして、こくこくと頷く。
「材料とか調味料とかは店からパクって来た奴だけど、ほとんど彼女が作ったのよ」
 皿に盛りつけられたのは、簡単にできるスパゲッティのペペロンチーノだ。
 タコとアスパラにまみれた、と言うぐらい具が多い。
「いっただっきまーす」
 やがて全員が卓について、食事になった。
 しばらく無言。それぞれ麺をすする音だけが響く。
「…」
 まくらは自分の目の前の、自分のスパゲッティに手を出さずにじっと様子を見ている。

  ごくり

 彼女自身、喉を鳴らす音が聞こえる。
「美味い」
 ぼそりと呟くように、まず健太郎が声を出した。
「美味いよこれ。うん、初めて作ったとは思えないよ」
「うん」
 スフィーは頷くだけで食べる方が忙しいらしく、ちゃかちゃか食器が動き続ける。
 リアンはまくらににっこりと笑みを向ける。
「ホント、これだったらきっとすぐ巧くなります。保証します」
「…ありがとう」
 多分、これが初めてだろう。
 可愛らしい、本当に嬉しそうな笑みに、胸がいっぱいで声が出ないのかそれだけを呟いた。
 昼食を終えて、結花は本当に夕食まで付き合って彼女に料理を教えていた。
「飲み込み早いのよ、普通じゃ一日二日じゃ簡単には覚えないと思うんだけどさ」
 夕食後、コーヒーを入れて(結局半日帰らなかった)健太郎の側に座る。
 ましろとまくらは、居間でスフィーとテレビを見ている。
「うん、夕食もかなり美味かったよ。あれ一人で作るなんてね」
「あたしの力もあったんだけどね」
 控えめに主張する結花。
「…でも、何で今更、料理なんて作ろうって思ったんだろうな」
 コーヒーを口に含んで、騒々しい居間の方に目を向ける。
 かたん、と机の上にカップを置く音。
「さ、あたしは帰るよ。さすがに一日働かなかったからまずいと思うし…」
「ああ、今日はわざわざすまなかったな」
 健太郎も立ちあがる。
 結花はにへへ、と表情を崩してない胸を張る。
「感謝して感謝して♪まくらちゃんのためなら」
 そして、僅かに上目で、健太郎の様子を窺うようにして、じゃぁと背を向けた。
「まくらちゃん、ホントに可愛らしいよね♪」
「んー…そうだな」
 じゃ、と軽く挨拶して、彼女は帰っていった。

  とてとてとてとて

 軽い足音が聞こえて振り向くと、まくらがそこにいた。
「結花さんは?」
「あ、丁度帰ったところだよ。なんだ?まだ何かあったのか?」
 むぅ、と困った表情を浮かべて、まくらは頷いた。
「まだお礼を言ってないから」
 言い終わる前に健太郎の側をすり抜けて、大急ぎで家を飛び出してしまう。
「お、おいっ」
 今から行けば、充分間に合うだろう。
 でも結花のことならそんなに気にする必要もないのに…
 と、健太郎も続いて飛び出した。
 夜遅い訳ではないが、今飛び出したまま迷子にならないとも限らない。
 幸い、出てすぐのところで彼女の姿は見つかった。
 その先に結花も居る。
「結花さーん」
 とてとて一生懸命に走っていくのを見て、ふうと健太郎は胸をなで下ろした。
 やがて、結花にぺこぺこ頭を下げる彼女に歩いて追いつくと、結花も健太郎の方を見た。
「大変ね」
「よせよ。お前も気をつけて帰れよ」
 軽く二言三言話して、彼女は再び背を向けた。
 充分離れたところで一度振り向いて、二人の背中を一瞥する。
――あーあ、まくらにはべーったりね……鈍感と子供じゃ、仕方ないかなぁ
 ふん、とため息をついて彼女は微笑みを浮かべていた。
――まぁ、もうしばらく大丈夫かな?
 彼らに背を向けて、結花は自分の家に向かっていった。

「まくら、今日の飯は凄く美味かったぞ」
「え、へへへへ…」
「また頼むよ」
「うん!」

 それから一月、ペペロンチーノとシチューが続いたという。
「せきにんとりなさいよ!」
「だってあれから結花が他に何も教えないのが悪いんだろ!」


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