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標準化

 冬。
 特にクリスマスともなれば、普通は落ち着いて過ごすのだろう。
 相手がいるのなら一緒に。
 いないならいないなりに。
 でも彼らは違った。
「急げ急げ!印刷所に入稿まであと24時間やで!」
 がりがりという紙を引きずる音。
 液体を弾く音。
 そして、ほのかに混じる薬剤の臭い。
 錠剤、ドリンク、カプセル…それらのほとんどはカフェインと刺激性のある栄養剤。
 黙々と作業を続ける人間が必要とする、最後の手段。
 既に徹夜は三日目に突入していた。
 円卓を囲む3人の動作もさすがに緩慢になっている。
 由宇、和樹、詠美のいつものメンバーである。
「さすがに今回は無茶だな」
 トーンに削りを入れながらぼやく和樹。
 こみパ参加は最近当たり前なのだが、仕事並にそれは生活を圧迫しつつある。
 夏の販売が終わると次に向けてストーリーを練り始める。
 4ヶ月あれば何とかなるだろうと思うだろうが、そんなに簡単なものではない。
「無茶やないで!無茶やない。和樹よ、その心が折れた時うちらは負けるんや」
 頼むからまけてくれ。
 明日はクリスマスなんだぞ。
 そう思いつつ、もう既に何回目のクリスマスを彼女達と過ごしたのだろう。
 無論、全て修羅場である。んなろまんちっくなことがあるものか。
 今年も頭が痛かった。



「よし、んじゃ前祝いにいこか」
 夜が明けて、一人元気だった由宇が印刷所へと原稿を持って行く間、二人は眠りこけていた。
 それを何の優しさもない爆音のようなベルで目を覚まされたのが午後4時。
 由宇は相変わらず元気だった。
「…この小パンダ」
 詠美がくしゃくしゃの頭で恨めしそうに彼女を見上げる。
 ベルだけでは飽きたらず、結局机に突っ伏しているところを由宇がハリセン一閃。
 後頭部を強打して鼻を打ったらしく、鼻を両手で押さえている。
「ん?なんや?この軟弱もん」
「何じゃ苦悶?なにそれ。小パンダのくせに難しい日本語つかうんじゃないわよ」
 12時間近く眠りこけていたので充分元気になったようだ。
 が、和樹はまだ眠い。頭の芯がぼーっとしている。
「…悪い、由宇、俺帰るわ」
「あ、あ、ちょ、ちょい待ちぃ」
 由宇が一瞬気を逸らせた瞬間。
 和樹も帰ろうとして立ち上がりかけた時、詠美が飛びかかるように和樹を捕まえる。
「ぽちだけどこにいこーっての?ぽちのごしゅじんさまはこのあ・た・し・なのよ〜」
 と言うだけ言って。
 彼女は和樹の背中から首にぶら下がるようにして、由宇にVサインを見せる。
「てことで、帰るわよ、ぽち」
 和樹が反論する暇など、ない。
「んぁ?ふぅん、そぅか、和樹ぃ」
 眼鏡をかけ直しながら右手のハリセンを持ち直す由宇。
 背中にはまるで書き文字で『ごごごごごごごご』とか見えてきそうな気配。
「うちの酒は呑まれへんちゅーことか。ぇえ?」
 僅かに胸を反らす由宇。
 背は足りないが、見下ろしているつもりだろう。
「そこにおる脳足りん娘と、クリスマスらしくいちゃいちゃする気かい?」
「ちょ…由宇?」
 詠美も気がついたのか、首に回した腕が震えている。
 由宇の様子がおかしい。
「…よし、もう容赦せぇへんで。今の今まで我慢しとったけどもう堪忍でけへん」
「な、何するつもりよ、この小パンダ!」
 そう言えば彼女はまだ一睡もしてないはずだ。
――やばい、修羅場でとうとう頭に来たか
 見ようによっては別の修羅場のようにも見えるが。

「こうなったらうち、今日から女らしくなったる」

 え?
 今何て言った?

「…和樹君♪」
 上目遣いで、丸い眼鏡。
 気持ち肩を丸めて、語尾は丸く。
「や、やめてくれっっ、やめろぉ!」
 和樹は叫んでそのまま尻餅をつく。
 首にしがみついていた詠美は振りほどかれて、唖然とした表情を由宇に向けている。
「ゆ、由宇…」
 一人由宇が音を立てそうなぐらい、少女趣味に走っていた。
 …いや、幼女か?
「なによ、二人とも。あたしが普通に話すとそんなに変?」
 アクセントまで関西弁ではない。
 標準語を正しいアクセントで話している。それも、普通の女の子みたいに。
「違う!絶対違う!お前は由宇じゃない!」
「でも、クリスマスなんだし、これぐらいの奇跡は起きてもおかしくないんじゃない?」
「ちょ、小パンダは小パンダらしくしてたらいーのよ!奇跡なんかいらないわよ!」
 錯乱する二人。
「そうだ!お前なんか偽物だ!逃げるぞ詠美!」
「ちょ、ちょっと待ってよっ」



「…という夢を見たんだ」
「あんた、うちを馬鹿にしとるやろ」


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