隆山で行われる祭りの中でも、もっとも有名な祭りがある。
多くの山車が練り歩くこの祭りは、俗に『鬼祭り』と呼ばれている。
何故か、少年の記憶の中には囂々という祭りの雰囲気と、騒音と、山車しか残っていない。
どこからか鳴り響く太鼓の音が体中を振るわせる。
人々の怒号の様な叫び声がうねりを持って揺れている。
だが、それはあくまでも祭りの記憶。
決して楽しくないはずは、ない。
でも、耕一の記憶からその祭りの記憶はほとんど消え去っていた。
奇妙な寂しさと共に。
「皮肉だな、この日に『鬼祭り』とは」
父親は暗くなった山道を見下ろしている。
祭りの囃子の音も、歓声も聞こえてくる。
「…賢治」
柏木賢治は、兄の声にゆっくり振り向いた。
頬は削げ、窶れた顔には昔の兄の面影はない。
「なんだ、兄貴」
そこには未来の自分の姿を映しているようで。
僅かに胸の奥が痛んだ。
「…多分…もう永くない」
まだ人格を保って仕事をしているのが奇跡なぐらい、かすれた声で言う。
「ああ、ヤバイから来てやったんだろ」
賢治の喋り方に兄は肩をすくめ、そして僅かに笑みを浮かべて目を閉じる。
「お前は…まだ大丈夫か」
「ああ」
「もし、俺が…逝っちまったら…後はよろしく頼む」
発作の周期が短くなっていると彼の妻から聞いている。
彼の妻も既に覚悟した目を見せていた。
――…耕一とあいつは…殺したくはない
兄の言葉をかみしめるように頷いて、彼はもう一度窓から外を見つめた。
――本当に皮肉な…祭りだ
何も知らない人間達が、ただ、伝統の祭りだと聞いてはしゃいでいる。
――俺も、近い将来…
耕平は無言でその場を立ち去った。
祭りに出かけている耕一を迎えに行くために。
何故かその時、少年は一人でその祭りを見つめていた。
彼以外の人間は、どこの誰とも判らない人間達ばかりだった。
暑い夏の、ある一日の出来事だった。