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禁句

 その時、台所の方で凄まじい爆発のような音がしたという。
 半死半生で白目をむいた耕一の姿と、一人の『鬼』の姿を見たという記録も残っている。

                          ― 柏木家鬼拾遺録 耕一の章より ―


 相も変わらず台所で喧嘩する千鶴と梓。
 その声が、耕一のいる居間にまで聞こえてくる。
「全く、どっちが姉かわかりゃしない」
 何故か怒鳴られているのは千鶴の方なのが普通である。
 逆は見たことがない。
「…でも、梓姉さんも決して言わない言葉が有るんです」
 耕一は渋い顔で頷く。
 どん亀だの亀姉だの言っても決して怒らない彼女も、この言葉を言うと『鬼』になる。
 偽善者、寸胴、年増。
 どうやら身をもって知ったらしい梓が、この間言っていた。
「楓ちゃんは…」
「私は…特に…」
 もじもじと恥ずかしそうに、上目遣いで言う。
「…ああ、でも梓姉さんは」
「梓は何言っても怒るだろう」
 ふるふると首を横に振って彼女は哀しそうな目をする。
「忘れてしまったんですね」
「へ?」
「あまりの恐怖に、自分の心に鍵をかけてしまったんですね」
 耕一はごくりと喉を鳴らした。
 何故か妙に喉が乾く。
「…お、俺の事か?」


 その時梓は料理の練習をしていた。
 後ろから覗く耕一には彼女の背しか見えない。
――んー
 以外に、いい匂いが漂ってくる。
 誘われるようにして台所に入ると、既に卓には幾つか料理が並んでいた。

  ひょいぱく

「んを!」
「ひゃん」
 いや、急に声が真後ろから聞こえたから驚いたらしい。


「ああ、そういやそう言うことがあったなぁ。あの時は梓もまだ可愛…」
 言いかけて、耕一の口が止まる。
 かたかたと身体が思いかけず震え、顔が青ざめてくる。
 楓はこくんと頷く。
「そう、その後耕一さんはこういいました」


「凄いよ梓!」
 その時は既に女の子だと知っていたから。


「これならお嫁に行けなくても家政婦になれるよ」


 それ以来、耕一は梓の事を女の子と思った事は二度となかったと言う。


                   <おしまい>

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