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小さな悲鳴。
 身体に軽い感触。
「ごめん」
 とっさに謝って、彼女と目があった。
 目をまん丸くして、驚いた表情を隠さない。
「…え?」
 まず声を出したのは、梓の方だった。
「梓先輩?」
 その少女の顔が顔を歪ませるのに、それ程時間はいらなかった。

星の見えない夜空に

 ここの学祭というのは、前後含めて四日間行われる。
 前祭、本祭、後の祭りと学生達は俗に呼称しているが、前祭が初日、本祭が中二日、後の祭りは片づけのことである。
 今日は各サークルのそれぞれの発表の場の様なもので、特にサークル関係者ではなければ自由である。
「何?」
 訝しがる友人。
 まぁ、誤解を生んで当然だろう。
 いきなり名前を叫びながら抱きついて、泣いているのだから。
「ぇあぁ、いや、高校の陸上部の後輩。…涙もろいんだよ」
 適当に誤魔化して、友人とはそこで別れた。
 少女――日吉かおりは、梓に抱きついてぐずぐずとまだ泣いていた。
「かおり、もう離れろよ」
 梓は子供をあやすように背中を叩いてやりながら、できる限り優しく言った。
 それまでぎゅっと力を込めていた両腕がゆるみ、彼女は梓から離れる。
 目を真っ赤にする程ではなかったが、まだ目の端に涙を浮かべている。
「…せんぱい」
 僅かに上目づかいに梓を見上げる。
 そして、にっこりと笑う。
「お久しぶりです!」
 僅かに感じた違和感は、彼女の鬼の血だった。

「へぇ、先輩、陸上もうやってないんですか」
 かおりも順調に大学に進学したらしい。
 ということは今3年生だろう。
「どおりで…」
 複雑な表情を浮かべる横顔。
 最後に会ったのは高校卒業の時だから、もうかれこれ3年会ってないことになる。
 思うところがあったわけではないが、一度も隆山に戻ってもいない。
「私、きっと先輩は陸上やってると思ってたから、今でも陸上部です」
 にこっと笑って顔を梓の方に向ける。
 表情も髪型も変わっていない。
 以前のまま、まだ彼女は高校生の――卒業時の彼女だ。
 少しだけ胸の奥が痛い。
――変わってない
 羨ましい。
 梓は純粋に彼女の立場を、そして変わらなかった彼女を羨ましいと思った。
「選手にでも選ばれたのか?」
「残念ですけど。…走ってるのが楽しいから苦にはならないですよ」
 高校の時も、脚は早くないからマネージャーに徹した彼女。
 どうして続けているのか聞いた事もあったが、その時も彼女は楽しいから、と答えた。
「でも、ここに通ってたんですね…今まで知らなかったのが不思議です」
 しばらく話をしながら、大学の構内を歩く。
 出店でお好み焼きを買い、構内の少し外れの方にある広場に腰をかける。
「でも先輩、すっごく大人っぽくなりました」
「え?」
 お好み焼きをかじったまま、目を丸くして彼女を見返す。
 かおりは割り箸で器用にそれを切り分けながら、口に放り込む。
「ホントですよ?こう、全然前とは雰囲気が違います」
 そうかも知れない、と思った。
 東京に来てからバイトを始め、仕事をしながら下宿で生活をしてきたのだから。
「落ち着いたって言うか…はははっ、やっぱり言葉で表現しにくいです」
 終始にこにこしているのだが、時々それが翳って見える時がある。
 気のせいかとも思ったが、かおりはそのまま箸を止めて、うつむいている。
「…先輩」
 お好み焼きを見つめたまま彼女は言う。
「どうして陸上を止めたんですか?」
 梓は一呼吸ほどの時間沈黙して、かおりの肩をぽんと叩く。
 一瞬びくっと身体を震わせて彼女は顔をあげる。
「別に陸上が嫌いになったんじゃないよ。ただ、続けて、このまま選手になるわけじゃないし」
 オリンピックとか、そういう大きな大会に出るつもりはない。
 生活するには、別の手段がいい。
「大学で勉強したかったんだから、もっと別のこともしようと思ったんだ」
 それに。
「だから、隆山に帰る暇もなかったんだ」
「…取り残された気がしました」
 ぼそり、と呟く。
「梓先輩がいなくなってから、凄く寂しかったです」
 久々に会った、先刻の泣き顔で。
 彼女は、梓を見つめている。
「大学で陸上部にいれば、また会えるかも知れないと思ってて、3年も…」
 そして、にこりと笑みを浮かべる。
「かかっちゃいました」
 又お好み焼きをつつき出す。
――可愛いな…純粋で
 妹のようにも、そして子供のように可愛く見える。
 得な性格だ。
 どうしても彼女のその態度が、作っているようには見えない。
「ところでせんぱい♪」
 ひらがなで喋るな。
 だが梓は魅了されたまま、彼女の言葉の続きを聞いた。
「今から暇ですか?」
「うん」
 と反射的に答えてしまったと思ってももう遅い。
 にんまり笑みを浮かべた彼女に引きずられてのデートと洒落込むことになってしまった。

「ねぇ、梓先輩の下宿に泊まって良いですか?」
 散々付き合わされた上、胸は揉まれるはの大惨事になったにも関わらず。
 ぬけぬけとそう言うことを言う。
「…こんな寒い時に?かおり、正気?」

  こくこく

 目が正気じゃない。
 俗に言う行っちゃった目だ。
 大抵の場合断るに断れない目とも言う。
――断ったところで無理についてくるんだろうし
 なにより断った後が怖い。
「愛があれば寒さなんかへっちゃらです」
 おひ。
「風呂も狭いよ」
「梓先輩…狭い方がいいに決まってるじゃないですか」
 だから目が怖いって。
 じっとりと粘りのある視線で梓を舐る。
「一緒に…」
「言っとくけど、一緒には入れないぞ。そのぐらい狭いんだ、一人ずつ入るからね」
 梓は悉く彼女の反論を『言わせない』タイミングで発言し、何とかねじ伏せる。
 流石に――それがメインに違いないだろうが――口を開こうとする度にねじ伏せられるので諦めたようだ。
 悔しそうな顔で梓を見返している。
「…先輩、わたしの事嫌いですか?」
 今にも目に涙が浮きそうな位。
――鬼だ。あたしは鬼なんだ、鬼にならなきゃ
「嫌いなんですね?」

  じわ

「嫌いじゃないよ」
――わーっっっっ!あたしの馬鹿っ
 間髪入れずに答える自分に動揺したのがまずかった。
「ぢゃ、一緒に寝てくれますね?」
「ああ、いいわよ」
――わーっっっ!

 時既に遅し。

「おやすみなさーい」
「お、おやすみ」
 一つしかない布団の中に、梓とかおりの二人は潜り込んでいた。
 だいぴんち。

「…かおり?」
 梓はすぐ側に眠る少女の顔を見て、ふと罪悪感に捕らわれた。
 すーすーと寝息を立てる彼女は、完全に安心しきった寝顔を見せていたからだ。
 年下というのもあるだろうが、掛け値を引いたとしても充分可愛らしいと思った。
 だから、まさか彼女が起きているだろうとは思わなかった。
「可愛い」
「本当ですか?」

  がば

 ほとんど掛け布団をはねのけるような勢いで梓の上にのしかかってくる彼女。
「ちょ、ちょっとまってかおりっっっ」
「待ちませんよぉだ♪」

  ぬぎっ

 彼女に貸したパジャマは無惨な姿で脱ぎ捨てられる。
 その下は、言うまでもなく裸。
 そ、はだか。
「あずさせんぷわぁい!」
 
  だきっ

 ちなみにこの時の格好、上半身裸のかおりにパジャマ姿の梓。
 いつぞや襲われた時と同じシチュエーション。
「以前みたいに先輩も、先生もいないですよ」
 かおりが絶望的な事実を、嬉しそうに耳元で囁く。
 ふわっとした髪の毛に漂うシャンプーの薫り。
 何故か絶望的な状態なのに、妙な安心感を覚えた。

  星はその場所で輝き続けるとも

 だが、それ以上先の言葉は、以前の合宿の時の言葉とは違った。
 あの時は確か、『好きです、先輩』だったはずだ。
「…でも」

 梓の耳に、絶望的な彼女の言葉が届いた。

 多分。
 梓は思った。
 もし今彼女を抱きしめれば、幸せになれるのではないかと。
 それが勘違いでも、かおりがそれで笑ってくれるならそれでもいいと感じた。

 だけど。

 もう、彼女を抱きしめるには遅すぎて。

「私も、もう変わったんですよね、先輩」
 いつの間にか声は彼女の眼前から、離れた場所にあった。
 かおりは裸で梓の上に上乗りに、梓を見下していた。
 何も言えなかった。
 裸の彼女を、ただ見ていることすら…

 僅かに微笑んで、彼女はパジャマを拾いながら立ち上がる。

「…今、凄く怖い顔をしてた」

  太陽があれば星はその姿を消してしまう

 止めなければ。

「ごめんなさい、先輩。…もうしないから、側で眠らせてください」

 でも、梓には止めることはできなかった。

 梓が目を覚ました時にはもう彼女の姿はなかった。
 荷物も、服も。
「っかおり!」

  星々から闇を奪ったならば、輝きは永遠に失われてしまうだろう

『さようなら、ありがとう
            日吉 かおり』 

 梓はメモ用紙に書かれた置き手紙を握りつぶすと、大急ぎで身支度を整えて部屋を飛びだした。


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