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正義の行方

「帰ったよ」
 暗い、明かりすらない部屋。
 僅かに『生き物』の臭いがするが、生活と呼べる香りはない。
 フローリングの、部屋。
 いつも鍵が開け放された部屋。
 そこだけは時間が隔離され、同じ時間をいつまでもぐるぐると回り続けている。
「今日は弁当ですまない」
 そう言って背広の男は闇の中に声をかけた。
 帰ってくる返事すらないのに。


「すみませんね奥さん。これ、見ていただけますか」
 手慣れた手つきで懐から出すのは封筒に入った一枚の紙。
 丁寧にそこから折り目のない紙を差し出すとまるで突きつけるように見せる。
「逮捕状です。…ご同行願えますよね」
 がっくりとうなだれて連れて行かれる万引き常習犯。
 この家の飼い犬だろうか、けんけんと甲高い鳴き声がする。
――子供も、夫だって苦労するだろうに…
 柳川は長瀬に並んで、猫背になって力無く歩く彼女を見ている。
「長瀬さん、やっぱり違いますね」
 柳川は感心したように言う。
 彼らの目の前で部下達が彼女をパトカーに乗せている。
「?何がだ」
「いや、そう言うところですよ」
 長瀬は僅かに首を傾げ、ふと時計を見る。
「丁度良いな、どうだ、外で飯を食わないか」
 断る理由はなかった。柳川は僅かに笑みを浮かべて返事する。
「全然、丁度良くなんかないですよ」
 時計は既に二時をさしていた。

 今日は午前中から仕事詰めだったから、昼飯を食べる暇すらなかったのは事実だ。
 だが長瀬がこんな風に声をかけてきた場合、通常何か話があるに決まっている。
――丁度聞きたい事もあるし
 また昔話に付き合ってみるか、という考えもわくという物だ。
「今日直前まで悩んでいたの知ってるんですよ」
 犯人が子供のある中年の女と言うことで、逮捕する時間や日をかなり悩んで決めていた。
 できれば逮捕の瞬間を子供には知らせたくない。
 そう言う配慮だけではなく、特に小さな子供がこれからどうなるのかを考えると心が痛む物だ。
「はは。そりゃ、悩みもするだろう。彼女はこれから裁判を受ける。
 子供達はどうなる。でも、それが仕事だからな」
――それが、仕事…
「一度の気のゆるみや、ほんの僅かな間違いで人生を棒に振ることだってある」
 そうですよね、と答えながら柳川は僅かに肩をすくめてみせる。
 だがその表情は――微かに堅い。
――間違…い…か。その僅かな間違いで狂わされる物もある

 鳴らなかった銃声。
 悲劇の――あの日。
 帰らなくなった日。
 そして目覚めの日。
 もう闇はすぐそこにある…

「どうした、悩みでもあるのか」
 長瀬の心配そうな顔に柳川は笑ってみせる。
「いえ…すこし寝不足なんです。疲れてるんですよ」
 そういう彼に、長瀬は難しそうな表情を見せる。
 だが、もうそれ以上言うことはなかった。
「…長瀬さん」
 その代わり柳川から切りだした。
「うん?」
「正義って、あると思いますか?」
 一瞬長瀬の顔が似合わないぐらい厳しい色を浮かべるが、すぐに元に戻る。
「馬鹿。そう言う事を考えるな。間違いは誰にでもある。
 だがその間違いを訂正するのは…正義なんかじゃない」
 

――だから警察は所詮犬なんだ。だから、貴之
 電気をつけると、部屋の隅で両足を抱えてうずくまる青年の姿があった。
 どろんとした目を、いつものように床に向けている。
「いつも言ってるだろう、貴之」
――間違いは、犬では元に戻せないんだよ。正義が――いや
 弁当を置いてゴミを片付け、彼の周りを掃除する。
――何が正しい何か、判らないからな
「自分で掃除ぐらいできるようにならなきゃ駄目だぞ」
 彼の言葉は行き場のない部屋の中を漂い、やがて消えた。
 寂しげな空気がその部屋を満たしていた。


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