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梅雨時の七夕


「雨、やまなかったね」
 降り続ける激しい雨の中、あゆは感情のない顔を俺に向けて言った。


 7月。
 梅雨時の真っ最中に、晴れる方が珍しい。
 でも、明日は七夕。
 できれば晴れて欲しいと願うのは常。
「ね、祐一君」
 あゆは相変わらず子供っぽかった。
 彼女が目覚めてからむ4ヶ月になる。
 だから、俺達の付き合いももう半年近くになるんだ。
「どうした?」
 お決まりのデートコースを飽きもせずにぶらつくのが日課。
 その時は傘をさして雨の中を二人で歩いていた。
「明日は七夕だよね!」
 腰にしがみつくようにして嬉しそうに言うあゆ。
 俺は特別邪険にする気にもなれず、僅かに肩をすくめる。
「そうだな」
「さーさーのーはーさーらさらっ☆」
「こら、歌うな」

  ごす

「うぐぅっ…痛いぃっ!ぐーで殴ったぁっ!祐一君がぐーでなぐったぁっ!」
「五月蠅い」
 もう一発脳天にお見舞いする。
 最近はあゆも強くなった。今でもすぐぐずるが、頑強に抵抗して反抗する。
「うぐぅっ」
 でも大抵は二発目でおとなしくなる。
 おとなしくなって…涙をためるあゆを抱きしめるのが当たり前になってしまった。
 謝るぐらいなら初めから殴らなきゃいいんだろうが…
「悪い。痛かったか?」
「…痛いよ」
 小脇にボールを抱えるような感覚であゆの頭を抱きしめる。
 おとなしく従ってるから、こういう関係が続くのかも知れない。
「でさ、七夕でしょ」
「…だから?」
 俺はやっぱり意地悪な祐一君であり続ける。
 さすがにあゆは悲しそうな目で俺を見上げる。
「…たなばた」
 今にも涙を浮かべそうな表情で恨めしそうに俺を見つめる。
「お前んとこの親父さんは?」
「…仕事だよ。今週いっぱい帰ってこないんだって」
 ふむ。
 あゆのお父さんは忙しい人らしい。
 結構出張やらなにやら、しょっちゅうそのたびに俺(水瀬家)に頼りに来る。
 秋子さんがあんな感じだから俺も安請け合いする。
「んだったらまたうちに泊まりだな」
「うん」
 そしてあゆの頭をぐりぐりと乱暴になでる。
「よかったな、今日は明日の準備があるんだ」
 一瞬嬉しそうに笑って言葉を継ごうとして…やめる。
「…それって、手伝えって事?」
「他に何がある」
「うぐぅっ!」
 泣いているのか笑っているのか判らない彼女を連れて、俺はそのまま家に帰った。


 雨の中を傘も差さずに彼女はベンチで待っていた。
「…馬鹿、だからってお前」
 俺が差し出したタオルを受け取ると、彼女はまるで泣き出すように両手で顔を押さえた。


 あゆは名雪や俺とは違う学校に通っている。
 結果、どうしても朝には別れなければならない。
「…酷い空模様」
 名雪の言葉通り、七夕当日の朝は大雨だった。
 昨夜の飾り付けや準備が台無しになってしまう、そんな天気だ。
 案の定あゆは無言で空を見上げていた。
「落ち込むなよ。帰ってくるまでに晴れれば天の川も見えるさ」
「そうだよ、あゆちゃん」
 うぐぅの音も出ないぐらいに慰めてやって、とりあえず学校まであゆを追い出してしまう。
「祐一、てるてる坊主つくろう」
「…お前、本気か?」
 確かにまだ時間はある。でも、そこまで時間が残っている訳でもない。
 第一、そんな物どこでだって作れる。
 …と、説得する間に遅刻ぎりぎりという時間になってしまっていた。
 でも、今は遅刻してでもてるてる坊主を作った方が良かったと思った。
 びしゃびしゃの彼女をタオルでくるんで傘の中に招き入れた時、時季はずれにも氷のように躰が冷たくなっていた。
 小刻みに震える体。
「馬鹿、何であんなところで待ってるんだ」
「…晴れると思ったから」
 消え入りそうな声で呟く。
「晴れなきゃ…可哀想だよ」
 あゆは消え入りそうな声で呟き続ける。
「一年に一回しか逢えないんだよ?なのに雨だなんて…」
「馬鹿」
 俺はあゆの頭を乱暴にわしわしとなでて、ついでにタオルを頭に巻き付けてしまう。
 途中うぐぅとか言っていた気もするが気にしない。
「雨だからわざわざ来てやったんだろうが。待ちぼうけの織り姫ん所に」
「…え?」
「天の川が氾濫した方が、逆にいいところを見せられていいかも知れないぜ」

 その日、夜までには雲は晴れた。
 飾り付けも、準備も、結局無駄にはならなかった。
「でも、雨が降ってもいいのかも」
 あゆが帰り際に――帰ってくる親父さんのために今夜は帰るそうだ――一言言い残した。
「ね、祐一君」


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