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「あらあらまあまあ」


 正歴5年、夏。
 つい半年前に一人の女性が少女の世話係として現れた。
 そしてさらに、翼を持った少女の社に新たな変化が訪れようとしていた。
「神奈さま、このたび新たに人が来るそうです」

  ばばん

「それは、余の護衛か?」
「仰せの通りです」

  ばばばばん!

「ふむ、どういう男が来るのか楽しみじゃのう」
「お任せ下さい。そう来るとおもいまして」
 ごそごそ。
 彼女は懐から丸めた紙を出して、すっと彼女の前で開いてみせる。

 へのへのもへぢ。

「このような男で御座います」

 沈黙。
 やけに冷たい空気に気が付いたのか、裏葉はひょいっとその紙越しに神奈を見た。
 ぷるぷると震えている。
「…裏葉」
「はい」
「こんな男がどこにおるのか!そなたの目でしかと見て見よ!」
 彼女は首を傾げて、くるっと裏返して見る。
「あらあらまあまあ」
 ぽ。
「いい男」
 まて。
「裏葉っっ!」
 ほら、かの娘が切れたぞ。
「神奈さま、そんなに怒鳴られては次に来られる方も驚いてしまいますよ」
「ふん、構わぬ。誰が来ようと知ったことか」
 ぷいっと顔を背けてしまう彼女。
 裏葉はそれでもにこにこ顔を決して崩さずに彼女の側に寄る。
「ほらほら、そんな顔をなさらずに。次に来られる方もきっといい人に違いないですよ」
 ぷい、と顔を背けたままの神奈。
 裏葉はにんまりと笑みを浮かべたまま、横を向いた彼女のかおに…

  だきっっっ

「ほーら神奈さまぁ」
「むぐぅぐぐうぅむぐぅ!」
 じたばたじたばた。
「お笑い下さいませお笑い下さいませっ」

  むにむにむにむに

 顔を引っ張ったり揉んだり寄せたり上げたり。
「よしゃんか!あつくりゅしい!」
 喋るタイミングに合わせて頬を微妙に歪ませて、にこにこ顔の裏葉。
「神奈さまが可愛いからいけないんですよ」
「…全く」
 くすくす笑いを続ける裏葉に、少し顔を赤くした神奈。
 彼女は僅かにため息をついて目を細める。
「仲良くなれるといいな」
 裏葉は彼女の雰囲気に気がついたのか、頷くだけで言葉を挟もうとしない。
 それは――

 つい先日に彼女から母について聞いた時と雰囲気が同じだったから。


――会いたい
 神奈は真剣な眼差しを裏葉に向けた。
 誰とも知らぬ、その暖かい相手。
 彼女はその誰かと会いたいとそう言った。

 初めて彼女に会った時。
「本日よりお仕えさせていただきます、裏葉と申します」
 恭しく頭を下げて、ゆっくりその言葉を紡ぐ。
 そもそも、翼人の身の回りの世話をするという事自体が既に、彼女にとっても充分な光栄だった。
――はずだ。
「おお、苦しゅう無いぞ、面をあげい」
 尊大な口調なのに、妙な幼さの感じられる甲高い声。
 裏葉が顔を上げると…
 そこには、少女と言っていいぐらいの小さな女の子が、十二単を羽織ってちょこんと鎮座していた。

 翼人。
 唐天竺では鳳翼、風司、古い名を空真理という。
 肌はびろうど、瞳は瑪瑙、涙は金剛石。
 やんごとなきその姿はまさしくあまつびと、と言われているが。
――誰が見たって…
 どこにでもいるその辺の女の子に見えた。


――仕方ありません。まだこんなにも子供なんですから
 裏葉はまだ若いが、妹達がいた。
 彼女達の世話をしていて、自分の母親のことを思った。
 神奈のような子供の世話は誰に頼まれなくても、きっとやる――いややりたくなる
「きっと」
 だから一言だけ言って、いつものように笑みを浮かべた。


 その後、社殿の警護指揮を受け持つ正八位衛門大志に柳也殿が来た。
「神奈さま、違います、こうですこう。見せすぎない程度でなければ男心は煽れまぬ」
 それから色々な事があったが、裏葉は相変わらずだった。
「こうか?」
「違います。よろしいですか?柳也さまのような益体のない方は…」


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