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 『待遇もお給料も悪なるし、あたしは大人やから、そう言うことで後悔するんよ』

 そう言うて、笑ったまんま、ちょっとだけ泣いたんや。


KAZUHISA――みゃーちゃん――


 唐突に転校する事になった。
 転校先って聞いたのは、○○県立八重坂高校。
 少なくとも、行ったことも聞いたこともない場所なんやって事だけ、知っとった。
 他は、誰も…少なくとも、俺の事を知っている奴はおらへん場所やった。
 丁度、今までの事がなかったかのように。
 ゲームやあらへん。
 そんな、人間は簡単にリセットできるもんとちゃう。
 でも、そう…社会…かな、それは俺に強制するんや。
 リセットを。

 彼女はハンバーガー屋で見つけた。
 んー、どっちかというと、やっぱ偶然やな。
 つるみ始めた友人と冗談めかして話しながら、入ったんや。
 そん時からやな。
 深山かなこ…みゃーちゃんが気になったのは。


「あと…」
 和久は短くなってきた煙草を一口吸って、言った。
「すんごい、大事にしたりたいかな」
「ああ…そうですわね」
 初音も同意して、うっすらと目を閉じた。
 風が吹く。
 紫煙と黒髪が流れる。
「そうでなければ、目茶目茶に泣かせてあげたいわ」

 きつい吊り目の美人。
 俺の印象はそんなもの。
 彼女――比良坂初音は平然とそう言ってのけた。
 何やきつい女性やと思てたけど、ここまでとは思わなんだ。
 当然、俺は声を出せずに黙り込んでしもうた。

「そんな事、御座いません?」
「俺は…」
 妙に喉が乾いた気がして、和久は、見上げていた初音から目を逸らした。
 幹に頭を預けて静かに呟く。
「そーゆうのは、もうええわ…」
「…もう…ね」
 遠くから5時間目の終わりを告げるチャイムが響いてきていた。
 二人はしばらくそうして、銘々に空など見ていた。



 彼女を見たのはそれが初めてやなかったけど。
 そのせいで、思い出してもうた。
 俺、こっちに来たんやって…

「こら、カズ」
 遠慮なく振り上げた拳は、無論容赦なく後頭部を揺るがせるんや。
 これやから乱暴な…おっと。
「エロ本、コンビニで立ち読みしてるんやないで」
 夏休みも終わりにさしかかった頃。
 周りじゃ大学受験だの何だのって、俺から見ればなんや…お祭り気分な雰囲気ちゅーの?
 現状が認識できない俺はまだ学生気分でいた。
 ええやん。ほんとに高校生なんやし。
「ちょ、きっついわーキョウコちゃん」

  ぽかり
 もう一発殴られた。
 ほんまぼかぼか遠慮ぐらいしーや。
 ただでさえ悪い頭がますます悪ぅなるやろ。
「センセにちゃん付けで呼ぶな。全く」
 でも彼女は良いながらけらけら笑ってるんや。
 全然センセらしくない。
 どっちかって言うと、同級生かなんかみたいで。
「済んません、キョーコちゃん」

  ぽかり
 …さすがに痛かった。

 キョウコちゃんは国語ん教師で、専門は現代文学やって言ってた。
 言う程人気のある訳やあらへんかったな。
 でも、どこか翳のある印象的な女性やった。
 やて、あれよ。元気な女かやたら物静かで相手すんの疲れるよーな奴らが多い中じゃ目立つで。
 …と、少なくとも俺は思う。
「どしたん?元気ないね」
 とか、声かけてくれたん、キョウコちゃん位やったしな。
 そのコンビニで逢ってから、決まってそこで逢うようになった。
 多分あん時は、お互い時間を決めてたような気もする。
 取りあえずそれがつきあい始めた頃やったはずや。

「そんなん当たり前や」
 確か、夏休みも終わるっつー頃。
 やっぱコンビニで何て言う事なく立ち読みしてたら、やっぱキョウコちゃん来たんや。
『カズ、呑めへん?』
 って。
 いや、相手は一応は教師や。
「んな事言うたかてセンセ、俺高校生やで」
「何言うてんのん。こんな時ばっかセンセ言うてからに」
 若干舌周りが妖しい。
 どうやら、既に酒が入っとったらしい。
 キョウコちゃん結構酒は強いらしくて、顔には出てへんかったけどな。
「呑むの?呑まへんのん?」
 右腕で思いっきりヘッドロックかまされながら、俺は彼女の声を聞いたんや。
 まだ大学出て正式に教員になったばっかり言うてたし、かなり若いはずや。
 勢いに負けて――つーか、いや。俺も男や。
「キョウコちゃんの部屋で?」
 ボケのつもりやったんやけどな。
 キョウコちゃんはビール何本かと日本酒を買い込んで、部屋に案内したんや。
 ま、居酒屋に入る訳にもいかんからな。
 これが散らかってて男の大学生の部屋と変わらへんかったけどな。
「若いよ?若いん決まってんやん」
 そこで俺は何の気なしに聞いたんや。『ね、センセ、歳幾つ』ってね。
 ここまで来てそんな礼儀なんぞ知ったこっちゃない。
 酒のせいもあったんやけど、キョウコちゃんは勢いづいて座った目で俺を見ていた。
「そりゃ、コーコーセイのあんたらには負けるわ。…でも、まだまだ若いで」
 足下に散った缶の数も、今手元にある瓶の数も、相当な物や。
「ちょ、キョウコちゃん、ごめんて。そんな怒るとは思てへんかった」
「…ふん」
 彼女は黙った。
 黙って、俺を見てた。
 そしてふっと表情を緩ませると、空いた缶を蹴って立ち上がった。
「ほな、つまみ出すわ。…鶏の唐揚げでええ?」
 キョウコちゃん、その日振られたばっかやったらしい。
 って聞いたのはその数日後の事。
 流石にその日に聞くことはなかったわ。


「あっ……葛城っ」
「なん?」
 呼び止められ、階段を下りる足を止め、振り返る。
「あの……あのさ」
 これ以上何の言いにくいことがあるのか、級友は、落ち着きなく和久から目を逸らした。
「…お前、女孕ませて大阪の学校辞めてきたって、本当なのか?」
「なっ…」
 和久は。
 何となく判った。
 それは多分、転校当初から噂されていた事なのだ。
 それでいつまでも、一部の物が余所余所しく――
「あほ言いな、俺はっ…!」
 考えるより早く口を開く。
 だが否定するより早く、大阪での事が頭をよぎった。
「いや……そんなとこやわ、うん」
「…葛城」
「うん。俺、そーいう奴やねん」
「…あの……ごめん」
「まあ気にせんといてや。俺もせーへんし」
 人間って身勝手や。
 どこにいてもそや。
 身勝手やから、身勝手に人を傷つけられるんや。
 和久は、腕の中のかなこを見て、微笑った。
 そしてふわりと抱きしめる。
「あっ…」
「なあみゃーちゃん、セックスって何かなぁ。
好きやからしたい、触りたいから触る、てだけじゃ、あかんのかな…」
「………………」
 かなこは。
 自分の中に答えを探した。
「…………」
 けれど、答えは見つかるはずもない。
「わかりません…
……私には、わかりません……」
「うん……ええよ。わからんな…」
 かなこは、ただそう繰り返した。
 和久は、ただかなこを抱いていた。



「カズ?」
 キョウコちゃんの部屋で呑むようになって、夏休みの仕舞いの日。
 慣れた物で、遊びに行くと一升瓶が置いてあった。
「ん?」
 ウチは結構開放的で、夜中遊び回っても別に何も言わへんような家庭やった。
 毎日やなかった。それはホントやけど。
「ね」
 小首を傾げて、俺を見つめるキョウコちゃん。
「Hしよっか」
 酒のせいだけでもなかったと、今じゃ思うけど。
 そん時はそんな余裕何てなし。
 …ま、そゆことや。

 それからテキトーな関係は夏休みが終わってからも続いてた。
 キョウコちゃんが寂しかっただけかも知れへん。
 今はそうとも思える。
 でも、決定的やったんは、あの一言や。

  あたしは大人やから、そう言うことで後悔するんよ

 何で?
 何でや。
 楽しかった言うたやん。
 楽しかったやん。俺といて楽しかった言うたやろ?
 何でやん。
 何で…何でそこで泣くん?
 俺がガキやったから?ガキや言うても…

 俺は、その日ウチに帰ってから、生まれて初めて自分で泣いた。
 そして、生まれ育った大阪を次の日には発ったんや。


「なぁ、みゃーちゃん。俺、大阪出てきた理由思いだしてもうた」
「…理由…?」
「うん、まあ、別に忘れ取った訳やないけど…」
「………」


 この娘は、寂しそうな顔してる。

 絶対に笑かせてやりたい。

 みゃーちゃんが笑ったらどれだけ楽しいやろ。

 可愛い。

 こんなしょぼーんとした顔が似合う娘とちゃう。

 絶対、笑かしちゃる。嬉しそうに笑う顔、見ちゃる。

 んで、こう言うんや。

――ほら、それや。その顔、可愛いで

 って。

※小さい文字は原文をそのまま使用しております。


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