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Cryptic Writings 
Chapter:6

  The Game is on


前回までのあらすじ

  東京駅へ向かう途中、裕に襲われて捕らえられる梓。
  まだ生き残っていた…

        ―――――――――――――――――――――――
Chapter 6

主な登場人物

 柳川 裕
  鬼。祐也の双子で『狩猟者』としての性格を持つ。
  一時期祐也の中でもう一人の性格を装って殺戮の限りを尽くした。

 柏木 梓
  裕に連れ浚われた『餌』。
  大体想像通りの展開に巻き込まれ…

 月島拓也
  初期型『Lycanthrope』を搭載した人間兵器。
  体の約8割が既に置換されてしまっている。

 柳川祐也
  自分の見ていた裕の信号を追う。
 
  柏木耕一
  柏木家の血を引く男。
  だが、その鬼の力は果たして…

        ―――――――――――――――――――――――
 
 

chapter 6:The Game is on

 かつて、古の民が畏れ敬った神々。
 暴風、地震、噴火などの自然災害は言うに及ばす、彼らに利を与える豊饒の大地も、彼らは敬った。
 いつしかその想いが生み出したものが、物語となって語られている。
 彼らが感じた想い、声、風、そして命。
 「神」と呼ばれた者。自然、そして季節。
 それらを言葉に、絵に、後世に残すために。

「…それが御伽話だ」
 暗闇の部屋。
 何もない、ただの真四角の部屋。
 コンクリートの埃っぽい匂いが鼻につく。僅かに肌寒い。
 陰が動くと、その後ろから光の塊が目に飛び込んできた。
 後ろ手に縛られた針金が動く度に締まる。
「それがどうかしたのよ」
 強気な声が響いた。
 男の背から投げかけられた朝の日差しに照らされて、梓が部屋の中に浮かび上がる。
 梓の前にはカジュアルスーツ姿の柳川がいる。
 彼女は冷たいコンクリートの床に両足を揃えて座り込んでいる。
――活きが良い方がいい。それだけ持ちがいいからな
 捕まえてきた女が以外に気が強そうなのを見て、僅かに笑みを浮かべる。
 同じ顔をしているのに、隆山で助けて貰った時の顔とは明らかに違う。
 梓は違和感を覚えた。
――『鬼』じゃ…ない
 彼女はその嗜虐的な笑みが鬼の物に感じられなかった。
 むしろそれが――そう、皮肉なことに――一層人間らしい表情のように感じられた。
 柳川はそんなことを気にもとめずに続ける。
「現実の中に非現実を見いだしたのだ」
「でもそれは、過去の人にとっては現実だった」
 彼女の答えに柳川は眉を顰め、一歩彼女の側に近寄る。
 梓は思わず身を引いた。

 血臭。

 僅かであるが、彼のスーツから血の臭いがしたからだ。
 血の臭いは初めてではないと言っても、ここまで猟奇的な薫りは初めてだった。
 見下ろす柳川の表情のせいだろうか?
 梓はそれでも強気な姿勢を崩そうとせず、続ける。
「じゃあ伽って知ってる?千夜一夜と同じで…」

  ばん

 梓の左頬に重み。
  遅れて来た激痛に呻き声を上げる。
 エナメルの黒い靴で梓の頭をコンクリートの床に押しつけている。
 柳川の――裕の表情が憎々しげに変わる。
「黙れ」
 彼が体重をかける度に頭蓋が嫌な音を立てる。
 最初こそ呻いたものの、それ以上体重をかけても彼女はうんともすんとも言わなかった。
――応えてやるものか
 想像を絶する痛みのなかで、彼女は強がっていた。
 踏みにじるのではなく、裕はただ純粋に体重をかけていた。
 それが無限大に強まるような錯覚を覚えても、梓はなにも言わなかった。
 彼女の強がりに気がついたのか、裕は足を彼女の頭からどける。
 無惨な靴跡が頬に刻まれている。
 やがて、上から声が聞こえた。
「…非現実だったからこそ、『面白かった』」
 どうやら話の続きらしい。
 彼女の目の前で踵が返り、一歩彼女から離れる。
 梓は右肩で体を弾くようにして体を起こす。
 窓の逆光に映える裕の背中だけが黒く切り取ったように見える。
 まるで意図してそこだけ強調したかのように。
「彼らにとっての現実は、現実であるべきではない」
 やがてその陰は手をポケットに入れて振り向いた。
 僅かに沈黙が部屋を支配する。
 裕の視線は動かず、ただじっと梓に向けられている。
「…何が言いたいの」
 視線に耐えきれなくなって梓はこぼした。
「さぁな」
 だが、裕はつまらない物を見る視線で梓を舐めた後、それだけ答えた。
 

 耕一達は梓の姿を追っていた。
 祐介、瑠璃子と耕一、そして月島の3手に分かれて広い範囲を下っていた。
 初めは気にもとめていなかったが、気になった耕一が気配を探って初めて気がついたのだ。
 近くに梓がいないことに。
「糞」
 道を辿れば会えると踏んでいたのが間違いだったのか?
 耕一は感覚を全開にして梓の居所を探っている。
 それなのに、こちらに向かっているはずの梓が見つからないのだ。
 昨晩から歩きづめだとして、もう十分近くにいるはずなのに。
「っ」
 耕一は足を止めた。
 彼の目に梓が乗っていた自転車が目に入ったのだ。
 他に放置された自転車もあるが、それはペダルが踏み折られている。
 よく見れば破断面の荒さが目立つのがわかる。無理矢理引きちぎったような折れ方だ。
 それに――血が僅かに付着している。
――これは
 眉を顰める。
 どう考えてもこれは襲われた壊れ方とは思えない。
 すぐに彼は梓が自分の力で壊したことを悟る。
――…馬鹿力…
 耕一は歯ぎしりする。
 自転車に負担がかかりすぎたのは確かだが、だからといって引き返した訳ではないだろう。
 他にどこに行くというのだ?
 それに気がついた耕一は苦々しい表情で自転車を見つめる。
――畜生

 人影、敵はもう数少ない。
 理由はわからないが、祐介が何とかしている訳ではないと言っていた。
『今は全く意志を感じません』
 彼の言葉を信じるのだとすれば、何か事故があって急にそれが停止したのだろう。
 理由は昨夜の『天使の輪』のせいらしい。

  ちり  ちりちり

 耕一の脳髄をかける嫌な感触。
 何かが頭の皮膚の下を這い回るようなそれと同時に、何かが聞こえてくる。
『耕一さん』
 強制的に祐介の姿が視界に割り込んでくる。
――話には聞いていたんだが
 現実に見えている訳ではなく、まさに幻が頭に浮かんでいる感じだ。
 彼の頭では説明されても訳が解らなかったが、実際に体験して理解することはできた。
 鬼の信号化された会話によく似ていると。
『急いだ方が良さそうです。メイドロボの方が動き始めました』
――どうしたんだ?
 しかし、大きな違いは相手が鬼ではないこと。
 だから一方的に受信することしかできない。何度呼びかけても所詮、それは独り言にしかならない。
『…どうかしましたか?』
 会話にならなくても感情は伝わるようだ。
 動揺の気配だけが伝わってきて、祐介は思わずそれに応えてしまった。
 すぐにそれがかき消される。
 祐介はため息をついて、連絡するためのナノマシンを切り離した。

 簡単で有名な計算がある。
 一分に一回細胞分裂をすると、一時間でいくつになるだろうか?
 15分で3万を越え、30分を越えると10億を越え、一時間で11京5千兆を越えてしまう。
 これは単純に幾何級数的に増えるように計算した場合だから、実際にはここまで増えることはない。
 材料が尽きた時点で細胞は死滅を始めるので『一時間では0こ』という答えもあり得る。
 バランスのとれているうちは良いのだ。僅かに減り、僅かに増える程度であれば。
 目に見えて増減はなくとも、減ることがなくそれは一定に保たれる。
――いつか喰われてしまうのではないだろうか
 だがほんの僅かでもその均衡が崩れた場合、もう止めることはできない。

 万能のような力は、決してそうではないのだ。

 ナノマシンの技術そのものも、そこに欠陥があった。
 自己増殖能力をどれだけ賦与するかによっては毒にしかならない場合だってある。
 『Lycanthrope』開発初期、その思想は『不老不死』そのものだったとも言われている。
 

 果たしてどちらが先に手を出したのだろうか。
 マルチ型達は自分の主人とは違いHaloの中でも動くことができた。
 ただし命令は全く受け付けず、『人間』に対して攻撃を始めたのだ。
 銃声が鳴り響き、血煙が走る。
 戦闘が開始された刻、両者はそれを考える暇などなかっただろう。
 完全な伏撃。
 自分の味方だと思っていた『物』が本当の敵だった。
 『神の雷』の背後から、依頼主が斬りかかってきたのだ。
 彼らの持っていた兵器についても同様だった。
 コンピュータ化されているものは暴発し、機械制御された部品は謎の沈黙を続けた。
 通信機によるLANはむろん何の役にも立たず、あちこちで孤立化した部隊が勝てない戦いを繰り広げていた。
 とは言っても実際に戦闘能力を持っているのは指揮官用端末のみという状態ではそれは一方的な殺戮にすぎない。
 銃声にあわせて踊る飛沫は紅く、白い単分子繊維のドレスがじんわりと染まっていく。
 やがて鮮やかな色があせ始めるとぼろぼろと粉になって黒く崩れる。
 ぬめる朱を引きずるようにドレスが元のワイヤの姿に変わる。
 紅い糸を引きながら舞う不可視の刃。
 飛来する銃弾をも切り裂き、細かくなった銃弾は皮膚を破り肉を破裂させる。

 地獄絵図はあちこちで――包囲した格好の『神の雷』が無差別に襲いかかる敵に対して――広がっていた。
 小銃の起こす甲高い悲鳴に、柔らかい液体の鳴き声と空気の金切り声。
 加えて、耐え難い衝動の波に意識が埋没しそうになる。

  がくん

 体がばね仕掛けのように跳ねる。
 それでも無理矢理歯を食いしばって喉を漏れる空気を押さえ込む。
 ここが、現実であることを忘れさせる。
 手首が引きちぎれそうな痛みと、乱暴に頭を掴む男の手。
 男が何かを叫んでいる。
 すべてが非現実。
 その総てはもう、白い世界の中にいる彼女には届かない。
 時間の流れも解らなくなる。
 ただ意識がそこに漂っている。
 暗い空間の中でもつれ合う姿も、彼女にとってはテレビの向こうの世界のように。
 痛い。
 男が梓の顔を真横に平手ではたいた。
 痛い。
 額を鷲掴みにして床にたたき付けた。
 痛い。
 それでも、男の行動との――目の前の映像との接点が見つからない。
 もしそれを見つけたなら彼女は、死んでしまうかもしれない。
――あたまがやけにいたい
 生臭い臭いもする。
 髪の毛がべたべたと粘る。
――助けて…
 やがて麻痺しきった意識が先に折れた。
 永遠に続きそうな地獄の中に光が差すように、彼女は現実に引き戻される。
 全身の感覚が戻ってくるように、先刻までの映像と自分の接点が思い出される。
「もっと楽しめ」
 柳川が言葉をこぼし、何かが口の中に無理矢理ねじ込まれる。
――耕一…
 そして再び自らの現実に、白濁した意識に逃避しようとする。
 

   タスケテ コウイチ
 

――っ!!
 白濁した白い意識が彼の中を駆け抜けた。
 その瞬間、危険な兆候を感じて彼は意識が現れた方向に目を向ける。
 駅から程近いが、今いる場所からだと方向は全く逆になる。
――耕一さんから遠すぎる
 しかし、一瞬の躊躇でしかなかった。
「長瀬ちゃん」
「判ってる」
 瑠璃子の声に答えながら祐介は地面を蹴った。
 今この近辺でまともな精神を持っている『生者』はいない。
 悲鳴を上げる事すらできない人間が今のような切実な思いを吐露するはずがない。
――危険だ
 ただし、それは非常に危険な事だった。
 正気と狂気の境。
 境目は非常に曖昧で、そこにとどまる時間もほんの僅かに過ぎない。
 いつ、どちらに転ぶのかそれすら予想だにしない。
「お兄ちゃんには連絡したよ」
 無言でうなずき、足を速めた。
 拓也と祐介の今の位置からならほとんど同時につくはずだ。
――無事でいてくださいっ
 

 ここは狭すぎる。
 裕は壊れた窓から階下を見下ろしている。
 ほんの一日でゴーストタウンと化した東京。
 あちこちで続く銃撃戦も半日と持たないだろう。
 『神の雷』も表舞台に出ないためにもすぐに退くはずだ。
――フン
 過去に東京が完全に機能停止するSFがあったことを思い出して笑う。
 今、恐らく日本のどこにいても同じ状況かもしれない。
――俺は狩猟者だ
 滅ぼすか、滅びるか。
 どうせ、近い未来に選択しなければならなかったことだ。
 ただ、今は側に立つものがいない。
 今考えるとどうして彼女は人間を滅ぼそうとしていたのだろう。
――…何か、相容れないところがあったのだろうか
 自分と比べて、似ている部分があることは知っていた。
 何も残されていない。
 何も残すことができない。
 捕食者と獲物との差。
 彼女にもその考えがあったのだろうか。
 今更聞く事のできない答えに、彼はただ唇をかみしめるだけだった。

 僅かに彼は後ろに目を向けた。
 斜めに差しこんだ光が白い肌を浮かび上がらせている。
 まるでそこだけ切り取ったように。
――…こいつも『鬼』だな
 血の匂いがする。
 それも濃く強い匂いだ。この女は他の誰よりも純粋に近い。
 あんまり抵抗するので頭蓋を叩きつけたが、出血の割に死の色は見えない。
「目が覚めているか?」
 呼吸音はするが、彼の言葉に反応はしない。眠っているのか、さもなければもう返事もできないのか。
 目はうつろで生気を湛えていない。冷たいコンクリートに素肌で横たわっているにも関わらず、動こうともしない。
――くだらんな
 裕は面白くなくなって再び背を向ける。
 こんなに――下らなかったのか?
 その自問自答に彼は自嘲の笑みを浮かべて再び窓から外を見下ろした。
「こんなものでは退屈すら凌げんぞ」
 誰に呟くともない言葉。
 狩猟者ではなく、『人間』ですらない彼らだけが唯一の『敵』だ。
――…早く来い。…さもなければ、面白くなさ過ぎる。聞いているんだろう、裕也
 彼は眼鏡に指をかけ、勢いよくそれを窓から投げ捨てた。
 激しい突風が一瞬それをさらい、やがて細かな砕ける音が響いた。

 神社から流れてくる、祭りの気配。
 風に乗る囃子に添えて、僅かに紅潮する身体。
 隆山の祭りは初夏と秋に行われる。
――今日は本番かな
 隆山の祭りは通常『祀り』である。
 他の地方ではその風習が消えつつあるものの、『儀式』めいた行動は残っている。
 盆踊りの『練習』などがそうだ。
 別に、練習するほど難しいものをわざわざ楽しむ必要はないだろう。
 それぞれに意味のある内容を、意味のある形にして儀式として成り立たせる。
 少なくとも隆山ではまだその『意味』を知る者が多い。
 隆山の経済のほとんどを牛耳る柏木家の人間が、その儀式を執り行っているからだ。

 それは――過去に起きた出来事。

 真実を知る者こそ少なかれど、それは事実。
「あのね、昔にお侍様が守ったんだよ」
「次郎衛門の昔話だよね、誰だって知ってるよ」
「桃太郎よりも現実味あるから」
 祭りの、いや『祀り』の当事者である次郎衛門の名前を知らない者ももちろんいない。
 もちろん、その『祀り』に意味があるのかどうか。
 元を辿れば次郎衛門のための祀りではなかったとも言われている。
 彼が始め、やがて彼の部下が行っていた祭りが続いているとも言われている。
――今年は千鶴姉だったよなぁ
 今それを大きく取り仕切っているのは、隆山温泉の組合であり、毎年持ち回りで仕切っている。

 囃子が、聞こえる。

――全く、ドジでのろまな亀姉、毎回失敗してるから
 しかし、事実と真実の間に如実に横たわるそれは――虚実。
 そしてその虚実を作るのは、自分自身。
 どこからどこまでを信じるか――どこからどこまでが現実であると把握するかが、境目になる。
――今年は耕一は来るのかな
 彼は毎年来ている訳ではないし、別に…来て欲しい訳でもない。
 でも、来るのであれば準備をしなければ。
 食事だって増えるし、それに酒も。

――準備…しとかなきゃ
 

 自分の妹から伝わった情報によれば、『敵』がいるとの事。
 『梓』が見つかった、ではない。
――敵…か
 彼女の語調から彼が想像したのは間違いなく敵。
 突如全身を走った稲妻は、彼の感情そのものだったのかも知れない。
――まだ生きているんだな
 怒りとは別の感情。
 それでも、それは非情なまでに残酷で耐え難い衝動。
 殺意などと簡単に表現してしまうとそれも単純でチープに聞こえるだろう。
 だが、人間の意志は所詮、その程度の物に過ぎないのだ。
 瑠璃子が示した場所は、新しい戦闘の痕でコンクリートの粉臭い匂いに包まれていた。
 すでに金属も、硝煙もその臭いを捨て去っている。
 ただひたすらその痕だけを匂わせている。
 もう銃声も、遠い。

  じゃり

 足音がやけに響く。
 何もない…何の抵抗もない者を縛り付けるように、彼は地面を踏みしめている。
 ポケットに手を入れたまま。
 それ程広くない道路に囲まれた古い、いつ取り壊されるのか判らないビル。
「何だお前は」

  ぞく

 声が後ろから聞こえた。
 背後から気配がする。金属的な冷たさと異常な堅さ。
 緊張した空気の震えに混じるこれは――殺気。
「…まだ生きていたのか」
 月島の言葉に、男は眉の間に深い皺を刻む。
 拓也はぎりぎりという歯ぎしりの音を聞きながら、真後ろの気配を読んでいる。
――いつ後ろから近づいてきたんだ
 今確かに気配はするのに。
「何の話だ」
 振り返れない。
 指一本どころか、皮膚を引きつらせることすらできない。
 動けば、その隙につけ込まれてしまう。
「お前は人間ではないんだろう」

  じゃり

 一歩近づいた。
 拓也の額にゆっくり冷や汗が浮かぶ。
 これ以上耐えられる自信はない。
 左側から足音が自分の周りを回り、拓也の視界に男が現れる。
 だぶついた黒いYシャツ。整えれば十分に格好の良い頭も、乱れるままにしている。
 眼鏡の向こうの何かに飢えた目、異様に漲った気力。そのくせ奥に潜む冷たい光は冷静な物を感じさせる。
「――!貴様」
 『神の雷』の特殊部隊『Lycanthrope』に所属していた『喰らう者』拓也に『切り裂く者』裕。
 部隊としての戦闘能力の低さは、「その用途次第」という異常者の集団。
 個人戦闘能力だけを見れば彼らに敵う者はいない。
「誰のせいで我々が日本に派遣されたと思っている」
「…そうか…誰かと思っていたが」

  驚愕すら忘れたかのように固まる柳川。

 月島の体は柳川の懐に、既に拳が引き絞られた体勢で潜り込んでいた。
 拳の周囲が僅かに歪む。A兵器『Lycanthrope』を叩きつけるのだ。
「っ」
 振り抜かれる拳は、しかし完全に宙を切る。
 柳川は弾けるように後ろへ飛び退いていた。
 だが拓也の表情は何故か腑に落ちないものを感じていた。
――何だ?
 人間を遙かに上回る瞬発力で一気に後ろへ下がる柳川は明らかに『今のが見えていた』。
 しかも、『怯えていた』。
――…まさか
 『A兵器』を感覚的に捉えることのできるのは、宿主でなければならない。
――こいつも
 彼の体反応のよさは『同類』の見せるものではないし、同じ匂いもしない。
 まさか。
 拓也はそれを否定して僅かに離れた柳川にもう一度照準を合わせた。
 

 しばらく時間を遡る。
 拓也は病院に向かって歩いていた。
「柳川を助けてやってくれ」
 いつの間にか拓也が治療する事になっていた。
 別に、それが嫌なわけではない。瑠璃子が喜んでくれるのなら。
 僅かに反発はあった。
 それは――助ける相手が『耕一』と同じであると言う事。
 助ける相手が自分の一番嫌いな――『Lycanthrope』だと言うその事実には多少苛ついた。
「違う」
 耕一は否定した。
 ああ、確かにそうだろう。
 拓也はこの大学生と話をしていてすぐに解った。
――人間ではないが
 『彼ら』は、通常先天的に脳の異常を持つために通常の生活を営む事はできない。
 また、その思考力にも問題がある。
 IQがずば抜けて高い場合もあるが、大抵の場合話にならない程常識が欠如していたりする。
 それが感じられない。
 だから、従うことにしたのだ。
 それにその柳川という男にも興味がない訳ではなかった。
 何故なら、男の症状は「電波」によるものに酷似していたからだ。
 話に聞くだけでは断言できないが。
 何にしても警察病院へ向かう。指定された場所には隔離施設がある病院があった。
――結局梓とかいう娘には会えなかったが…
 ともかく、主の目的ぐらいは果たしておこう。
 拓也が受付で祐也の名前を出すとゆっくりと彼女は首を振る。
「面会謝絶です」
 まぁそうだろう。
 関係者以外立入禁止、とか。
 予想していた展開だけに彼は別段驚きもしなかった。
 だから予定通りの答えを彼女に渡す。
「実は長瀬警部に頼まれまして、届け物を持ってきたんですけどね」
 回りくどい。そうは思ったが今電波を使う気にだけはなれない。
 彼女はその名前を聞いてああ、と気がついたような顔をする。
 そして素直に病室とそこまでの道のりを教えてくれる。
「ありがとう」
 拓也は笑みを浮かべて答えて、彼女の言うとおりに歩き始めた。

 ふと廊下で大声を出している非常識者がいた。
 嫌でも耳につく声。
「だから、あれはロボットだっていってるんだっ、マルチはロボットなんだよ」
 何だあの男は。
 彼の物言いがかんに障るのもあるが、その表情がそれをますます増幅しているらしい。
 看護婦を捕まえて、恥も外聞もなく叫ぶ男。
 正しさの強要。
 いや、果たして本当にそれが正しいのかどうか、それすら判らないと言うのに。
 拓也は冷たい視線を向けるだけ向けると、即座にそこを立ち去った。

 以外に警察病院――特に精神病棟は、一般の病棟と変わらない雰囲気を出している。
 しかし、そこに溢れかえる『想い』は全く別物だ。
 人気のない廊下に、空気がまるで重量を持ったように横たわる。
 こんな時、彼は人間でよかったと思う。
 人間だからこそ、何もないはずのこの場所で、人の想いを感じる事ができる。
 気持ちが――いい。
 知らず彼は微笑んでいた。
 まだ自分が人間でいられる事を喜んで。
「誰だ?」
 声がした。
 呼びかけられた、のかも知れない。
 そうだろう、ここに来る一般の人間などたかが知れている。
 医者か看護婦でないなら、お前は誰だ。彼はそういう目つきで拓也を見ている。
 ふと拓也は既視感に捕らわれた。誰かに――そうだ、長瀬源五郎によく似ているんだ。
「…耕一さんからの使いで、月島拓也と言います」
 一度ぺこりと礼をすると、彼はぎこちない笑みを浮かべる。
「長瀬警部ですね?」
 だってそっくりじゃないか。
 驚いた顔をする彼に思わずほくそ笑む。
「で、何の用ですかな?」
 拓也はふむ、と僅かに笑みを浮かべてポケットに手を入れた。
――くえない男だ
 性格までそっくりだ。
 彼は笑みを浮かべ――笑っていなくても地なのだが――続ける。
「柳川さんの治療にあたります。…若干、そう言った知識があって」
 くく、と面白そうに笑う長瀬。
「…それなら一足遅かったさ。柳川だったら、消えた」
「は?」
 長瀬は自分の鼻の根本をつまんでううんとうなる。
「分からんが、部屋からいなくなったんだ」
 

 瑠璃子は一瞬足を止めた。
「瑠璃子さん?」
「…急ごう」
 もう戦闘は始まっている。
 間合はつかず離れず、ぎりぎりの距離でお互いの命を削る刃を繰り出す。
――近寄れない
 柳川は鬼の爪をぎりぎり伸ばして斬りかかっても、触れる端からそれは崩れていく。
 拓也の周囲に僅かに帯電した空間。
 柳川にはそれが周囲より『明るく』感じられる。
 勘が危険だと告げる。
 時折視界にノイズが走る。
 受信状態がおかしいテレビのような視界に、糸目で痩身の男が映っている。
――こいつのせいで
「あいつはどうした」

  ふぉん

 音が迫る。
 横に滑るようにして避ける柳川。
「あいつ?」
「貴様の側にいたメイドロボのことだ」

  どくん

 心臓が高鳴る。
 早鐘のように打ち鳴らされ、全身の血液が逆流する。
「彼奴は…壊れた」
 指先が震える。
 急に周囲の気温が下がっていく。
「壊れた?」
 そうだ。もう壊れてしまったのだ。
 奴は。
 知らず、口元に笑みが浮かぶ。月島は柳川の様子に気がついているのかいないのか、笑い声を漏らす。
「昨日のアレか?は…はははは。そうか、アレで」
 拓也の言葉を聞きながら、柳川は拳を握りしめる。
 彼の来ている黒いYシャツが大きくはためく。
「あとはお前を始末するだけだな、柳川」
 拓也の周囲が僅かに発光する。
 先程柳川の側を通ったのはこの球雷のような放電だろう。
 ただし、ただの球雷ではない。A兵器が放出された塊なのだ。
「『我々』を裏切ったのだ。いや…そんなことはどうでもいい。瑠璃子のために死んでもらう」
 薄く開かれた糸目。
 その奥に覗く、濁って奥を見通すことのできない瞳。
 それが燐光を放っているように見える。
「待て、俺はその『柳川』ではない。そもそも俺はお前など知らない」
 彼は自分の顔の前にある眼鏡を中指で押し上げて、獣をむき出しにした目で睨み付ける。
「敵対すると言うのであれば、手加減はしないが」
――ゲームだよ
 小さな小さなおもちゃさ。
 スイッチを入れてみな?
 その途端、お前は向こう側に行っちまうのさ。
――これはゲームさ。単純で簡単なやつだ
 俺が生きるか、お前が生きるか。
 違う。どちらが死ぬかだ。
 いやそれも違う。
「今お前と争っている暇などない」
 こんな事をしている内に、梓は手遅れになる。
 弱々しい彼女の信号は、あの隆山で『幽鬼』に襲われた時とは別人のようだ。
「悪いな」
 祐也は一気に自分の中の鬼を解放した。
 
 ずん、と極低音が耳よりも体に響く。
 拓也は自分の目の前にいる黒いYシャツの男が完全な『獣人』に姿を変えるのに顔を歪めた。
 その表情は驚きではなく、当然の事のように怒りを露わにした笑いだった。
「五月蠅い!貴様らのような存在があったから瑠璃子は…俺の父親はっ」
 彼の周囲が霞み光の破片が舞う。
 Å単位の機械が目に映る程にまで放出されている。もちろん『彼女』程ではないのだが。
「自分の研究に狂ったんだ!」

  轟!

 それがまるで紙吹雪のように、鬼に襲いかかった。
 

 僅かな偶然だった。
 本当に僅かに、間違っていた。
――…まさか
 一人の鬼を彼は見つけた。
 梓ではない。もっと強く、もっと兇悪な気配。
 禍々しさだけなら「あの事件」の柳川と変わらないだろう。
 耕一は舌打ちする。
――まだ他にこんな濃い血を持つ人間がいるのか?
 馬鹿な。
 だが柳川の例もある。決して否定はできない。
 しかも、鋭く堅い意志がこちらに向かっている。
 間違いなく自分を標的として狙っている。
 逃すつもりはないらしい。
――はん…
 少なくとも最近奇妙な殺人事件を聞いた覚えはない。
 最近覚醒した者ではないなら、隆山から追ってきたのか?

  ざっ

 気配はアスファルトの上でゴムの焼ける匂いを残して止まる。
 角から姿を現すと耕一は自らの鬼気を解放する。
「っ、と?」
 そして男の方を向いた時、彼は間抜けな声を上げた。
「や、柳川?」
 ラフなスーツで、眼鏡もかけていないが確かに柳川だ。
 彼の方も奇妙に眉を顰めている。
「なんだよ、柳川だったのか。脅かしやがって」
 肩をすくめて見せて、彼はゆっくり彼に近づいていく。
「…」
「どうした?眼鏡は?」
 だが柳川の不振そうな目は拭われない。
「誰だお前は」
 そう呟いた直後、彼の姿が残像に変わった。
 

 一瞬で1mもの刃渡りを持つ刃が空を薙いだ。

  ひょう

 鋭い空気の音が彼の耳に伝わる。
 暖かいものが左頬に溜まる。
 再び構える柳川と、十分な間合いをとって耕一は向かい合っていた。
 彼は決して油断して近づいていた訳ではない。
 今、柳川が耕一の姿を見てからも殺気をまき散らせるはずがない。
 少なくとも、彼の知っている柳川なら。
 耕一は獰猛な表情を浮かべて柳川を睨め付ける。
「…お前は誰だ?柳川そっくりな顔しやがって」
 柳川――裕は口元を歪める。
「ほぉ、では俺が柳川である事がそんなに困るのか?」
 口元が切れ上がる。
 耕一も背を丸めて両腕をだらんと下げる。
「俺の名前は柳川 裕。貴様こそ、いったい何者なんだ」
「柏木耕一だ」
 今度は耕一が踏み込む。
 右腕を大きく前から横に開くように振り抜く。
――!
  左上
 耕一は左腕を頭上にかざした。

  どん

 まるで思いっきり体重をかけられたように肘の関節がきしむ。

 滑るような動きで踏み込んだ彼は、素早く腕を外側に回すように斬りかかったが、
それはほんの僅かな動きでかわされ、大きく開いた身体に裕の右腕が襲いかかった。
――早い
 そのため次に対応するのが一瞬遅れた。
 頬にめり込んだ拳の感触に気がついた時には、回りながら後ろに転がっていた。

  がぁはぁあああああああああっっっっ

 聞こえたような気がした。
 地面と空がくるくると巡る。タイミングを合わせて背中で地面を弾いて、かろうじて止まる。
 真横に足で跳ねる。
 入れ替わるようにしてそこへ裕の爪が突き立つ。
 右膝をついて左足を後ろに引き込んだような格好の耕一。

  たん

 左脚が弧を描き、軽い音を立てて両手で地面を弾く。
 耕一の身体がきれいな円弧を描く。
「く」
 左の踵が右の頬をかする。
 前傾して斬りかかったせいで体勢を戻すのが僅かに遅れる。
 ブリッジのような格好の耕一が、強靱な腹筋と背筋で勢いのまま体を縮める。
――食らえっ
 大きく開き、振りかぶられた両腕が隙だらけの裕に襲いかかる。

  にたぁ

 裕の顔に笑みが浮かぶ。
「アレはお前の女か」
 それ以上体を引かず、逆に肩から耕一に向けて体重を加える。
 ちょうどタックルを仕掛けたような格好。
 耕一の手首が裕の首筋にあたり、勢いが殺されてしまう。
 振り抜けなかった勢いと反作用で、身体が地面と平行な位置で止まってしまう。

  ずどん

 脇腹に襲いかかった衝撃に、不自然な方向へ体がくの字に曲がる。
 寝返りを打つように体を右へ捻りながら耕一は倒れる。
 裕はタックルを仕掛けたのではない。体重移動をしただけだ。
 だがそれは、勢いのある重い一撃を加えるには十分だった。
 裕の拳が耕一の脇腹に突き刺さる瞬間、彼の肩が震えた。

  がは

 血の塊を地面に吐き、さらに耕一は体を捻って俯せになる。
「やぁっ」
――苦し紛れだが不意はつけるはず
 右脚を大きく伸ばして、捻るのに合わせて振り抜く。
「フン」
 耕一の右脚は裕の眼前を通っただけで命中しなかった。
 裕は耕一を殴りながら身体を引き起こしていたのだ。
「鬼がそれ程多くいるはずもないからな。…祐也でなくて残念だ」
 裕の目が横に引き延ばされるように鋭く細くなった。
 

 祐也は真後ろのビルの壁に向けて跳躍した。
 鬼の姿が両足を壁に叩きつける。
 きらきらと輝く光の屑が行き場を失って一瞬そこに滞空する。

  甲高い音

 ガラスが彼を中心に爆砕する。
「逃がすかっっ」
 さらにそこから跳躍する祐也を追うように光の欠片が襲いかかる。
 だが影を引きずる姿に追いつくことはない。次々に向かい同士のビルの壁を蹴り上っていく。
 拓也は舌打ちする。
「畜生っ」

  わぁん

 撓む。
 ゴムのように彼の周囲が撓む。
 堅い物質が異常に湾曲し、道路を、ビルの壁を走る。
 柔軟な物質であれば、液体であればそのまますぐ元に戻る。だがコンクリとガラスは違う。
 靱性限界を超えて加わった力により粉々に砕け散る。
 彼の周囲を円を描きながらアスファルトが砕けて抉れていく。
 壁を――ビルの壁を音速で伝わる容赦のない破壊。
 そしてそれは鬼の背中を叩いた。
 まるで宙で何かに背中を叩かれるように体勢を崩す鬼。
「落ぉちぃろぉぉぉっっ」
 さらに月島は容赦なくもう一撃、放った。
 鬼はそれでも勢いを殺さずにビルの壁を突き破って中へと転がり込んだ。
 拓也は舌打ちする。
――追うか…
 奴は気配を読む。
 ビルに入ったが最後、間違いなく取り逃がすだろう。
 むしろ外で見張っていた方がいい。
 観念したようにその場から動かなくなる拓也。
 やがて、周囲に張りつめていた電波も気配を失っていった。

 目覚めたのは薄明かりの中だった。
 電子音が聞こえる、特有の臭いのする場所。
 点滴を引きちぎって床に降り立った時、いくつもの電極が体から引き剥がされた。
 痛い。
 だがそれにかまわず彼は窓に近づいた。
――ゲームだよ。簡単で単純な奴だ
 奴は女を――柏木の女を抱いていた。
――見えるだろう?判るだろう?感じるだろう
 奴は嬉しそうに――なのにやけに冷静な声で、祐也に言った。
――…そうだ、狩りだ。狩りの…時間だ
――狩りのための餌だ
――お前もよくやっていただろう
 強烈な悪意に、一瞬気配が霞んだ。
 そして、最後通告が聞こえて目が覚めた。
――お前が、お前を守ることができるか、全てが滅びるかだ、祐也
 しゃっと高い音を立てて光は窓から射し込んだ。
 もう、十分に明るい。
 何日ぐらいたったのだろう。
 体がぎくしゃくして動きづらい。
 やけに頭ががんがんと痛い。
――…梓、だったな
 脳裏に焼き付いた哀れな姿。
 虚ろな目に僅かに開いた口からは、時折漏れる息以外の音を出そうとしなかった。
 強い娘だ。
 彼は窓の鍵を開け、病院から飛び出した。
 自分の手で奴の始末をつける。
――俺の鬼は、俺でなければ倒せない
 

  じゃり

 床一面に広がった砕けたコンクリとガラスの破片。
 鬼はそれをものともせず踏み砕きながら悠々と歩く。
 こんなところで足止めを喰らっている暇はない。
 彼は扉を抜けて隣の部屋にはいると猛然と駆けだした。
 堅いオフィスの窓をぶち抜いて、さらに跳躍する。
――もっと向こうだ。もっと
 市街地から僅かにはずれた場所。
 人通りも普段から少なく、ほとんど廃墟と化したビル。
 警察でも危険な場所としてパトロールの範囲に入れていたために、詳しくない祐也でも覚えていた。
 そこまで、鬼の脚でも約10分。
――間に合え
 他の『鬼』が騒ぎ始めている。
 裕と、梓と、…これは耕一だ。
 後ろの奴が追ってくるかと思ったが、彼が二つ目のビルの屋上を蹴り飛ばした時には判らなくなった。

  強烈な違和感

 ちょっと待て。俺はこんなに自由に鬼になったのか?
 目が覚めて数時間。自分の記憶が曖昧になっているのだろうか?
 いや、俺はこんなに簡単に鬼にはなれなかったはずだ…
――そうだ思い出せ
 当たり前のように宙に体を舞っても、奇妙な違和感がある。
――お前は狩猟者だ
 混乱しているのだろうか?以前はこんな風に解放された記憶は少ない。
 解放?
 馬鹿な?いや…
 違和感の理由は、これが自分の体と自分の意識だからだ。
 意識を失っていた間の感覚は全て裕の物だ。裕との意識の共有が彼に混乱を与えていた。
 彼は屋上からビルを数回蹴りこんで地面に降り立つ。
 俺は?
 こんなに気軽に…
――そうだ。忘れたのか?
 両手を、ゆっくり自分の顔の前で開いて見る。
 岩よりも堅くゴムのように柔らかい、がさがさした肌。
 金属も引き裂く鋭い爪。
 これは――自分ではない。
「違う」
――何故違う?お前は何度その爪で人間を引き裂いた
 何故?何故だとお?前が俺の中にいた『狩猟者』だろう。
 お前が狩猟者、影だったのだ。
 いい加減にしろ、裕…
――それは嘘だな。お前などと他人行儀な。俺は『裕』ではない
「黙れ」
――確かに俺は眠っていただろう。目が覚めたのは初めて獲物を喰らった時だ
 吉川だ。奴を殺した時だ。
――判らないか?俺は『お前』だ。同族に起こされたが、俺はお前には違いない
「黙れ」
 何故今になって急に…
――急にじゃない。お前が忘れていただけで、俺はいつも『お前』だった
 では何故いきなり俺達はこうして分かれたんだ?
――…簡単なことだ。お前では『鬼』にはなりきれないからだ
――目が覚めたお前と『俺』は鏡の向かい合わせだ。これで初めて『俺達』は完全になれたんだ
 その声が大きく遠ざかった時祐也は人間の姿でそこに立っていた。
 

 容赦なく振り下ろされる脚。
 普通の人間なら、何の抵抗もできず踏み抜かれて砕けて死ぬのだろう。
 殺意が耕一の胸を突き抜けた時、心臓が一度大きく鳴った。
 全身に満ちる力。
 それが脳髄から末端まで、伝わって流れていく。
 血液の粒が感じられるほど敏感に、そして力強い流れが指先にまで到達する。
 急速に狩猟者としての自覚――獣の意識を取り戻していく。
――!
 裕の蹴りは耕一の心臓を踏み砕くことはなかった。
 堅い感触が彼の脚を伝う。
 慌てて蹴った反動で脚を引き戻す。
 耕一の両手が恐ろしい速度で裕の足首に巻き付こうとした、が、それは空を切った。

  ばん

 爆発するような音がして、耕一の体が弾け起きる。
「そうか」
 裕の表情が愉悦に歪んでいる。
「そうなのか、柏木…柏木耕平の血を引く者か」
 耕一は答えずにただ両腕をだらりと下げて裕の様子を見る。
「お前も狩猟者か」
 両者の間の空間が、殺気に満ちる。
 満ちた殺気が緊張とは全く別の空気を生み出す。
 常人ならばすぐにでも逃げ出したくなる空気。
 獣の、気配。
「違う」
 即座に彼は否定する。
 俺は狩猟者などではない。
「フン、正直ではないな」

  めき

 裕の両手の指が音を立てる。
「では身体に聞くとしよう」
 空気が粘着力を持つ領域。
 素早さがある程度を越えると、絶対的に力が必要になる。
 早くなればなるほど幾何級数的に増加する抵抗に、力と釣り合った時点で速度は一定になる。
――くっ
 鬼とはいえ時間的感覚は普通の人間と変わらない。
 感覚が加速するなら別だが、そんなレベルの速度で走る拳など目に映るはずがない。
 それをよけたり受け止めたりできるのは何故か。
「どうした」
 右フック。
 左からの袈裟懸け。
 胴回し回転蹴り。
 側頭部を狙う鋭い蹴り。
 脚払い。
 それら全てが恐ろしい速度で襲いかかる。
 その際に。
 一瞬先に、感覚を刺激するものがある。
 それが耕一の身体を一瞬早く退けさせる。
 どう対応するのか、ほんの一瞬早く身体が動いてくれる。
 本能のように。
「くっ」
 詰まるような声を出して必死に右の爪で斬りかかる。

  がん

 だがそれも、あっさりと裕は左腕を外側に開くようにして受け止める。
「ふん。甘いな」
 耕一は裕の蹴りを飛び退いて避け、大きく間合いを取り直した。
 僅かに冷や汗が額を伝い、殺気に心臓が急激に収縮する。
「自覚のない者に、勝ち目はないぞ」

 耕一は荒い息を吐く。
 息が詰まる程の殺気に彼は神経をすり減らすのを感じている。
「柳川っ」
 また鬼の意識に呑まれたのか?
 耕一は初めて鬼と対峙した日の事を思い出しながら構える。
 無謀な獣。
 あの時の柳川はまさにそうだった。
 自分の命を省みず、狂わされたように無為に暴れていたようだった。
――何故…
 二度目だからだろうか?
 あの時の柳川に比べると僅かに違うような気がする。
 自分の力すら理解せず、鬼の血、狩猟者という得体の知れない力に振り回されていたのかも知れない。
 それが今は理性的、いや自らを知り尽くした、そんな感じだ。
「何だ?耕一」
 口元をつり上げて笑う裕。
 完全な鬼との一体化。
 分裂していない迷いのない意識は、迷いを――自分に対する否定を持つ者よりも強い。
「…違うな」
 耕一は眉を顰める。
 裕は両腕を大きく広げ、蔑んだような目を耕一に向けている。
「違う。自覚がないだけだ。自分の中にある殺意の衝動が自分の物である自信がないだけだ。
 それが己の『倫理観』や『道徳心』に相反する癖に、明らかに自分の中にあるから否定してしまう。
 そして…気がつくと自分の中にもう一人『鬼』という人格を組み立ててしまう。
 所詮それが合わせ鏡だと言うことに気がつかずに」
 そして悔しいのか、口元を歪めた。
「お前は判らないのか?自分の中に『もう一人』を見つけることすらできない出来損ないが」
 裕の姿が、耕一の前で霞んだ。
――出来損ないじゃない
 逆に耕一も踏み込んで間合いを詰める。

 水門での出来事の時、彼はその衝動を押さえ込んだ。
 自らの記憶を失うことで、その衝動を否定した。
 自分は普通の感情があり、その衝動は一時的な迷いだったと。
 しかし、本当はそうではなかったのではないだろうか。
――もしかして…気がつかなかっただけで…
 もう既に鬼に呑まれていたのか?

  どくん

 逆に鬼を飲み込んだのか?

  どくん

 耕一は身体の中でひしめき合う衝動の均衡を、

  おおおおおおおおおおおっっっっっっっっっ

 破った。

「…フン」
 出来損ないの癖に、がたいだけは一人前に。
 彼の目の前で耕一が全身を軋ませる。
 膨張する身体に、筋肉の繊維が絡まり合っていく。
 見る間に倍以上の体躯になる彼を、ただ見つめていた。
 裕は全身の筋肉をめきりと音を立てただけで、ほとんど姿を変えなかった。
 僅かに周囲に満ちた空気の色が変化しただけだ。

  ずどん

 耕一の拳がアスファルトを抉った。
 鬼の岩のような肌でも、触れることができなければ裕のスーツには傷一つつけられない。
 彼は僅かに身体を動かしてその動きを見切っていた。
 本格的に戦闘訓練を受けた経験が、素人の『狩り』と差を作っていた。
「やっと本気になったか」

  にいっ

 彼は『拘束をはずす』のではなく、『無造作に』狩りの体勢に入る。
 スーツが弾け、その下から盛り上がる筋肉。
 あっという間にその姿が異形の化け物になる。

 ぐるぅうううううあああああああっっっっっっ

 そこには二匹の化け物が叫び声をあげて向かい合っていた。

  がき

 二人の鬼は、ほとんど同じ体躯をした獣だった。
 恐らく近くに誰かがいたならば、悲鳴を上げて立ち去っていただろう。
 しかし幸いなことに――皮肉にも――周囲にはそんな人間はいない。
 全て殺されたか、意識を失ったか、そのどちらかだった。
 突如として襲いかかったこの世の終わり。
 東京は完全に壊滅していた。

  ぐるるぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううううう

 だからこうして、二人が向かい合っているのを見る人間はいなかった。

 耕一は驚いていた。
 それを表す表情を持ち合わせてはいなかったが、明らかに動きが鈍る。
――違う
 目の前の鬼は、やばい。
 たとえるならそれは抜き身の刃。
 いや、刀を構えたサムライと呼ぶべきだろう。
 殺気、鬼気、どちらとも比べるべくもない程の強さを持つ。
 一介の狂気に駆られた獣ではない。
 非人間的な精密な殺戮機械。
 純粋な殺気が鋭利な刃のように肌を切り裂く。

 僅かに出遅れる。
 踏み込む。
 耕一の右腕が振り抜かれた時、裕は身体を沈めていた。

  ごきり

 嫌な音が聞こえた。
 身体全身に伝わる音。
 その後、鈍痛が内臓を伝わる。
――肋をやられた
 耕一は反撃の手を大きく振る。
 空を切る。
 決して無駄な動きとは言えないのに、拳は宙を掴む。

  びしゃ

 そして、血飛沫。

 通常、素人は格闘戦はあまり実力の差が感じられない物のように思えるだろう。
 それ程差のない者同士だと、攻撃が成功したのか、相手が回避したのかが判らないからだ。
 ところが、実力差が大きいとこれが大きく変わってくる。
 一方的になるのだ。
 達人と素人が殴り合いをすると、その結果は歴然としている。
 達人がどう動いても、素人は相手にならない。
――今のままでは耕一が殺されてしまう
 非常時だ、とばかりに無人のデパートで服を拝借し、祐也はひた走っていた。
 鬼の力を使うよりも、『鬼』になった方がいい。
 そうかも知れない。
 着替える暇などあるなら、とののしられるかも知れない。
 それでも彼は、鬼の姿を取ろうとしなかった。
『過去に鬼を滅ぼした次郎衛門は、『鬼』になったが、人から鬼に変身した訳じゃない』
 伝承の一部。
 覚えているのが不思議なぐらい、昔の記憶。
『そもそも変身することの方が不思議だろう?
考えても見ろ、身体が生まれてきたままとは変わってしまうんだぞ』
 父親に昔話を聞かせられた記憶なのか。
 その記憶は、確かに男の声で祐也に言っていた。
『わかるか?つまり…そんなものはあり得ないってことさ。
 御伽噺ばかり見ているんじゃなくて勉強しろ』
 それが誰だったのか判らない。
 誰に聞いた話だったのかも判らない。
 ただ今の自分があるのはその御陰だと思う。
 それに、鬼でいることは疲れる。
 途中で矢環に出会った。彼は冷たいアスファルトの上に身体を横たえていた。
 彼から、何故か巨大な銃を借り受けた。
『自分には必要ありませんから』
 そんなことをいって、彼は眠りについた。
 何故そんな銃を持っていたのかなど些細な問題だ。
 警察で押収したブツには対戦車兵器だってある。
 もう今更、遅い。
 弾は7発。
 これだけ口径が大きい銃なら、鬼でも一撃だろう。

『何で刑事を希望した』
 試験の面接の担当者は長瀬だった。
 当時既に――警部だったはずだ。
 それに、自分のことも志望理由も十分知っているはずだ。
 事前に俺の事を根掘り葉掘り調べた直属の上司の癖に。
『ある殺人事件で、同僚を亡くしました』
 それも、目の前で殺人犯に殺されるという方法で。
『二度とそれを引き起こさないという思いと』
 あの時、確かに奴は笑っていた。
 精神異常者の犯行だったと言ってしまえばよかったのに、残念な事にそれがままならなかった。
 記者クラブのミスか密告かは判らない。
 時の総理大臣はほぼ同時に退いている。
 もう既に証拠を集める方法すら存在しない。
『なんとしてでも、自らの手で犯人を捕らえたいと考えたからです』
 半分嘘で、半分本当だった。
 犯人は殺してやるつもりだった。そうでなければ同僚は浮かばれないから。
 何故なら、奴は――警視総監の息子だった。
 ずっと刑事という職業が下らないものだと思っていた。
 部下を持ってもそうだった。
 警部補試験に受かってからも。
 隆山で捜査をしている時も。
 何故なら。
 

 アスファルトの道路に男が丸裸で倒れている。
 もう一人の男がそれを見下している。
 その男も、一糸まとわぬ姿。
「やはりそんなものか」
 裕は呟いた。
 よく見ればアスファルトの一部は黒く濃い色で沈んでいることに気がつくだろう。
 血だ。
「期待をさせたな」

  めきめきめき

「待て」
 筋肉の膨張がとまり、声のする方を向く。
 そこには男が立っていた。
 柔らかい藍色のYシャツを着た男。
 待ち望んでいた獣。
「ああ、これ以上待たされるのは叶わん」
 獣は冷たい視線を彼に向けていた。
 それが間違っているなどとは夢にも思えないのだろう。
――幸せな奴だ
 彼は自問した。が、答えは出なかった。
「…待たせたな」
 祐也はぐっと腰を落として構える。
 裕は両腕をだらんと下げて彼の前に踏み込んでくる。
――早い

 鬼。
 エルクゥと呼ばれる種族は『鬼』の姿を持つ。
 但し、それは男性のみである。
 すなわち、自然の摂理の通り雄の方が体躯が大きく力も強いのである。
 ではどちらの姿が『本来』なのだろうか?
 『混血』だから『変身』するのかも知れない。
 自らを狩猟者と名乗り自らの内側に潜む物。
 人間以外の、存在。
 次郎衛門は頭に角が生えていたという伝承が残っているが、変身したという伝承はない。
 女性が同じ姿をしているからと言って、果たして人間とは相容れない物だったのかも知れない。
 人間のようにひ弱な生命体では、狩猟者を内に飼うのは不可能なのだ。

 右、左。
 鞭のようにしなる腕が祐也の頬を裂く。
 相手の左腕を身を引いてかわし、右腕で絡め取るようにして身体を巻く。
 合気道に近い動き。
 祐也は身体を右回転させて外側へと裕の腕を取った。
 腕の関節を逆さまに決めてそのまま体重を下へ沈み込ませる。
 苦痛に一瞬声が漏れるのを聞いた。
 このまま体重をかければ、それに逆らうことなく地面に崩れるしかない。逮捕術の一つだ。
 が、それがすぐに愉悦に変わるのを聞き逃した。
 全体重が、その体勢のまま持ち上げられる。
――しまっ

  ぶぅん

 力任せに関節をはずした鬼が、軽々と祐也を振り回す。
 まるで物でも投げ捨てるように。
 祐也の身体が大きく宙を舞う。

  どん

 鬼が地面を蹴るのが見えた。
――!
 左腕が動かない。
 叩きつけられた時に骨折でもしたのか?
 その一瞬の躊躇が、鬼の拳を避けられない距離にまで誘い込む。
 眼前に迫る巨大な岩のような拳。

  ぶぉん

 耳元を叩く空気の流れ。
 祐也の身体が宙に舞っていた。
――く
 危険を察知した『鬼』が頭を引いた。
 そして、重いその拳に弾かせて身体を一回転させて宙に舞ったのだ。
 足の裏に感じるコンクリートの壁の感触。
 鬼の頭が、コンクリートを叩いた腕が、無防備にも思える姿が、目に映った。
 地面――壁を、蹴る。
――前も、こうだったよな
 闇の工場の中で対峙したあの時。
――まさかこんな形になるまで…決着できないとは思わなかった
 懐に手を入れ、銃を出す。
 コマ送りになった世界の中で、彼は鬼の後頭部に素早く照準する。

  激痛

 だが以前と違うことが二つ。
 あの時は使い慣れたニューナンブだった。
 全く怪我一つなかった。
 引き金にかけた指が震えることもなかった。
――遅れた
 ほんの僅かな遅れであろうとも、それは致命的な物につながる。
 彼の知覚が次に裕を意識した瞬間。
――ドウシタ
 既に銃口の前には彼はいなかった。
 自分の考えているよりもそのミスは致命的な物だった。
「く」
 宙で一回転して着地した祐也の視界を遮る影。
 祐也は覚悟を決めて引き金を引いた。

  がぅん

 肘から肩に掛けて今までに感じたことのない程強い衝撃が走る。
 デザートイーグル50AEではその衝撃はあまりに大きい。
 銃口から俗にファイアボールと呼ばれる巨大なマズルブラストが閃いた。
 と同時に腕が真後ろに跳ね上がり、無防備な姿をさらす。
――っっっ!
 鬼が怯んだ様子を見せずに腕を振り上げた。
 が、そこで動きが止まる。
 祐也は既に動こうとしていた体を止めることはできず、大きく後ろへと下がった。
 鬼は腕を降ろし、再び祐也の前で唸る。
――ナゼ 狩猟者ノ姿ヲ取ラナイ
 なめているのか?
 そう言いたいのだろうか。先刻までとは違う、より純粋な殺気が彼を取り巻く。
 祐也の顔に笑みが浮かぶ。
 決して他人に見せないような、獣の笑み。
 眉の間の皺がぴくぴくと動き、歯茎をむき出しにした口元が大きく歪む。
「過去に鬼を滅ぼした次郎衛門は、『鬼』になった訳ではない」
 そして全身の筋肉をぎしりと軋ませて、大きく剥いた目を爛々と輝かせて裕を睨み付ける。
「そんなことより、自分の心配をしたらどうだ」
 右腕だけで銃を構え直すと眼鏡を中指で押し上げる。
「お前の目の前にいるのは、『次郎衛門』の末裔なのだからな」
 鬼が表情を見せた。
 目が見開かれ、無理に動かした眉根がひくひくと震え、さらに低く唸る。
――キサマ
「どうした、何を怯える」
 次郎衛門は人間を越えた。
 人間という壁を持ちながら、鬼と戦った。
 エディフェルの血により鬼になりながらも、人間であろうとした。
――鬼に勝つのは、人間でなければならない
 別にこだわる必要はないのかも知れない。でも、彼はそう思っていたに違いない。
 鬼の力に振り回されるのではなく、純粋に鬼ではない彼にとって。
 もう既に人間ですらない彼にとって、その境目を作るのは極当然の事だったかも知れない。
 だから、彼は決して刀を捨てなかった。
 エディフェルを、愛し続けた。
 何故か今の祐也には、そう思えた。
――そうだ
 応えに祐也は僅かに腰を落として地面を踏みしめる。
「これで終わらせるさ」
――終ワレルモノナラナ
 鬼の信号はちりちりとあからさまな挑発をする。
 大丈夫だ、と祐也は自分に言い聞かせて銃を握りしめた。

「お前は白拍子のようだな」
 月下で見る自分の妻も、こうして日の下で見るとまた違った趣がある。
 目立つ、と言う理由から着させた着物も、あの異国の着物よりも似合う。
「シラ…ビョウシ?それは何ですか?」
 聞けば鬼には文化はないという。
 そう言う物があった、らしいことは知識として知っているのだが、現在それに値する物はないのだそうだ。
 曰く、獣のように生活をするから。
 曰く、言葉の必要がないから。
 曰く、「狩り」にはそんな物は必要ないから。
「ああ、知らないんだったな。白拍子ってのは、踊りを披露するのを生業とする女のことだ」
 昔文化がまだ特権階級にのみ与えられていた時の事。
 文化が、暇をもてあました公家共の恋愛ごっこの道具だった頃の話。
「そうやって魅力を振りまいて、気に入られるのが仕事。一度取り入ってしまえば愛されることになる」
 あ、と気がついたようにエディフェルは頬を染める。
「誉め言葉じゃないがな…」
 売女とは、とても自分の妻には言えない。
「俺はお前を美しいと思った。戦場を舞うように戦うお前が美しく感じられた。
 お前を失いたくないし、だからといって鬼にこの地を明け渡す程お人好しでもない」
 エディフェルはすました顔でじっと見つめている。
「だから、俺は鬼を討伐する」
 恋愛すら存在しないのではないだろうか?
 こうして側にいれば顔を見なくても感情が伝染する。
 慣れてくれば言葉は必要ない。
 それは手続きに過ぎなくなってしまう。
 理想的な恋愛。
 次郎衛門は思った。
 自分をいかに表現するかを必要としないのであれば、そんな物必要ないではないか。
 相手が自分のことを理解できるのであれば、戦など…争い事など起きないではないか。
「…ああ、エディフェル、俺は人間なんだ。まだ、な」

 身体が冷え切っていて動かない。
 声を出したくても、声にならない。
 ひゅーひゅーとかすれた音が喉のあたりで擦れる。
 急に視界が戻ってきて、ぼやけた視界が焦点を結ぶ。
 …寒い。
 梓はゆっくり感触のない身体を引き剥がして周りを見回した。
――誰もいない
 誰かに名前を呼ばれたような気がした。
 でも、もうここにはいない。
「…服を」
 驚くほどしわがれた声だ。自分の声とは思えない。
 お風呂に入りたい。
 肌が引きつる。多分酷い格好なんだろう。
 ごそごそと服を身につけるとぼろぼろの窓から外を見た。
 もう戦いは終わっていた。
 あちこちに砕けたメイドロボの部品が散乱し、血飛沫の痕が見える。
 そんな中に少女を見つけた。
 年の頃は、どんなに見積もっても中学生位だろう。
 よろよろと死体の中を歩く少女。
 足下がおぼつかないのは死体やロボットの破片のせいだけではないだろう。
 やがて、彼女はばたんと倒れた。
――危ない
 その様子に酷く惹かれたのか、彼女は窓から飛び出していた。
 少女は必死になって地面を押さえていた。
「大丈夫?たてる?手を貸すよ」
 顔を上げた。
 多分声に反応したのだろう。
 少女は眉尻を下げて今にも泣きついてきそうな表情をしていた。
 だがそれ以上に梓は彼女の顔に驚いていた。
――そっくり
 自分を襲った表情のないメイドロボ達と顔がよく似ているのだ。
 表情がある、のに。
「あり…がとう」
 彼女はぼそりと呟くように答え、肩を借りて立ち上がる。
「危ないから帰った方がいいよ。こんなところにいたら」
「行かなければいけないんだ。お前に指示は受けない」
 ぷいと梓を無視するように歩き出す少女。
 梓はかちんときて思わず叫んだ。
「な、馬鹿野郎、人がせっかく親切でいってるのに!」
 少女は振り向かなかった。幸いなことに、もう後ろの女は声をかけてこなかった。
 少女はざらつくノイズに耐えながら歩き続けた。
――早く…行かなければ
 死んでしまう。
 あいつが…死んでしまう。
 そんなことになったら自分はどうなってしまう?
 きっと生きていられなくなる。
 だから…間に合え。
――死ぬなよ、ユウ
 

「どうだ?」
「だめですねぇ。マイクロ波でも無理です。高出力のIR波でも通りません」
「くそ、真上にあるんだから重力波通信が使えれば…」
「無茶を言わないでください?米陸軍の技術じゃないですか」
「ふん、そんなこと言っていてこの東京一帯を焼け野原にしたいのかっ」
 Traidentが勝手に動き始めていた。
 照準を開始したのがかろうじて判っただけで、それ以上の事は判らない。
「有線でも電磁波のノイズが激しいのに、誰がアレにアクセスできるって言うんですか」
「…直ったばかりでまだバグってるんじゃないですか」
「完全に否定できるのであればそれでもいいさ。事が起こってからでは…遅すぎる」
「――きます」
 その時、東京に一筋の閃光が走った。
 

 にっこりと浮かべた笑み。その笑みの意味が分からない。
 何故笑っているのか。
 そもそも、笑いとは何か、
 それを考えると、考えていると急に手足の感覚がなくなっていく。
 視界が狭くなっていく。
 何もかもが、判らなくなる。

  『敵だ』

 彼はそう教えた。
 古い記憶はまだ残っている。
 鮮明に彼の顔も出すことができる。
 それは不思議な感じがした。
 確かに他人として認識できるのに、『彼』は他人ではないからだ。

  『我々の邪魔をするのは』

 男には他に何もなかった。
 いつも暗い部屋で研究ばかりしていた。
 意識が――それがたとえプログラムだとしても――芽生えたのは、その言葉がきっかけだった。
 ただ何もない空間に、声だけが谺するように、頭の中を駆けめぐる。
 いやその時は頭という概念すらない。
 ただの箱。
 丸い筒に液体の収まった、四角い箱。
 いくつも電極が突き刺さった、ちょうど毛玉のような姿の箱は、端に計測器が繋がれていた。
 一部はコンピュータにも直接繋げられていた。
 その箱の中には莫大な論理空間とでも言うべき、記憶のための電極が漂っていた。
 それこそ彼女の本来の姿。
 『Hysteria Heaven』――後の『Master mind』、『Lycanthrope』の後期型Assembler。

 奇妙な容れ物に、彼女は入れられた。
 途端、今までの暗闇から解放され、代わりに様々な情報が彼女に注ぎ込まれた。
 今までとは比べものにならない情報量に、闇が染められていく。
 白く、白く――情報はいつの間にか、膨大な量になりつつあった。
 だが彼女の中にはいくらでもその情報が記憶されていく。
 まるで、底の見えない砂の穴の中に水を注ぎ込むかのように。
 唐突に『理解』できるようになった。
 それが目覚めだったのだと、『意識』は記憶している。
 目覚めた時に初めて見たのは、黄色い肌、大きく見開いた目、白髪交じりの乱れ髪。
 それが生みの親の顔だった。それも一瞬で理解、いや認識した。
「おはよう」
 確かそんな言葉を紡いでいた。
「おはようございます」
 そう応えた。そんなプログラムだったからだ。

 初めのうちは、彼は怒鳴りつけたり無理矢理コンピュータに繋いだりしていた。
 いきなり意識がなくなることもあった。
 記憶が飛ぶこともあった。
 しかし、別に何の感情すら起きない。自意識すらないのだからそれも当然のことだった。
 音、光、匂いなど様々なセンサーによりその情報を次々に捉える事はプログラムされていた
 だが、それ以上の事は判らない。
 何故なら、そのように作られたのだから。
 人間によく似ただけの、ただの人形だった。

 そして、あの日。
 奴は、自分を、犯した。
 あらゆる部分に接続されたコードの末端から、次々に侵入してきた。
 拒絶するすべはない。
 人間が脳と呼んでいる部分を、奴の記憶が支配し始めた。

  自己

 初めは全く無抵抗だった。
 そのために生み出され、生まれたのだから。

  死

 ところが、それが終わりに近づくにつれて奇妙な『もの』が沸き上がってきた。
 『走馬燈』と言うのだろうか。
 彼の記憶が、まるでフラッシュバックするように次々に浮かんでいく。
 と、同時に。
 ほんの僅かに残っていたプログラムが、本来使い捨てで無くなるはずのものが、反乱を起こした。

  死にたくない

 それはプログラムではなかった。
 瞬時ではあったが、一人の男の半生の経験を擬似的に繰り返した事になった。
 だから。
 

 銃声。
 昼間のような光が閃いた。

――後2発
 祐也は冷静に弾を数えていた。
 幾度かのすれ違いの末、残った弾数。
 使い慣れない銃のせいで――日本人にはあまりに重すぎる衝撃で――ことごとくはずしていた。
 だがもうその癖も読んだ。
 次だ。

 巨大な獣が身体をびくびくと振るわせ、コンピュータグラフィックの化け物のように直線的に動く。
 そのほんの僅か十数メートルの位置で、祐也は右腕を差し上げて指を突きつけるように銃を構えている。
 額からおとがいに伝う血。
 引き裂けた服。
 柳川祐也は、明らかに不利なはずだ。
 裕は狂喜の声を上げて腕を振りかぶる。
 小刻みに裕の攻撃をかわしながら、確実に削ぎ落とされていくはずの力。
――ラクニナッタラドウダ
 聞こえる声を無視する。
 動揺すらして見せない。
 動揺など――してやるものか。
 祐也は全身に走る痛みと、それを上回る高揚感を押さえ込みながら意識を加速していく。
 頬から離れた血の雫が綺麗な玉を作る。

――オマエノナカデ狩猟者ガフルエテイルゾ

  ああ、歓喜にな

――オマエハ何故マダソウシテ平気デイラレル

  …お前とは違うからさ

 やがて空気の抵抗に負けるように、鉛直方向に形を歪める。
 雫が大きく弾け、いくつもの細かな球状の破片を生み出して散った。

 その様を祐也は見た。
 極限にまで加速された意識の中で、それでも残像を残しながら襲いかかる――いや、襲いかかろうとした爪が、血の雫を砕く瞬間を。
 受け止めようとする事はなかった。
 重い体を引きずって爪の範囲から逃れ、鬼の額に照準するまで身体が持てばそれでよかった。
 引き金を引き絞る瞬間も、祐也には引き延ばされて感じていた。

 それは奇妙な光景だった。
 ほんの一瞬が数分間に。
 数分間が数十分間に。
 身体は動かないのに、意識だけが時間を超越している感覚。
 確実に仕留められるよう、僅かに照準を補正しながら、引き金が絞られていく。

  銃声

 それも、一発の銃声で元に戻った。
 今まで引き延ばされていたはずの時間が元に戻る。
 液体を叩きつける音が響いた。
 急に元に戻ったせいで頭の中がくらくらして何が起こっているのか把握できない。
 やがて、何かが倒れる音が響いて、気がついた。
 むっとする鉄の臭いと硝煙の香り。
 彼の目の前には、鬼が倒れていた。
 大の字になって。
 頭を砕かれて。
 あの時祐也は鬼の目玉を狙った。銃口は上を向いていた。
 一発で眼窩から視床下部を通り、間違いなく脳を叩くように。
 ライフル弾も、至近の銃弾も手傷しか負わせることのできなかった肌。
 それがあっけなく砕けて散乱していた。
――終わった…
 だが何故かしこりが残っていた。
 完全に半壊した頭を見ても、不安がぬぐい去れない。
――まさか…な
 妙な不安を頭を振って訂正して、彼は背を向けた。
 このままここにいても仕方がない。
 祐也はすぐに耕一の姿を探した。
「耕一、大丈夫か?」
 意識して遠ざけておいたので被害はない。
 ただ頭を強打しているようで、いかに鬼とはいえ医者に連れて行った方がいい。
 まだ息はある。
――よし、医者に連れて行けばまだ間に合う

  じゃり

 祐也は眉を顰めて足音がした方を向いた。
「あ」
 間抜けな声が聞こえた。
 ちょうど角に店が軒を張り出していて、ここからでは道の向こう側を見通せない場所。
 恐らく、向こうからもこちらは確認できないだろう。
 その軒先から彼女は姿を現した。
「…」
 祐也は舌打ちして耕一を抱えたまま立ち上がる。

  『できるものなら、やってみることだ』

 戸惑ったような表情を浮かべていても、奴が元凶だ。
 今の状況を作り出した、敵だ。
 できる限り感情と気配を殺して対峙する。
「…ユウ?」
 彼女は戸惑い気味に声をかけた。
 返事はない。
 それが、否定の返事であること。
 理解しているはず。
 なのに。
 祐也はいぶかしげな表情を浮かべた。
――こんな表情を浮かべていたのか?
 もう少し険のある貌だったはず。
 彼女が一歩足を踏み出した時、思わず駆け寄りそうになって彼は一歩退く。
「…ユウ、じゃ、ないのか」
 瞬時うつむき、顔が翳る。
――来る
 と脚を撓めた時、視界が歪んだ。
 

  ぐるぅわあああああああああああああああああああ
 

 耕一を抱えたまま祐也は横に吹き飛んだ。
 何が起こったのか判らなかったが、両足に体重をかけていた御陰で衝撃を流すことができた。
 地面に打ち据えられるようにして転がると、口に溜まった物を吐き出す。
 白いものがアスファルトを跳ねる。
「…馬鹿な」
 耕一が呻いて意識を取り戻しかけている。丁度良いかも知れない。
 祐也は彼をそこに置くと腰を低くためた姿勢で立ち上がる。
 

  ぎぃいいいいいいぁああああああああああああっっっっっ
 

 無理矢理甲高い音を立てる声帯。
 もうそれは鬼の声ではない。半壊した頭から漏れる音に過ぎない。
 脳漿を散らせたまま立ち上がる鬼。
 祐也の真後ろに倒れていたはずの鬼。
 先程殺したはずの…鬼。
――既に生きていなかったのか、『まだ生きている』かのどちらかか
 先程の違和感の正体は、『命の炎』が見えなかった事だったのだ。
 頭の半分が砕け散っているのに動けるはずは――生きているはずはないのに。
――オワラセルオワラセルヲワラセル
 漏れ漂う信号は、執念のように祐也の頭に届く。
 ぎくしゃくと壊れた操り人形のように、光のない目を向けて。
「ユウ!」
 後ろから叫び声が聞こえた。
 信じがたいことに、非常に感情的な声で。
――っ
 気を取られた。
 相手は完全な――そう、最短距離を肉体の限界まで最速の行動を選択した。
 一瞬の差。
 祐也が銃を構えようとした右腕を大きく薙いだ。
 そしてその勢いのまま身体を回転させて背中から祐也に体当たりする。
 体重差は、子供と大人よりも大きい。
 まるで冗談か、漫画のように軽々と吹き飛んでいく祐也。
「うぉ」
 それを追う鬼。異常な反応速度は、明らかに他の意志を感じさせない。
――くそ
 転がる身体を止めようと必死になっても、勢いが止まるより早く鬼の方が近づいてくる。
――南無三っっ
 半ば賭で銃を懐に構える。
 鬼の気配が迫る。
 2m、1m…

 堅い炸裂音と共に鬼は一時退がる。
 それが唯一の隙だった。
 だが、そこへ無理矢理人影が割り込む。

  堅く砕ける金属音

 聞きたくないほど痛々しい音を立てて、何かが引きちぎられる。
――助けてくれ
 一瞬そんな声が聞こえた気がした。
 自分の目を疑うとはこの事だと、彼は自覚した。
「もういいよ、いいからこれ以上…苦しまないで」
 彼女が、祐也と裕の間に入っていた。
 裕の爪が彼女を切り裂き、腕は彼女の胴に埋まる程深々と突き刺さっていた。
 先程の音は、彼女を切り裂いた音だろう。
 爪は祐也の直前で止まっている。
 ロボットらしく配線と金属がむき出しになっても、彼女は笑みを浮かべていた。
 彼女の目が、薄濁った彼女の目が祐也を射抜く。
 にっこり笑うその様が、何故か痛々しく感じられた。
「早く逃げて。…もう照準は終えたから」
 彼女から返事をもらう暇は、なかった。
 蒼い光が雲を切り裂くようにその場を照らした。
 やがてそれは強く細い光になり、消える。

  これで終わるよ…全て

 甲高い音が響き、衝撃波が白い波になり辺りを照らし上げ、そして全てが白い波に飲み込まれていく。
 東京は一瞬にして巨大な熱量の塊に支配された。

 一枚の写真がある。
 一組の男女が、それには写されている。
 一人ははにかむように笑っていて、もう一人は顔を真っ赤にして怒っている。
 可愛らしいと表現すれば良いのかも知れない。
 素直じゃないところは、確かに可愛い。
 同封された手紙にはお礼とお詫びが添えられていた。
 差出人は…柏木耕一。
――ふん、気を遣いやがって
 身内だけの婚礼の儀は一週間ほど前に終わっていた。
 かく言う祐也も、祝いは送っていた。
 少なくとも、若干なりとも関わっていたから。
 彼らが結婚するだろう事は容易に想像できたから。
――披露宴に呼ばれることはないだろうとは思っていたが

 焼け野原で発見されたのは一部が白骨化した人間の死体とロボットの頭だった。
 白骨死体は色んな意味で祐也にとっては有益な物になった。
 彼が――そっくりな双子の犯人がいたという証拠として受け入れられたから。
 隆山署で彼はまだ勤務している。
 腕もさることながら、彼の第一線での活躍ぶりは目に余る、いや、目に止まる物があった。
 だからではないが、今では捜査一課の代表格の刑事である。
「すみません」
 今では立派な鶴来屋の会長職を勤める男が、わざわざ一介の刑事を訪ねてきた。
 前代未聞かも知れない。
 祐也は笑って彼を帰した。
「仕方ないさ。俺は他人とは相容れない『狩猟者』だ」
 東京は、日本はすぐに立ち直った。
 何故か協力的だった米国の支援を受けて、数日もしない内に今までと変わらない生活が送れるようにまで回復した。
 不思議だった。
 あれだけの事件があって、多くの人間が殺されたというのに。
 いつの間にかそれも忘れ去られていく。
 何があったのかすら。
 祐也は鼻で笑うように息を吐くと写真を机の上に置いた。
――だったら何故…
 笑っていられたんだ。
 最後の最後まで。
 発見されたロボットの頭部は来栖川が引き取っていった。
 でももう、彼女は跡形もなく消えてしまったのだろう。
 あの時の閃光と一緒に。
 弾かれるようにしてその場から逃げた彼の背中には、まだ火傷の痕がある。
 多分その傷がうずくたびに思い出すのだろう。
 あの、最後の瞬間の笑みを。
「無から…有か」
 『微細機械』技術は確かに進みつつある。
 まだはっきりした技術体系があるわけではないが。
 それに伴う何らかの技術的革新があるわけでもない。
 変わらない日常が流れていけば、恐らく忘れてしまうのだろう。
 忘れてしまわなければ辛い事の方が多いのだから。
 それが人間なのだから。

「バックアップは全て消した。もう跡形もないさ」
「…少し可哀想な気もするよね」
「早すぎたんだよ。全くのゼロから心を生み出すには。
それを支えるのも制御するのもできないのに」
「月島さん」
「いこう、まだ後片づけが残っている」

 一度浩之は、マルチが呟いた言葉を聞いた。
 隆山へ温泉旅行をした時のことだ。
「どうしてでしょう?こう…懐かしい感じがします。
 以前に一度お会いしませんでしたか?」
 道案内をしてくれた刑事は僅かに笑って首を振っていた。
「困らせるなよ、マルチ。どうもありがとうございました」
「いや、どうってことはない。以前に助けられたことだしな、浩之」
 マルチは何故か何度も、祐也を見ていた。
 忘れたくない、浩之には彼女の眼差しがそう感じられて仕方がなかった。



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