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Somewhere far beyond


前回までのあらすじ
 月島さんいなくなっていた。
 彼を連れ去った理由とは何か。瑠璃子さんに彼の救出を頼まれた祐介は、その日の夜に、謎の夢により二階から落ちかける(^_^;)。
 そしてとうとう、感じたことのない巨大な電波を発見した。

 また、鋭くて鈍い嫌な電波を感じていた。
 瑠璃子さんの電波は月に手をかざしたときのように暖かくて気持ちがいい。
 月島さんの電波は乾いていてざらざらで痛い感じがする。
 だが無機質で色のない電波は初めてだ。ナイフのように鋭く、滑らかであるにもかかわらず触れるものを全て切り裂くような硬い電波。
――なんて電波だ
 自分の電波を見たことはないが、祐介はこれほど巨大な電波の流れを見たのは初めてだった。
 それが、どんどん集中していく。恐らく、いや間違いなくこのままでは危険な事になる。
 彼は電波が集中していく先を見つめて、何かひっかかかった。それがなんなのか分からなかったが、いわば違和感に近いものを感じていた。

 モニターの灯りだけが灯る闇。
 薄暗がりと言うよりは、真の闇に近い。モニターがちりちりと照らす場所だけがくっきりと浮かび上がる、そんな感じだ。
 その中に、一人の青年がいた。ひょろっとしていて、年格好はおおよそ20代。だが彼は――今や彼は動く事はなかった。
 時折かちかちというキーボードを叩く音が聞こえ、ATX電源のファンの音が鳴り響く。
 少し離れた場所で、やはりモニターの灯りに照らし上げられる男がいた。
――もういないのか?他には…
 彼は明滅するカーソルを見つめて今か今かと時が過ぎるのを待っていた。
 果たして。
_________
....HIT!

 奇妙な記号列が次々に表示される。
 男は嬉しそうな顔をして、いくらかキーボードから入力すると満足そうに笑みを浮かべた。

「こっち」
 彼が角を曲がると、急に電波が弱々しくなっていく。
――しまった…くそ
 慌てて発生源をつきとめようと精神を集中する。だが、完全につきとめるより消えてなくなる方が早かった。
 ここは街の繁華街の中心部である。
 彼はあまりこういうところに出入りした経験がない。
――どうしよう…
 ゆっくり側を回ってみることにした。とはいえ、かなり曖昧な物なので、この周囲の状況を確認する方が大きな理由である。
 東京とは違い流石にもう人通りは少ない。いくらか酔っぱらいがうろついている程度だ。今更ながらひんやりした空気に少し身体を震わせた。
 10分もした頃だろうか。
  ちりちり…
 彼は急に差し込むような電波を感じた。
「うわぁっ」
 叫んで、その声が自分の物だと気がつくまでにしばらくかかった。が、少しそこから動いた途端、電波は途切れた。
――…?
 と、同時に人気を感じて彼はそちらに振り向いた。
  こつ こつ こつ
 間延びした靴音が近づいてくる。残念なことに姿が路地の中にあってよく分からない。
 思わず身構えて、電波を集中させようとした。
 だが。
「…!」
 声にならなかった。
 そこには、瑠璃子さんがいた。うつろな眼差しを浮かべたまま、ゆっくり歩いている。が、彼の方を見ようとはしない。思わず駆け寄ろうとして、あの差し込む電波を後ろから受ける。
――後ろから?
 振り向いたが、その時電波が再び途切れる。
  す
 と同時に、瑠璃子さんが彼のすぐ側を通り抜けた。
「待て、待って瑠璃子さん」
 声をかけて彼女の肩に手を乗せるが、全く反応がなく、するりと彼の手の中を抜けてふら、ふらと歩いていく。
――まさか?
 しかし、彼は今の彼女の状態と強く感じた電波を結びつけるのは難しいことではない。
 そして、もう一つの結論に達するのも、時間の問題だった。
――この先に、敵がいるのか
 祐介は、普段よりも厳しい真面目な顔をした。

 男は満足げに笑った。二人目が来る。
 先程は失敗したが、今度は成功だ。しかし何故先刻失敗したんだ。
 彼はキーボードを叩いて、失敗したプロセスのログを探した。そして、一つウィンドウを開いてみた。
「…何?」
 思わず声を出してしまった。
 先刻のエラー分のログにはあり得ない事が書かれていたのだ。慌ててキーを続けざまに叩き、顔をあげた。
 だが、彼の思っているような自体にはなっていなかった。モニターに囲まれている青年は全く反応していない。
 確認するためには一度今のプロセスを切らなければならない。そんなことをすれば…
 いや。
 彼は思いつきであるプログラムを走らせることにした。

 祐介は瑠璃子の後ろについて歩いていた。別に尾行をする必要性がないため、完全な無防備状態で、だが。多分他の人間が見れば、瑠璃子のボディガードかさもなければエスコートにも見えなくはない。――ひ弱なことさえ除けば。
 気がつくと繁華街から離れ、住宅街にさしかかっていた。どうやら、繁華街を挟んで反対側まで出てきていたらしい。
――どこまでいくんだろう
 ふと不安になった。時計を見るともう2時になる。そう言えば丑三つ時ってのはこのぐらいの時間だな、等と考えて急に怖くなったりした。
「――!」
 瑠璃子さんがいない。
 少し目を離した隙に。
 彼はすぐに頭を巡らせて、周囲を見渡す。すると、見慣れた蒼い髪がある家に入って行くところだった。
 慌てて追いかけるが門扉は完全に閉じていて彼が手をかけたぐらいではびくともしない。
――どうやって入ったんだ
 と、思っている間もなく、瑠璃子が足を止めた。
  ぎぎぎぎいいいいい
 初めは軋む音か、と思ったが違う。これは明らかに機械音だ。自動ドアになっているらしい。
 感心している場合ではない。
 もしそうだとすれば、今を逃せばもう二度と入れなくなる。
 ここで取り逃がすのか?
――そうだ!
 あまりやりたくない方法だが。
 今ここで瑠璃子さんを放っておく話が良いわけではない。

 思い切り、自分の電波を放出した。

  とまれ るりこさん

 扉は大きく開け放たれた。
 だが門扉は完全に閉まっている。
 瑠璃子は相変わらずそのままだ。

  おねがいだとまってくれ

 ぴくり、と瑠璃子の身体が震えた。ゆっくり彼女の足が上がる。

「とおまあれええええええっっっっっ」

  ごおおおおおおおおおおっっ

 それまで抑制していた巨大な電波が一気に放出された。初めは瑠璃子だと思って本気になれなかった祐介が、止められないのを感じた瞬間。
 耳元で大きな音が聞こえるほど、目の前で光が走るほど、頭の隅がちりちりするほど、恐ろしい量の電波が流れた。
 
        …そこか

  かちん
 そのとき、気をつけていなければ聞こえないほど小さな音がした。と、門扉が開いた。
 瑠璃子さんは相変わらず足を止めようとしない。ゆっくり、ゆっくり足を進める。そしてそれに合わせて扉が閉まろうとする。
 彼は迷わず走った。瑠璃子が扉に消える前に、滑り込むように。
  ぱたん
 そして、彼の背中で、扉の閉まる音がした。
 彼は気がつかなかったが、彼らの姿は無数のカメラにより監視されていた。

 彼が走らせたプログラムは、コンピュータの速度を落とすものだったが、それでも彼が予想した結果を弾き出した。
 だが、スキャナには異状は見られなかった。
 何が…
 ふと、急にプログラムの速度が落ちた様な気がした。プロセスには一切変化はない。
 何が起こった?
 割り込みを慌てて確認するが、既に遅く、メモリは解放されていた。
 だがその瞬間に彼は理解した。

――今、この現段階、このマシンはハッキングされている

 しかし誰に?
 アクセスログすら残さずに綺麗にこのコンピュータにアクセスするなど…第一ポートにはフィルタをかけているんだぞ!

 瑠璃子はゆっくり廊下を歩いていた。外観こそ普通の家屋だったが、入り口の自動ドア、内装のコンクリを見る限りでは人の住む空間ではない。これではまるで…
――まるで実験室みたいだ
 人の気配もなく、時折かちかちと何かが動く音だけが聞こえる。
 目の前にいる瑠璃子さんが見えなかったらきっと怖くなっただろう。
 祐介はゆっくり周囲を見回してみた。壁紙はおろかタイルや装飾用の板すら貼られていないコンクリの壁に、扉がまるで仮止めのように取り付けられている。不自然でシュールな光景だった。
 ゆっくりとしかし確実に瑠璃子は歩みを進める。そして、とある扉を開けた。今まで見た金属製の扉とは違う、逆にそのために不自然な木製の扉を。
 中は薄暗かった。
 かなりの広さのある空間に、何かが埋め込まれている。部屋というよりはどこかの倉庫のような雰囲気がある。だが薄暗くて良く分からない。
「お兄ちゃん」
 瑠璃子が声を上げた。
 いや、それが自分の意志であったのかどうかは定かではない。
「誰だ」
 同時に声が上がった。祐介が顔を向けると、モニターに照らされた男がそこにいた。コンピュータに囲まれて、モニターの灯りに照らされた男が睨み付けるように立っていた。
 だが、彼からは電波は感じられない。
「電波を使って瑠璃子さんを呼んだのはお前か」
 逆に祐介は叫んだ。
 男は表情を変えず、逆に怪訝そうに顔をしかめた。
「電波?何の話だ。瑠璃子…?ああ、そうか」
 彼は口元を大きく歪めた。
「兄妹だったのか、通りで」
 ともすれば演技かと思えるほど歪んだ表情。だが悦に入った笑い方は、既に精神に異状をきたしている事を示していた。
「だがお前は何だ?お前は彼らとどういう関係なんだ」
「…お前はどうやって瑠璃子さんを、月島さんを操っている」
  にたあ
 気のせいか、笑いがそれまで物とは違う気がした。
「知りたい?知りたい?知りたいか?本当に?知りたいのか?くくく、良いだろう」
 彼は演技派のようだ。
 いや、演技派だったようだ。今は、それが演技なのかどうかすら、自分でも分からないのだろう。大きく両手を開き、天井を仰いだ。
「いいだろう教えてやる。貴様の様な凡人にわかりやすく教えてやろう」
 分かった。
 こいつは『マッドサイエンティスト』だ。
 自分で何か大きな発見をして、それを言いふらしたくて仕方がないタイプの人間なのだ。
 やつれた顔からでははっきり年は分からないが、実際は祐介と同年代位の男なのだろう、彼はまっすぐ祐介を見て話し始めた。
「世界で唯一、初めて非接触型ネットワークを完成させたのだ。人間の脳に直接プログラムを送ることができる」
 彼は一息ついて遠い目をする。
「恐らくこの世の誰もが知りえないだろうが、人間という物はネットワークを形成している。シンクロシニティという言葉を聞いたことがあるか?『噂をすれば影』と言う言葉は?101匹目の猿は?双子の兄弟のテレパスは?…今までコンピュータは物理的に接触のないスタンドアロンには外部から接続はできなかった。俺はそれすら可能にした。…偶然、人間にも直接アクセスできるようになったようなだが」
 そう言って目を細めた。
「…少々、アンプを必要としたんだ」
 彼が目を向けた方向。
 瑠璃子さんが見つめている方向。
 モニターが丸天井のように囲んでいるその場所。
 薄暗い中に、斜めに突き刺さった墓標。
 蠢くようなコードやパイプ。
「!き、貴様」
『鉄の肺』と呼ばれる減圧装置をご存じだろうか?高山病などの治療に使われる特殊な気圧調整のできる『ベッド』だ。あれに幾重にも大小織り交ぜたコードを繋ぎ、わざわざ顔が見えるように僅かに角度をかけて寝かしたような姿がそこにはあった。
 ガラスの向こうに見えるのは、既に人間とは思えなかった。確かに、拓也の顔は見える。だが、針のような電極が幾つも突き刺さった彼の姿はとても正視できるようなものではなかった。
 男は笑っていた。
  どくん
 全身の血が逆流するような感覚。
 指先が麻痺して頭の先まで力が流れる感触。
  どくんっ
 脳内圧力が高まる。
「なんて事するんだ」
 抑えきれなかった。抑えるつもりもなかった。この男は今すぐに始末しなければならない。今ここでなんとしても亡き者にしなければ、電波が、電波がさらに被害者を産む。
 いや。
 祐介の時間がゆっくり間延びしていく。
 電波が氾濫してもいいんじゃないか?なぜ怒る必要がある?どうせみんな何も考えられなくなるんだぞ?
 そうさ、この僕も。
 みんなみんな、みんなみんなみんなみんなみんなみんな…
 みんな考える必要すらない世界が訪れるんだ。

 祐介の目から色が失われていく。
 そして、膨大な電波が彼の周りで放電するように音を立て始めた時。
「だめだよ、長瀬ちゃん」
 そんな声が聞こえた。
 聞こえた気がした。

  ばちい
 電気が流れる音と共に、祐介の視界が元に戻る。いつの間にか時間の感覚も元に戻っていた。
 男は笑った顔のまま、そこに相変わらず立っていた。
「…長瀬ちゃん」
 振り向くと瑠璃子は祐介の方を見て笑っていた。
「危なかったね」
 言葉の意味がよく分からず、彼はもう一度顔を男の方に向けた。
 彼は笑い顔を張り付けたまま、ゆっくり後ろに倒れていった。
「お兄ちゃんが後は何とかするよ」
 何とかって…
 声にしようとした言葉は、祐介の喉で止まった。
 月島さんの電波が聞こえたような気がしたのだ。
――有り難う、と。
「月島さん…」
 今、彼に意識があるのだろうか?
 今、彼は声が聞こえるのだろうか?
 そして、ここにいる自分の妹を知っているのだろうか?
「…助けにきましたよ」

 何の変哲もない日常。
 退屈で飽き足らない日常。でも、それが享受されているうちは幸せなのだろうか。
 あれから数日が経過した。拓也は、神経節や脳にまで到達していた電極を取り除くためにかなりの日数入院するらしい。が、医者の話では後遺症が残り、少なくとも今までのようには生活はできないだろうと言う事だった。
 謎の自殺事件も終末を迎えた。
 あの屋敷の中に合ったパソコンのデータに、今まで自殺した生徒についてのプロフィールがあったのだ。それには誰それが何時何をしたという『復讐日記』が克明に記録されていた。
 自殺者とリストアップされた人間はぴったり一致した。だが、それと他殺を結びつける接点までは見付けられなかっただろう。ともかく、あれ以来自殺するものはいなくなった。
 屋敷に残されていた機械類には、どうやって作動するのか理解できないものも多々あったという。
 ただ、彼の使っていたコンピュータはどこかにアクセスしていたらしく、最後まで動き続けていた。

 時々、公園の噴水の側に立っている瑠璃子さんを見かける。そして、いつものように少し目を細めて笑う。
「また、会ったね」
 瑠璃子さん曰く、月島さんは電波になってしまったらしい。今病院で治療を受けている月島さんは、いわばぬけがらだと言う。
「…月島さんの、『声』は聞こえる?」
 彼女は童女のような笑みを浮かべて頷いた。
「長瀬ちゃんも、聞こえるはずだよ」
 頷いて祐介は笑顔を見せた。

  ざ   ざざざ ざぴー

「何故か最近、コンピュータの調子が良くないんだ」
「ウィルスでも貰ったんじゃない?」

 connect....
 ok!



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